大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和50年(合わ)250号 判決

判決目次

主文

理由

被告人ら及び共犯者らの経歴

本件各犯行に至る経緯

罪となるべき事実

証拠の標目

大道寺あや子・浴田由紀子・佐々木規夫・被告人大道寺・同片岡・同黒川の検察官に対する各供述調書等が証拠能力を欠くとの弁護人らの主張並びにこれに対する当裁判所の判断

三菱重工爆破事件における殺意の有無について

間組本社九階爆破事件における殺意について

間組江戸川作業所爆破事件における殺意について

爆発物取締罰則第一条の目的の存否について

被告人荒井の幇助犯の成立について

荒川鉄橋天皇特別列車爆破等事件についての被告人ら・弁護人らの公訴棄却の申立並びにこれに対する当裁判所の判断

被告人荒井まり子に対する爆発物取締罰則違反幇助事件についての弁護人の公訴棄却の申立並びにこれに対する当裁判所の判断

第三回公判期日における弁護人ら不在廷での起訴状朗読を違法とする弁護人らの主張並びにこれに対する当裁判所の判断

第二一回公判期日において弁護人ら不出頭のまま審理が行なわれたことを違憲・違法とする弁護人らの主張並びにこれに対する当裁判所の判断

本件各事件に正当性があるとの被告人ら・弁護人らの主張並びにこれに対する当裁判所の判断

爆発物取締罰則は違憲であるとの被告人ら・弁護人らの主張並びにこれに対する当裁判所の判断

死刑制度を違憲とする弁護人らの主張並びにこれに対する当裁判所の判断

法令の適用

量刑の事情

別紙訴訟費用負担表

別紙死者一覧表

別紙負傷者一覧表

被告人 大道司將司 外三名

主文

一1  被告人大道寺將司を死刑に処する。

2  訴訟費用は、別紙訴訟費用負担表記載のとおり同被告人の負担とする。

二1  被告人片岡利明を死刑に処する。

2  訴訟費用は、別紙訴訟費用負担表記載のとおり同被告人の負担とする。

三1  被告人黒川芳正を無期懲役に処する。

2  未決勾留日数中七〇〇日を右刑に算入する。

3  訴訟費用は、別紙訴訟費用負担表記載のとおり同被告人の負担とする。

四1  被告人荒井まり子を懲役八年に処する。

2  未決勾留日数中七〇〇日を右刑に算入する。

3  訴訟費用は、別紙訴訟費用負担表記載のとおり同被告人の負担とする。

理由

(被告人ら及び共犯者らの経歴)

一  被告人大道寺將司は、昭和二三年六月、北海道釧路市において、地方公務員の長男として生まれ、昭和四二年釧路湖陵高校を卒業し、昭和四四年四月法政大学文学部史学科に入学したものの、やがて、退学し、喫茶店店員・建築現場人夫などをしたのち、昭和四八年一月から東京都内の雑誌販売会社に勤務していたもので、この間、大道寺あや子(旧姓駒沢)と結婚したものである。

二  被告人片岡利明は、昭和二三年六月、東京都板橋区において、会社員の長男として生まれ、昭和四二年開成高校を卒業し、昭和四四年四月法政大学文学部史学科に入学したものの、翌四五年退学し、都内でスーパーマーケツト店員・自動車運転手などをし、昭和四六年春ころ、大阪市内で自動車運転手・そば屋の店員・日雇人夫などをしたのち、東京に戻り、セールスマンを経て、昭和四七年一月都内の印刷機製造会社に就職したが、昭和四八年四月から一年間都立職業訓練所に入つて機械技術を修得したのち、都内のカメラ製造会社などに勤務していたもので、この間、昭和四六年には器物毀棄罪により罰金刑に処せられている。

三  被告人黒川芳正は、昭和二三年一月、東京都世田谷区において、会社員の長男として生まれ、昭和四一年山口県立宇部高校を卒業し、昭和四二年四月都立大学人文学部哲学科に入学したものの、昭和四六年ころ退学し、昭和四七年八月から昭和五〇年一月まで、都内の山谷・高田馬場、大阪市内の釜ヶ崎、横浜市内の寿町等で日雇人夫として働き、昭和五〇年一月から生命保険の外交員として勤務し、また、英会話テープの販売員もしていたもので、この間、昭和四二年に公務執行妨害罪により、昭和四三年に公務執行妨害罪と兇器準備集合罪により、それぞれ逮捕され、審判不開始の決定を受けている。

四  被告人荒井まり子は、昭和二五年一二月宮城県古川市において、高校教諭の次女として生まれ、昭和四四年古川女子高校を卒業し、同年四月法政大学文学部史学科に入学したものの、昭和四六年退学し、姉なほ子とともに東京都内に居住し、いわゆるアルバイトをして生活を送つたのち、昭和四七年一〇月古川市の両親の許へ帰り、翌四八年東北大学付属医療技術短期大学看護科に入学し、仙台市内に居住して、右大学に通学していたものである。

五  大道寺あや子は、昭和四二年釧路湖陵高校を卒業し、大学で薬学を修め、都内の病院で薬剤士をしたのち、昭和四九年五月から都内の化学薬品会社で薬剤士として勤務していたもので、この間、前記のように、大道寺將司と結婚したものである。

六  浴田由紀子は、山口県立大津高校・北里大学医学部衛生技術学科を卒業したのち、都内等で診療所の臨床検査技師・大学の技術員を経て、昭和五〇年二月から都内の成人病研究所の臨床検査技師として勤務していたもので、この間ミクロネシア対日賠償請求運動に対する支援活動を通じて知り合つた後記斎藤和と同棲していたものである。

七  佐々木規夫は、昭和四四年ころからの被告人大道寺の知り合いであり、右佐々木の兄佐々木祥氏が関係するレボルト社の研究会には、被告人大道寺も出入りしていたものである。

八  斎藤和は、昭和四〇年に結成された無政府共産党東京行動戦線の一員として、前記レボルト社にも出入りし、佐々木規夫とも旧知の間柄であつて、前記のように浴田由紀子と同棲していたものである。

(本件各犯行に至る経緯)

一  被告人大道寺は、高校卒業後法政大学入学前、大阪の釜ヶ崎近くのアパートに住んで日雇人夫などをするうちに、在日朝鮮人問題等に強い関心を抱くようになり、昭和四三年上京してからは、当時行なわれていた王子闘争、三里塚闘争等のデモや集会に参加し、法政大学入学後は、反帝学評系の学生とともに、沖繩・安保闘争等に参加して活動していたが、そのころ、同被告人の周辺には同級生であつた被告人片岡、同荒井を含む一〇名くらいのグループができ、右グループは、たびたび学習会を開き、マルクス・レーニン主義を研究していたが、右研究会における学習を通じて、被告人大道寺、同片岡、同荒井らは、当時行なわれていた反安保闘争等のような大衆政治運動では勝利は望めないから、革命運動を行なうべきであるが、革命に関し、学生運動の先駆的役割りを強調するいわゆる先駆性理論は誤りであり、みずから革命の主体となつてこれに身を挺しようと考えるようになり、昭和四五年ころから昭和四六年ころにかけて相前後して法政大学を退学したが、その後も、右被告人大道寺、同片岡、同荒井らは、一つのグループとして研究会を続けた。その間、昭和四五年秋には大道寺あや子が、同年一一月ころには長沢こと藤沢義美が右グループに加わつた。そして、昭和四五年暮ころ、右被告人大道寺らのグループが研究会を重ねたうえ出した結論は、概ね次のとおりであつた。すなわち、日本は、戦前・戦中は、朝鮮・中国・インドシナ等東アジア諸国を軍事的に植民地として支配して利益を得、戦後は、企業侵略の方法での収奪によつてみずからの社会を築き上げている。ところで、このような日本の社会構造に対して、従来の左翼運動は、日本の労働者階級による革命を目指しているが、日本の労働者は、右植民地支配または企業侵略の一端を担ういわば帝国主義労働者であるから、このような労働者の手によつては真の革命は達成できず、日本による植民地支配をうけ、企業侵略をうけている東アジア諸国の労働者・人民によつてのみこれが可能であるので、右東アジア諸国の労働者・人民の立場に立ち、その武装による反日の闘いに呼応し合流して、日本の海外に対する企業侵略を挾撃し阻止する必要があるが、その手段としては、攻撃側にとつて損耗が少なくて攻撃効果の大きい爆弾闘争が適当であるとするものであつた。かくて、右被告人大道寺らのグループは爆弾闘争を志向するようになり、被告人大道寺、同片岡、同荒井、大道寺あや子、藤沢義美らは、手製爆弾の製造を試み、昭和四六年初めころ、被告人大道寺の郷里である北海道釧路付近の海岸で爆発実験を行なつた。

しかし、同年二、三月ころになると、安保闘争等も下火となつて社会情勢が変化したため、爆弾闘争実行について右グループ内に意見の対立が生じたことから、各人において思想的な訓練を行なつたうえ武装闘争を行なうべきであるとの結論に達した時点で再び組織を結成することとして、同年三月ころ右グループは一時解散した。

二  その後、被告人大道寺らは、それぞれ日雇労働等に従事し、昭和四六年一〇月ころ、被告人大道寺、同片岡が再会して意見を交換したところ、ともに武装闘争を行なう意見であつたので、もとのグループの一員であつた藤沢義美、大道寺あや子をまじえて協議し、武装闘争開始の結論に達して、このグループで、昭和四六年一二月後記罪となるべき事実第一の犯行を実行した。

三  右グループには、昭和四七年一月ころ、判示第一の犯行を被告人大道寺らによるものと推察した被告人荒井が加入し、さらに、そのころ、田中某、竹下某の二名も加わり、右の者らにおいて判示第二の総持寺納骨堂爆破の犯行を計画したが、決行時期をめぐつて意見の対立を生じ、被告人荒井、田中某、竹下某の三名は、同年二月ころ右グループから離脱したため、残つた被告人大道寺らにおいて、同年四月判示第二のとおりこれを決行し、さらに、同年一〇月判示第三の一・二の北海道における各犯行を実行した。なお、右グループには、昭和四八年初め被告人荒井の姉荒井なほ子が加わり、同年夏ころ藤沢義美が離脱した。

四  このグループは、昭和四八年夏から秋にかけて、当時その構成員であつた被告人大道寺、同片岡、大道寺あや子、荒井なほ子において、組織の基礎を固め、武装闘争を継続することを確認し、そのグループを「東アジア反日武装戦線狼」と呼ぶこととし、また、その思想的背景を明らかにするとともに同調者の参加を求めるため、被告人大道寺、同片岡の発案により、都市ゲリラ爆弾闘争の教本ともいうべき「腹腹時計」と題するパンフレツトを出版することを決め、その思想的背景等に関する序文と武装闘争に関するゲリラ兵士としての心得・都市ゲリラ組織の基本形態の部分を被告人大道寺が、技術的部分を被告人片岡がそれぞれ執筆し、全員による検討を経たうえ、荒井なほ子がこれをタイプし、被告人大道寺の知り合いの北海道釧路市内の印刷所でこれを約二〇〇部印刷し、昭和四九年三月初めころ被告人大道寺が「丸越礼人」名で新左翼系書店等へ郵送するなどして頒布した。

その後、昭和四九年三月ころ荒井なほ子が右「狼」から離脱し、他方、昭和四八年春ころ被告人大道寺と再会して以後接触を重ねていた佐々木規夫が、被告人大道寺の勧誘に応じて、昭和四九年三月ころ「狼」に加入した。

被告人荒井は、前記のとおり、判示第二の犯行前の昭和四七年二月ころ被告人大道寺のグループから離脱したのち、今後の闘争へのかかわり方を考えた末、合法的な手段でも闘争はできるとし、看護婦になるため、前記のように、昭和四八年短期大学に入学したが、その間、昭和四七年一〇月の判示第三の一・二の犯行を被告人大道寺らによるものと察知し、昭和四八年一二月ころ及び昭和四九年二月ころ、被告人大道寺、同片岡らと会って意見を交換しつつ闘争へのかかわり方を考えた結果、昭和四九年四月ころ、やはり武装闘争に参加すべきであると決意するに至り、そのころ、東京都内の喫茶店で被告人大道寺、同片岡と会つて右決意を述べ、新旧帝国主義者に対する爆弾闘争を行なおうとする被告人大道寺らの「狼」に加わることとなつた。しかし、被告人荒井は、仙台市にいて勉学を継続しつつその役割を果たす立場であつたため、当面、被告人大道寺らが爆弾闘争で使用する爆弾の爆薬材料である「クサトール」等を購入し供給する兵站の任務を担当することとなつた。

「狼」グループは、以上のような経過で、判示第四の荒川鉄橋天皇特別列車爆破共謀・殺人予備の犯行に及び、次いで同第五の三菱重工ビル爆破、同第六の帝人中央研究所爆破の各犯行を実行した。

五  斎藤和は、昭和四九年五月ころ、被告人大道寺の依頼を受けた佐々木規夫から、前記「腹腹時計」を交付されて「東アジア反日武装戦線」への参加を勧誘され、これに応じて、同年九月ころ、浴田由紀子とともに、「東アジア反日武装戦線大地の牙」と名乗つてこれに参加し、被告人大道寺らの「狼」グループと共謀のうえ、判示第七の大成建設爆破の犯行を実行した。

六  被告人黒川は、大学在学中は中核派と行動をともにし、学園紛争では哲学闘争委員会のリーダーとして活動していたが、前記のように、山谷・高田馬場・釜ヶ崎等で日雇労働者として働くうち、その経験を通じて、現在の日本では、マルクス主義でいうプロレタリアートに該当するのは、日雇労働者層であると考え、建設資本を研究し、建設資本こそ、日本の日雇労働者・朝鮮人・中国人を搾取し、収奪した日本帝国主義の先兵であるとの結論に達した。そして、昭和四八年秋ころ、高田馬場で同じく日雇労働に従事していた佐々木規夫と知り合い、接触するうち、昭和四九年六月ころ、同人から、「腹腹時計」をもらい受け、武装闘争の意思あることを告げたことから、同年七月被告人大道寺に紹介され、以後、同人と接触して意見を交わし、武装闘争の必要性を痛感するようになつた。また、被告人黒川は、昭和四八年ころ、山谷の越年闘争で宇賀神寿一と知り合い、同人の仲間数人とともにサークルを作つて日雇問題等を話し合つていたが、昭和四九年七月ころ右サークル活動を通じて桐島聡とも知り合つていたので、被告人大道寺から武装闘争の必要性を説かれるようになつてからは、同様のことを、右宇賀神寿一、桐島聡にも話していた。このような時、判示第五の三菱重工爆破事件が発生し、同年九月ころ、被告人大道寺から、右事件は、「狼」によるものである旨聞かされるに及んで、東アジア反日武装戦線への参加を考えるようになり、その後、「狼」による判示第六の犯行が実行されたが、これを知つた同年一一月ころ、宇賀神寿一、桐島聡と相謀つて右戦線への参加の意思を固めるとともに、鹿島建設爆破の計画を立て、判示第八のとおり、これを実行し、その際、「東アジア反日武装戦線さそり」を名乗り、同戦線への参加の意思を表明した。

七  以上のような経過で、昭和四九年末ころ、「東アジア反日武装戦線」には、「狼」・「大地の牙」・「さそり」の三グループができたが、被告人大道寺は、翌五〇年一月初めころ、今後は、右三グループが一体となつて互いに連係を保ちながら闘争を進めたいと考えるようになり、他の「狼」の構成員とも相談してその賛同を得たうえ、「大地の牙」の浴田、「さそり」の被告人黒川とそれぞれ個別的に会談して右一体化の問題を提案協議し、右二グループの了解を得て、同年一月末ころ、「狼」からは被告人大道寺が、「大地の牙」からは斎藤が、「さそり」からは被告人黒川が、それぞれのグループを代表して出席し、第一回目の三者会談を開き、今後の闘争は、三者で話し合いをして意見の一致をみた時点で実行に移すことを取り決めたうえ、その席上で判示第九の間組攻撃の計画が提案され、その後数回の三者会談を経てこれが実行された。その後も、右のような三者会談を通じて謀議がなされ、判示第一〇の各犯行が実行されるに至つた。なお右三者会談で提案された事項は、会談に出席した各グループの代表者から、その都度、それぞれの構成員に告げられ、その全員の賛同を得て、次の三者会談でこれを決定していく方法がとられた。

その後、「さそり」グループと「狼」グループとの共謀による判示第一一の犯行が、次いで、「さそり」グループの判示第一二の犯行が、それぞれ実行されるに至つた。

(罪となるべき事実)

第一(興亜観音等爆破事件)

被告人大道寺、同片岡は、大道寺あや子、藤沢義美とともに、昭和四六年一〇月中旬ころから、東京都内の喫茶店等において数次の協議を重ね、将来行なうべき日本帝国主義に対する武装闘争の前段階として、日本帝国主義の侵略の歴史に対する闘争という観点からその爆破対象を検討した結果、静岡県熱海市伊豆山に建立されている興亜観音像等は、日本帝国主義の中国その他アジア諸国に対する軍事的侵略の歴史を象徴するものであるとして、これを爆破対象とすべき旨の被告人大道寺の提案を全員の賛成で決定し、ここに、被告人大道寺、同片岡は、大道寺あや子、藤沢と、治安を妨げかつ人の財産を害する目的をもつて、右興亜観音像等爆破のため爆発物を使用する共謀を遂げ、その後、同年一二月初旬ごろまでの間に、被告人大道寺、同片岡及び藤沢らにおいて、現地の下見をし、手製爆弾と時限装置を準備するなどしたうえ、被告人大道寺、同片岡及び藤沢の三名において、同年一二月一二日午後五時三〇分ころ、静岡県熱海市伊豆山鳴沢一一三五番地の七七所在礼拝山興亜観音境内で、外径約三・四センチメートルの鉄パイプ二本をつなぎ合せた長さ約四〇センチメートルのバンガーロールといわれるものの内部に塩素酸カリウム約七〇パーセント、炭粉約二〇パーセント・硫黄約一〇パーセントの割合で混合した爆薬約五〇グラムを詰めた鉄パイプ爆弾一個を、右境内に建立されている興亜観音像の腹部辺に針金で巻きつけて固定し、同じく右境内にある大東亜戦殉国刑死一〇八八霊位供養碑のほぼ中央部に、両端をキヤツプでとめた外径約二・二センチメートル、長さ約一七・五センチメートルのニツプルといわれる鉄パイプ内に右同様の混合爆薬約五〇グラムを詰めた鉄パイプ爆弾一個を、針金で巻きつけて固定し、さらに、右境内にある七士之碑の正面台座上に、約四・二リツトル入りの消火器の容器に右鉄パイプ爆弾と同様の混合爆薬約二キログラムを詰めた手製の消火器爆弾一個並びに前同様の爆薬約五〇グラムを詰めたニツプル鉄パイプ爆弾一個とを置き、右二個の爆弾を針金で石碑の下部に巻きつけて固定し、以上四個の爆弾にトラベルウオツチ・乾電池・ガス点火用ヒーター等からなる起爆装置を接続させ、同日午後一〇時に爆発するようにした時限式手製爆弾四個を装置し、同日午後九時五八分ころ、右のうち、七士之碑に装置した消火器爆弾一個及び一〇八八霊位供養碑に装置したニツプル鉄パイプ爆弾一個を爆発させ、もつて爆発物を使用した

第二(総持寺納骨堂爆破事件)

昭和四七年二月ころ、被告人大道寺、同片岡は、大道寺あや子、藤沢義美ほか三名の者とともに、東京都内の喫茶店等において、判示第一の爆破に引き続いて行なう爆破対象を検討した結果、在韓無名日本人の遺骨を安置する神奈川県横浜市鶴見区にある総持寺境内の常照殿納骨堂は、民間人をも含めた日本帝国主義の朝鮮侵略の歴史を象徴するものであるとして、これを爆破対象とすべき旨の被告人片岡の提案を全員の賛成で決定し、同年三月一日を決行日と定め、ここに、被告人大道寺、同片岡は大道寺あや子、藤沢ほか三名の者と、治安を妨げかつ人の財産を害する目的をもつて、右納骨堂爆破のため爆発物を使用する共謀を遂げ、手製爆弾と時限装置を用意し、現地の下見をするなどの準備を行なつたが、右下見の際他人に見られたことなどから、決行について意見の対立を生じ、右共謀に加わつた者のうち三名の者が離脱したため、残つた被告人大道寺、同片岡、大道寺あや子、藤沢の四名が同年四月一日ころ都内の喫茶店等で協議して、同月五日夜決行することと決め、同月四日夜右四名が神奈川県横浜市鶴見区鶴見町一二八番地曹洞宗大本山総持寺境内の墓地内に運び込んでおいた約四・八リツトル入りの消火器の容器に塩素酸カリウム約七五パーセント・炭粉約一五パーセント・硫黄約一〇パーセントの割合で混合した爆薬約二キログラムを詰めた爆弾の本体に、翌五日午後一〇時ころ、被告人大道寺、同片岡、藤沢の三名が、トラベルウオツチ・乾電池・ガス点火用ヒーター等からなる時限式起爆装置を接続させ、翌六日午前零時に爆発するようにした時限式手製爆弾一個を、右総持寺境内の常照殿納骨堂西側の地上に装置し、六日午前零時ころ、これを爆発させ、もつて爆発物を使用した

第三(北大文学部北方文化研究施設・風雪の群像各爆破事件)

被告人大道寺、同片岡は、大道寺あや子、藤沢義美とともに、昭和四七年五、六月ころ、東京都内の喫茶店において、判示第一・第二の各爆破の次に爆破すべき対象を検討した結果、大和民族の侵略の歴史的発端ともいうべきものとして、アイヌに対する侵略・同化政策を取り上げることとし、北海道大学文学部内にある北方文化研究施設は、アイヌ文化遺産の略奪を象徴するものであり、旭川市常盤公園内にある北海道開拓記念碑風雪の群像は、和人のアイヌ同化政策の象徴であるとして、これを爆破対象とすべき旨の被告人大道寺の提案を全員の賛成で決定し、右各対象を、アイヌの首長であつたシヤクシヤインの命日といわれる同年一〇月二三日に同時に爆破することを決め、ここに、被告人大道寺、同片岡は、大道寺あや子、藤沢と、治安を妨げかつ人の財産を害する目的をもつて、右北方文化研究施設及び風雪の群像各爆破のためそれぞれ爆発物を使用する共謀を遂げ、同年七月から一〇月初旬にかけて、被告人大道寺、同片岡ら右四名の者において現地の下見をし、手製爆弾と時限装置を用意するなどの準備をしたうえ、同年一〇月二〇日ころ、右四名が協議して、被告人大道寺と同片岡の両名において北方文化研究施設の爆破を、大道寺あや子と藤沢の両名において風雪の群像の爆破をそれぞれ担当することを決め、

一  被告人大道寺、同片岡は、前記のように、大道寺あや子、藤沢と共謀のうえ、被告人大道寺、同片岡において、同年一〇月二三日午後五時近くころ、北海道札幌市北区北九条西七丁目北海道大学文学部二階廊下ホールで、容量約一・三リツトルの円筒型の菓子の空き缶に塩素酸ナトリウム約六〇パーセント・砂糖約三〇パーセント・硫黄約一〇パーセントの割合で混合した爆薬約〇・八キログラムを詰め、これにトラベルウオツチ・乾電池・ガス点火用ヒーター等からなる起爆装置を接続させ、同日午後一一時三〇分に爆発するようにした時限式手製爆弾一個を右大学文学部付属北方文化研究施設のアイヌアツシ織陳列ケース下の床上に装置し、同日午後一一時三〇分ころ、これを爆発させ、もつて爆発物を使用した

二  被告人大道寺、同片岡は、前記のように、大道寺あや子、藤沢と共謀のうえ、大道寺あや子、藤沢の両名において、同年一〇月二三日午後四時三〇分ころ、北海道旭川市常盤公園内で、容量約七リツトルの醤油の空き缶に、塩素酸ナトリウム約七〇パーセント・砂糖約二〇パーセント・硫黄約一〇パーセントの割合で混合した爆薬約七〇パーセントと、塩素酸カリウム約五〇パーセント・砂糖及び黄血塩各約二五パーセントの割合で混合した爆薬約三〇パーセントとを混合した爆薬約五キログラムを詰め、これにトラベルウオツチ・乾電池・ガス点火用ヒーター等からなる起爆装置を接続させ、同日午後一一時三〇分に爆発するようにした時限式手製爆弾一個を、右公園内に建立されている青銅製の北海道開拓記念碑風雪の群像(五基)のうち、コタンと命名されている像の後方の台座上に装置し、同日午後一一時三三分ころ、これを爆発させ、もつて爆発物を使用した

第四(荒川鉄橋天皇特別列車爆破共謀・殺人予備事件)

被告人大道寺、同片岡、大道寺あや子らは、前記のように、昭和四八年後半、自己らのグループを「東アジア反日武装戦線狼」と称することとしたところ、同人らは、かねて、天皇は新旧帝国主義者の頂点にあるもの、すなわち日本帝国主義の過去における侵略戦争の最高責任者であり、現在も将来も、侵略イデオロギーの支柱となる存在であるのに、従来の革命勢力はこれに対し拱手していたことに不満を持ち、真に韓国その他の東アジアの人民の解放と、日本帝国主義打倒の戦いを開始しこれに勝利するためには、天皇を暗殺しなければならないとの考えを抱くに至つていたが、昭和四九年三月ころ、佐々木規夫が「狼」に加入するに及び、そのころより、同人とともに、右暗殺を実行に移すための準備を進めていたところ、昭和四九年七月上旬から同年八月上旬までの間、被告人大道寺、同片岡は、大道寺あや子、佐々木とともに、東京都荒川区南千住七丁目二六番一二号大友荘の被告人大道寺の居室及び都内の喫茶店等において、天皇搭乗の特別列車が、同年八月一四日午前一一時ころ同都北区赤羽三丁目所在の国鉄東北本線荒川鉄橋を埼玉県内から東京都内へ向けて通過するものと予測し、右荒川鉄橋第七橋脚に手製爆弾を装置し、右爆弾により右特別列車を同鉄橋もろとも爆破して天皇を殺害することを相謀り、同年七月上旬から下旬にかけて二回にわたり、被告人大道寺、同片岡、大道寺あや子、佐々木は、深夜右荒川鉄橋に赴き、東北本線鉄橋に登り、橋桁や第七橋脚を調査し、或いは発破に使用する電線の必要な長さを測定するなどし、同年七月下旬ころ、前記被告人大道寺の居室で、同被告人において、マイクロスイツチ・コンデンサー等を用いた発破器一個を用意し、さらに、同年八月一〇日ころ、被告人大道寺の前記居室で、被告人大道寺、同片岡が塩素酸ナトリウム約九〇パーセント・ワセリン約三パーセント・パラフイン約七パーセントの割合で混合したセジツト爆薬を主薬とし、これに塩素酸ナトリウム約五〇パーセント・砂糖及び黄血塩各約二五パーセントの割合で混合した白色火薬、塩素酸ナトリウム約六〇パーセント・砂糖約三〇パーセント・硫黄約一〇パーセントの割合で混合した白色火薬及び塩素酸カリウム約五〇パーセント・砂糖及び黄血塩各約二五パーセントの割合で混合した少量の白色火薬とを加えた爆薬を、二十数キログラムずつほぼ等量に、一個の容量約二〇リツトル余の金属製ペール缶二個に詰め、これに手製雷管各一個をそれぞれ装着した手製爆弾二個を用意したうえ、被告人大道寺、同片岡、大道寺あや子、佐々木の四名において、同月一二日午後一〇時ころから翌一三日の未明にかけて、右荒川鉄橋東北本線第六橋脚直下から約六〇〇メートル川下にある新荒川大橋の下付近までの河川敷に発破に使用する電線を敷設し、さらに、右四名において、翌一三日午後一一時ころ、右手製爆弾二個のほか橋梁に敷設する電線等を携えて、右荒川鉄橋第一橋脚の下まで赴き、同橋梁に電線を敷設し同橋梁上の鉄道線路直下に右爆弾二個を装置しようとしたが、付近に人影を認めたため作業を見合わせているうち、翌一四日午前二時ないし三時に至り作業時間を失つて、右爆弾を装置することができず、もつて、殺人の予備をするとともに、治安を妨げかつ人の身体・財産を害する目的をもつて爆発物を使用することを共謀した

第五(三菱重工爆破・殺人・同未遂・傷害事件)

被告人大道寺、同片岡は、判示第四の犯行が完遂できなかつた無念さに加えて、昭和四九年八月一五日韓国において大統領暗殺未遂事件が発生したことに触発され、「狼」に所属の大道寺あや子、佐々木規夫とともに、昭和四九年八月中旬から同月二〇日ころにかけて、東京都内の喫茶店等において協議を重ねたうえ、今後は日本の新旧帝国主義者の一つで経済的侵略を行なつている海外進出企業を爆弾攻撃の対象とすることとし、侵略性が歴史的に見ても現在においても明白で、かつ爆弾攻撃による政治的・社会的効果の大きい企業として三菱企業グループを選び、諸調査・協議を続けた結果、三菱重工株式会社は日本帝国主義の戦前・戦時中における海外侵略、戦後における新植民地主義侵略の中枢であるとして、同社を爆破攻撃することとし、同都千代田区丸の内所在の「三菱重工ビルヂング」(以下三菱重工ビルと略称する。)の正面玄関前路上に爆弾を仕掛けて爆発させれば、三菱重工及びこれと道路を挾んで向かい合う三菱電機の両企業を同時に攻撃できて最適であるとの結論に達し、同月二四日ころ、右四名全員の賛成をもつて、その決行日を同月三〇日とし、爆弾の仕掛けを被告人大道寺と同片岡が、見張りを大道寺あや子が、予告電話を佐々木がそれぞれ担当し、予告電話を爆発予定時刻の五分前にかけることなどを決め、ここに被告人大道寺、同片岡は、大道寺あや子、佐々木とともに、治安を妨げかつ人の身体・財産を害する目的をもつて、右三菱重工ビル正面玄関前路上に爆弾を仕掛けて爆発物を使用する共謀を遂げるとともに、佐々木の予告電話が通じないときはもちろんのこと、通じたとしても、五分間という短時間では、爆発地点付近の建物内及び道路上に現在する多数人を完全に退避させることは不可能に近いから、右爆弾の爆発による爆風、飛散する弾体、損壊する建造物等の破片及びガラス片の飛散または落下等爆弾の殺傷能力に応じて爆発地点付近に現在する多数人を死傷に至らせうることを十分認識しながら、それも構わないとの意思を相通じ、被告人大道寺、同片岡の両名において、同月三〇日午後零時二五分ころ、同都千代田区丸の内二丁目五番一号三菱重工ビル正面玄関前歩道まで自動車で運搬した前記第四の犯行で使用の予定であつたペール缶爆弾二個にトラベルウオツチ・乾電池・手製雷管等からなる起爆装置を接続させ、同日午後零時四五分に爆発するようにした時限式手製爆弾二個を、被告人大道寺が、前記玄関前フラワーポツトの横に置いて装置し、同日午後零時四五分ころ、これを爆発させ、もつて爆発物を使用するとともに、右爆発により、死亡の可能性のある地域たる別紙死者一覧表記載の被爆場所に居合わせた清涼肇ら八名を同表記載のとおり爆死させるなどして殺害し、同様死亡の可能性のある地域たる別紙負傷者一覧表記載の被爆場所に居合わせた村田英雄ら一六四名(同表記載の負傷者のうち番号84の杉山喜久子を除いたもの)に対しては、同表記載のとおりの創傷を負わせたにとどまり、殺害するにまで至らず、負傷の可能性のある地域たる被爆場所に居合わせた右同表記載の番号84の杉山喜久子に対しては同表記載の傷害を負わせた

第六(帝人中央研究所爆破事件)

被告人大道寺、同片岡は、大道寺あや子、佐々木規夫とともに、昭和四九年一〇月末ころ、前記被告人大道寺の居室において、前記三菱重工爆弾攻撃に続く攻撃対象を協議し検討した結果、帝人株式会社が韓国に石油コンビナートを建設するなど企業侵略を積極的に進めているとして、これを阻止し、同社に打撃を与えるために、同社の東京支社を爆弾攻撃しようとの被告人大道寺の提案を全員において賛成したが、その後同年一一月初めころ、全員の賛成で、右東京支社攻撃の計画を、東京都日野市内所在の同社中央研究所爆破に変更し、現場の下見などの調査と右全員の協議を経て、同月二〇日ころ、前記被告人大道寺の居室において、右「狼」グループの四名は、爆弾の仕掛けを被告人大道寺と同片岡が、見張りを大道寺あや子と佐々木が、それぞれ担当し、同月二四日に仕掛け翌二五日午前三時に爆発させることなどを決め、ここに、被告人大道寺、同片岡は、大道寺あや子、佐々木と、治安を妨げかつ人の財産を害する目的をもつて、前同社中央研究所爆破のため爆発物を使用する共謀を遂げ、被告人大道寺、同片岡の両名において、同月二四日午後七時二五分ころ、東京都日野市旭ヶ丘四丁目三番地の二所在帝人株式会社中央研究所で、大道寺あや子と佐々木が同研究所の塀の外で見張りをしている間に、かねて用意しておいた、約二リツトル余入りの消火器の容器に、塩素酸ナトリウム約六〇パーセント・砂糖約三〇パーセント・硫黄約一〇パーセントの割合で混合した爆薬約一・五キログラムを詰め、これにトラベルウオツチ・乾電池・手製雷管等からなる起爆装置を接続させ、翌二五日午前三時に爆発するようにした時限式手製爆弾一個を、右研究所中和槽操作盤室内に装置し、二五日午前三時一〇分ころこれを爆発させ、もつて爆発物を使用した

第七(大成建設爆破事件)

被告人大道寺は、昭和四九年一二月初めころ、東京都新宿区内の喫茶店で、「東アジア反日武装戦線大地の牙」所属の浴田由紀子から、同人及び斎藤和において、大成建設株式会社が、戦前は大倉財閥として日本帝国主義の植民地支配の一翼を担い、戦後も、韓国やインドネシアに対する企業侵略を行なつているとして、同社の本社を爆弾攻撃する計画である旨告げられるとともに、右攻撃に使用する起爆装置として雷管一個の交付方を依頼されたため、そのころ、「狼」グループの被告人片岡、大道寺あや子、佐々木規夫らとともに右「大地の牙」の計画と依頼につき協議し、検討した結果、「狼」の全員がこれに賛成して、被告人片岡らにおいて用意した雷管一個を、同年一二月四日ころ被告人大道寺が右浴田由紀子に手渡し、ここに、被告人大道寺、同片岡は、「狼」所属の大道寺あや子、佐々木並びに「大地の牙」所属の浴田及び斎藤と、治安を妨げかつ人の身体・財産を害する目的をもつて、右大成建設株式会社の本社に爆弾を仕掛けて爆発物を使用する共謀を遂げ、右共謀に基づき、浴田、斎藤の両名は、同年一二月一〇日午前六時三〇分ころ、同都中央区銀座二丁目五番一一号「大成建設株式会社本社ビル」一階駐車場前路上において、約三・二リツトル入りの石油ストーブ用カートリツジタンクに塩素酸ナトリウム等を主薬とする混合爆薬を詰め、これにトラベルウオツチ・乾電池・手製雷管等からなる起爆装置を接続させ、同日午前一一時に爆発するようにした時限式手製爆弾一個を、右駐車場東南角付近踏板鉄板下に装置し、同日午前一一時二分ころ、これを爆発させ、もつて爆発物を使用した

第八(鹿島建設爆破事件)

被告人黒川は、鹿島建設株式会社が、その前身たる鹿島組のころから建設資本として日本帝国主義の海外侵略の先兵となり、中国人・朝鮮人を日本へ強制連行するなどして酷使し、その多数の生命を奪い、戦後も日雇労働者等を搾取しているとして同社を爆破攻撃することを計画し、昭和四九年一一月ころ、さきに同被告人の勧誘によつて同人の仲間となつた宇賀神寿一、桐島聡の両名に対し、右爆破の計画を打ち明けてその賛成を得、その後、同社の本社・工場・工事現場などを調査して、右三名で協議した結果、東京都江東区東陽二丁目三番二〇号所在の鹿島建設株式会社建築本部内装センターKPH工場を爆破することとし、同年一二月一〇日すぎころ、宇賀神のアパートにおいて、右三名が協議した末、決行日を同月二二日とし、仕掛けを被告人黒川と桐島が担当することとし、ここに、被告人黒川は、宇賀神、桐島と、治安を妨げかつ人の財産を害する目的をもつて、右KPH工場爆破のため、爆発物を使用する共謀を遂げ、被告人黒川らにおいてそのころ手製爆弾と時限装置を準備するなどしたうえ、同被告人において、同月二二日午後九時三〇分ころ、右KPH工場で、桐島が右工場の塀の外で見張りをしている間に、容量約一リツトルの金属製リンレイワツクスの空き缶に、塩素酸ナトリウム九八・五パーセントを含有する除草剤クロレートソーダ約八〇パーセント・炭粉約二〇パーセントの割合で混合した爆薬約一キログラムを詰め、これにトラベルウオツチ・乾電池・ガス点火用ヒーター等からなる起爆装置を接続させ、翌二三日午前三時に爆発するようにした時限式手製爆弾一個を、その両側に灯油・ゴム片を入れたいわゆるポリタンクを配して針金で全体を固定したうえ、ナイロンバツクに収納して、これを、右KPH工場構内の作業用台車の下に装置し、二三日午前三時一〇分ころ、これを爆発させ、もつて爆発物を使用した

第九(間組本社九階爆破・殺人未遂、間組本社六階爆破、間組大宮工場爆破事件)

被告人大道寺、同黒川、斎藤和の三名は、昭和五〇年一月末ころ、東京都内の喫茶店で「東アジア反日武装戦線」の「狼」・「さそり」・「大地の牙」の三者会談を開き、その席上、被告人黒川から間組に対する爆弾攻撃が提案され、同年二月三日ころ同都新宿区内の喫茶店「アマンド」で開かれた前記三名の出席した三者会談において、間組が戦時中の木曾谷のダム工事にみられるように、朝鮮人や中国人捕虜を強制連行して酷使し、多数の死者を出し、現在でもマレーシアのテメンゴールダム建設では、現地の反動政権に協力し革命勢力に敵対しているとして、これを攻撃対象にすべき旨の被告人黒川の提案を、全員の賛成で採択するとともに、右間組に対する攻撃を「狼」・「さそり」・「大地の牙」の三グループの共同作戦として実行すること、直ちに各グループはそれぞれ攻撃目標を選定し準備にかかること等を決定し、そのころ、右出席者から右決定内容を各グループの所属員に告げて全員の賛成を得、各グループは各別に下見などの調査を重ねたうえ、同月二一日ころ同都内の喫茶店において、前記被告人大道寺、同黒川、斎藤の三名は、三者会談を開き、「狼」が「ハザマビルヂング」(以下間組本社ビルと略称する。)の九階を、「さそり」が同六階を、「大地の牙」が間組の大宮工場をそれぞれ同時に爆弾攻撃することを決め、さらに、同月二五日同都内の喫茶店において、決行日は同月二八日、爆発時刻は午後八時とすることなどを決め、その都度出席者から右決定内容を各グループの所属員に告げて全員の賛成を得、ここに、被告人大道寺、同片岡、同黒川は、大道寺あや子、佐々木規夫、宇賀神寿一、桐島聡、浴田由紀子、斎藤と、間組本社ビル九階、同六階については、治安を妨げかつ人の身体・財産を害する目的をもつて、間組大宮工場については、治安を妨げかつ人の財産を害する目的をもつて、右三か所にそれぞれ爆弾を仕掛けて爆発物を使用する共謀を遂げ、

一  被告人大道寺、同片岡、同黒川は、前記のように、大道寺あや子、佐々木、宇賀神、桐島、浴田、斎藤と共謀のうえ、間組本社ビル九階の攻撃を担当することとなつた「狼」所属の被告人大道寺、大道寺あや子、佐々木の三名において、現場の下見をして爆弾の仕掛け場所等を決め、爆弾を用意し、仕掛け当日の手順を決定し、被告人片岡において雷管の準備をととのえ、加えて被告人大道寺、大道寺あや子、佐々木の三名は、予告電話が効を奏しないときは、爆発地点付近に現在する人を、爆弾の爆風、弾体、爆破された建物等の破片の飛散等によつて、死亡に至らせうることを十分認識しながら、それでも構わないとの意思を相通じて共謀のうえ、昭和五〇年二月二八日午後六時前ころ、佐々木において、被告人大道寺の見張りのもとに、同都港区北青山二丁目五番八号株式会社間組本社ビル九階電算部パンチテレツクス室で、容量約二・五リツトルの明治粉ミルクの空き缶に塩素酸ナトリウム約五〇パーセント・黄血塩と砂糖各約二五パーセントの割合で混合した爆薬約二・八キログラム並びに塩素酸カリウム約五〇パーセント・黄血塩と砂糖各約二五パーセントの割合で混合した爆薬約二〇〇グラムの総計約三キログラムの爆薬を詰め、これにトラベルウオツチ・乾電池・手製雷管等からなる起爆装置を接続させ、同日午後八時に爆発するようにした時限式手製爆弾一個を、同室内金属製用紙棚内に装置し、同日午後八時ころ、これを爆発させ、もつて爆発物を使用するとともに、被告人大道寺、大道寺あや子、佐々木は、右爆発により、前同室で残業中の沼田行弘(当時二七年)に対し、加療四か月を要する左上腕骨骨折、両下肢・臀部熱傷、外傷性頸椎症等の創傷を負わせたが死亡させるにまで至らなかつた

二  被告人大道寺、同片岡、同黒川は、前記のように、大道寺あや子、佐々木、宇賀神、桐島、浴田、斎藤と共謀のうえ、間組本社ビル六階の攻撃を担当することとなつた「さそり」所属の被告人黒川、宇賀神、桐島の三名において、現場の下見をして爆弾の仕掛け場所等を決め、爆弾を用意し、被告人大道寺から手製雷管を受け取り、仕掛け当日の手順を決定するなどの準備をととのえたうえ、宇賀神において、昭和五〇年二月二八日午後六時前ころ、前記間組本社ビル六階営業本部事務室で容量約三・六リツトルのチロリアン菓子空き缶に、塩素酸ナトリウム九八・五パーセントを含有する除草剤クロレートソーダ約五〇パーセント・黄血塩と砂糖各約二五パーセントの割合で混合した爆薬約四キログラムを詰め、これにトラベルウオツチ・乾電池・手製雷管等からなる起爆装置を接続させ、これらをアタツシユケースに収納し、同日午後八時に爆発するようにした時限式手製爆弾一個を、右事務室内金属製書類キヤビネツト上に装置し、同日午後八時ころ、これを爆発させ、もつて爆発物を使用した

三  被告人大道寺、同片岡、同黒川は、前記のように、大道寺あや子、佐々木、宇賀神、桐島、浴田、斎藤と共謀のうえ、間組の大宮工場の爆破を担当することとなつた「大地の牙」所属の斎藤と浴田において、現場の下見をして爆弾の仕掛け場所を決め、爆弾を用意し、被告人大道寺から手製雷管を受け取るなどの準備をととのえたうえ、斎藤、浴田の両名において、昭和五〇年二月二八日午後七時ころ、埼玉県与野市与野一二三三番地株式会社間組機械部大宮工場第一工場構内で、容量約三・八リツトルのブリキ製の直方体の缶に塩素酸ナトリウム等を主薬とする混合爆薬を詰め、これにトラベルウオツチ・乾電池・手製雷管等からなる起爆装置を接続させ、同日午後八時に爆発するようにした時限式手製爆弾一個を、右第一工場北側変電所前に装置し、同日午後八時四分ころ、これを爆発させ、もつて爆発物を使用した

第一〇(韓国産業経済研究所・オリエンタルメタル各爆破事件)

被告人大道寺、同黒川、斎藤和は、東京都内の喫茶店で昭和五〇年三月一一日と同月二五日の二回にわたり三者会談を開いたが、その席上、右斎藤から、「大地の牙」では、オリエンタルメタル株式会社社長を団長とする工業団地視察団の韓国派遣を阻止するために、次に行なう企業爆破の対象として右オリエンタルメタル株式会社を選び、同年四月下旬とされている右視察団派遣の前に決行する計画である旨の説明があり、被告人大道寺に対して、右爆破攻撃に使用する爆弾の起爆装置たる雷管の用意方依頼があり、さらに、同年四月一日同都内の喫茶店で開かれた三者会談において、右斎藤から、韓国産業経済研究所が、右韓国の視察団派遣の仲介をしているほか、日本企業の韓国・台湾・マレーシア等への進出の仲介役をしているとして、これをオリエンタルメタル株式会社と同時に爆破すべき旨の説明があつたため、右爆破計画の説明を受け、雷管の用意方を依頼された被告人大道寺は、右三者会談の都度「狼」グループ所属の被告人片岡、大道寺あや子、佐々木に対して、右「大地の牙」の爆破計画を説明したところ、韓国への視察団派遣は、同国への経済侵略につながるとの見地から、全員がこれに賛成し、前記雷管を用意することとなり、同月八日同都内の喫茶店で開かれた三者会談の席上で、被告人大道寺は、「狼」グループは全員右爆破計画に賛成である旨告げるとともに、雷管二個を斎藤に手渡し、被告人黒川は、斎藤から説明を聞いた右「大地の牙」の爆破計画をみずから調査し、検討した末、右計画の意義を認めて、前記四月八日の三者会談で賛成し、斎藤は浴田由紀子の賛同を得、ここに、被告人大道寺、同片岡、同黒川は、斎藤、浴田、大道寺あや子、佐々木と、治安を妨げかつ人の財産を害する目的をもつて、右オリエンタルメタル株式会社及び韓国産業経済研究所をそれぞれ爆破するため爆発物を使用する共謀を遂げ、その実行を担当する「大地の牙」では、現場の下見をした結果、浴田が韓国産業経済研究所に、斎藤がオリエンタルメタル株式会社にそれぞれ爆弾を仕掛けることとし、爆弾二個を用意するなどの準備をととのえたうえ、

一  被告人大道寺、同片岡、同黒川は、前記のように、浴田、斎藤、大道寺あや子、佐々木と共謀のうえ、浴田において、昭和五〇年四月一八日午後八時ころ、東京都中央区銀座七丁目一二番六号所在「トキワビル」五階韓国産業経済研究所で、容量約一・二リツトルの長方形の金属製空き缶に、塩素酸ナトリウム等を主薬とする混合爆薬を詰め、これにトラベルウオツチ・乾電池・手製雷管等からなる起爆装置を接続させ、これらを紙箱に収納し、翌一九日午前一時に爆発するようにした時限式手製爆弾一個を、前記研究所入口ドアのガラスの部分に接着テープ等で貼りつけて装置し、一九日午前一時ころ、これを爆発させ、もつて爆発物を使用した

二  被告人大道寺、同片岡、同黒川は、前記のように、浴田、斎藤、大道寺あや子、佐々木と共謀のうえ、斎藤において、昭和五〇年四月一八日夜、兵庫県尼崎市神田北通一丁目一番地所在「尼崎松本ビル」七階オリエンタルメタル株式会社ゼロツクス室前で、容量約三・六リツトルの金属製のかつおぶしの空き缶に塩素酸ナトリウムを主薬とする混合爆薬を詰め、これにトラベルウオツチ・乾電池・手製雷管等からなる起爆装置を接続させ、翌一九日午前一時に爆発するようにした時限式手製爆弾一個を、前記ゼロツクス室前廊下床上に装置し、一九日午前一時ころ、これを爆発させ、もつて爆発物を使用した

第一一(間組江戸川作業所爆破・殺人未遂事件)

被告人黒川は、宇賀神寿一、桐島聡ら「さそり」グループの者とともに、判示第九の株式会社間組爆弾攻撃後も、同社に対する攻撃を続行することとし、東京都及びその周辺にある同社の事業所等を調査した結果、千葉県市川市内にある同社の江戸川作業所を爆弾攻撃することを計画し、昭和五〇年三月二五日東京都内の喫茶店で開かれた被告人大道寺らとの会談において、右の計画を説明してその賛成を得、同年四月一日同都内の喫茶店で開かれた被告人大道寺らとの会談において、右攻撃に使用する爆弾の雷管の用意方を被告人大道寺に依頼し、被告人大道寺は、右会談の都度、その内容を「狼」グループの被告人片岡、大道寺あや子、佐々木規夫に伝え、全員の賛成を得て右雷管を用意することとなり、同月八日同都内の喫茶店で開かれた被告人黒川、同大道寺らの会談において、同人らは右「さそり」グループの行なう江戸川作業所攻撃の決行日を同月二七日と決めるとともに、被告人黒川は、被告人大道寺から雷管を受取り、ここに、被告人黒川、同大道寺、同片岡は、宇賀神、桐島、大道寺あや子、佐々木と、治安を妨げかつ人の身体・財産を害する目的をもつて、右江戸川作業所に爆弾を仕掛けて爆発物を使用する共謀を遂げ、実行を担当する「さそり」グループの被告人黒川、宇賀神、桐島は、爆弾を用意し、これを仕掛ける手順を決めるなどの準備をととのえたが、爆発地点に現在する人を、爆弾の爆風、弾体、爆破された建物等の破片の飛散等によつて、死亡に至らせうることを十分認識しながら、それでも構わないとの意思を相通じて共謀のうえ、桐島において、同月二七日午後八時ころ、千葉県市川市市川三丁目二五番地所在株式会社間組江戸川作業所で容量一・八リツトル前後のボイル油の空き缶に塩素酸ナトリウム九八パーセントを含有する除草剤デゾレート約五〇パーセント・黄血塩と砂糖各約二五パーセントの割合で混合した爆薬約二キログラムを詰め、これにトラベルウオツチ・乾電池・手製雷管等からなる起爆装置を接続させ、翌二八日午前零時に爆発するようにした時限式手製爆弾一個を、前記作業所宿直室床下に装置し、四月二七日午後一一時五八分ころ、これを爆発させ、もつて爆発物を使用するとともに、被告人黒川、宇賀神、桐島は、右爆発により、前記作業所宿直室において就寝中の今井洋(当時二五年)に対し、加療約一年三か月を要する頭部外傷等の創傷を負わせたが、同人を死亡させるにまで至らなかつた

第一二(京成江戸川橋工事現場爆破事件)

被告人黒川は、「さそり」所属の宇賀神寿一と、昭和五〇年四月三〇日同都杉並区下井草四丁目二七番二三号第二井草荘の宇賀神の居室において、前記株式会社間組に対する爆弾攻撃の一環として、同社の京成江戸川橋工事現場にある建設工事用機械に爆弾を仕掛け、さきに仕掛けていた不発弾を誘爆させることによつて右建設工事用機械を爆破することを決め、そのころ、宇賀神において、これを桐島に告げて同人の賛成を得、ここに、被告人黒川は、宇賀神、桐島と、治安を妨げかつ人の財産を害する目的をもつて、右京成江戸川橋工事現場で爆発物を使用することを共謀し、被告人黒川、桐島の両名において、翌五月一日及び二日に後記手製爆弾と時限装置を用意し、同月三日午前中に桐島が現場を見分するなどして準備をととのえたうえ、同日午後七時ころ、東京都江戸川区北小岩三丁目二四番地所在京成電鉄江戸川橋架替え工事現場で、宇賀神が右工事現場付近の土手で見張りをしている間に、被告人黒川が、容量約一・三リツトルの軽合金製のケースに、塩素酸ナトリウム九八パーセントを含有する除草剤デゾレート約五〇パーセント・黄血塩と砂糖各約二五パーセントの割合で混合した爆薬を約一キログラム詰め、これにトラベルウオツチ・乾電池・ガス点火用ヒーター等からなる起爆装置を接続させ、翌四日午前二時三〇分ころ爆発するようにした時限式手製爆弾一個を、右工事現場にある横河工事株式会社管理の建設工事用の機械であるエアマンロータリーコンプレツサーの下にさきに置いてあつた約二リツトル入りワツクス缶に前同様の除草剤デゾレート約五〇パーセント・黄血塩と砂糖各約二五パーセントの割合で混合した爆薬約二・二キログラムを詰めこれにトラベルウオツチ・乾電池・手製雷管等からなる起爆装置を接続させた手製爆弾の下に、装置し、四日午前二時二六分ころ、右両爆弾を爆発させ、もつて爆発物を使用した

第一三(被告人荒井の爆発物使用幇助事件)

大道寺將司、片岡利明、大道寺あや子、佐々木規夫が、「東アジア反日武装戦線狼」と名乗り、その新旧帝国主義者とする者を対象として爆弾使用による闘争を実行することを企図し、その闘争の一環として、昭和四九年三月ころからは右新旧帝国主義者の頂点にあるとする天皇に対する爆弾攻撃を企て、これを実行に移すため、数次にわたる協議・検討を経て、そのころより、天皇の行動日程等の調査、攻撃方法の研究、爆弾の開発等の諸準備を開始し、また、同年八月中旬ころからは新旧帝国主義者として海外侵略を行なつているとする海外進出企業に対する爆弾による連続攻撃を企てて準備を行ない、

(一)  判示第五のとおり、共謀のうえ、治安を妨げかつ人の身体・財産を害する目的をもつて、昭和四九年八月三〇日東京都千代田区丸の内二丁目五番一号所在三菱重工ビル正面玄関前歩道において

(二)  判示第六のとおり、共謀のうえ、治安を妨げかつ人の財産を害する目的をもつて、同年一一月二四日から二五日にかけて同都日野市旭ヶ丘四丁目三番地の二所在帝人株式会社中央研究所中和槽操作盤室内において

(三)  判示第九の一のとおり、共謀のうえ、治安を妨げかつ人の身体・財産を害する目的をもつて、昭和五〇年二月二八日同都港区北青山二丁目五番八号所在株式会社間組本社ビル九階において

それぞれ塩素酸ナトリウム等を主薬とする混合爆薬を用いた時限式手製爆弾を装置してこれを爆発させ、もつてそれぞれ爆発物を使用するにあたり、

被告人荒井まり子は、右「狼」に加わつて右正犯らの爆弾使用闘争の支援を約すること、爆弾の爆薬材料となる塩素酸ナトリウム及び起爆剤等の材料となる硫黄等の継続的補給を約すること並びにそれらを現実に補給することは、いずれも正犯らの各爆弾使用の犯行の決意を強固ならしめるとともに、提供した爆弾等の材料並びにそれら材料等の購入及び活動のための資金は、現実に爆弾使用闘争に使用ないし利用されることを知りながら、右正犯らの新旧帝国主義者とするもの就中海外進出企業に対する爆弾使用攻撃を容易ならしめる目的をもつて、

一 昭和四九年四月ころ、同都足立区内所在の喫茶店において、大道寺將司らと会合して、前記「東アジア反日武装戦線狼」に加わつて、その新旧帝国主義者とする者に対する一連の爆弾使用闘争を支援することを約し、

二 前同年五月ころ、同都足立区内所在の喫茶店における大道寺將司との会談及びそのころ同人と取り交した書簡によつて、「狼」の前記爆弾使用闘争支援の方法として、爆弾の爆薬等の材料として使用すべき塩素酸ナトリウム等を今後継続的に入手して「狼」に補給することを約し、

三 前同年七月六日ころ、右「狼」の前記爆弾使用闘争の資金として、現金四万五〇〇〇円を、宮城県仙台市内東北大学付属病院郵便局から東京都荒川区南千住七丁目二六番一二号所在大友荘内の大道寺將司あてに現金書留郵便で送付して、同月七日ころ、「狼」の同人らに供与し、

四 前同年八月初旬ころ、右二の約束に基づき、岩手県一関市内において、「狼」の爆弾使用闘争に用いる爆弾の爆薬材料として使用すべき塩素酸ナトリウム九八・五パーセントを含有する除草剤「クサトール」四〇キログラムを入手するなどしたうえ、同月二〇日ころ、東京都荒川区内所在の喫茶店において、右「クサトール」のうち約六キログラムを大道寺將司に手渡して、「狼」の同人らに交付し、

五 前同年九月八日ころ、右二の約束に基づき、宮城県仙台市八幡所在第二青葉荘の自室において、そのころ入手していて「狼」の企業に対する爆弾使用闘争に用いる爆弾の起爆剤材料等として使用すべき硫黄約五〇〇グラムを片岡利明に手渡して、「狼」の同人及び大道寺將司らに交付し、

六 前同年一一月九日ころ、前記大友荘内の右大道寺の居室において、右二の約束に基づき、右四で入手していて「狼」の企業に対する爆弾使用闘争に用いる爆弾の爆薬材料として使用すべき「クサトール」のうち約六キログラムを大道寺將司に手渡して「狼」の同人らに交付するとともに、「狼」の同人らに対し、右「狼」の企業に対する爆弾使用闘争の資金として現金六万円を供与し、

七 昭和五〇年一月一一日ころ、右大道寺の居室において、右二の約束に基づき、右四で入手していて「狼」の企業に対する爆弾使用闘争に用いる爆弾の爆薬材料として使用すべき「クサトール」のうち約八キログラム及びそのころまでに入手していて同様に起爆剤材料等として使用すべき硫黄約一・五キログラムを大道寺將司に手渡して、「狼」の同人らに交付するとともに、「狼」の同人らに対し、右「狼」の企業に対する爆弾使用闘争の資金として、現金三万円を供与し、

もつて、右一ないし四の行為によつて、前記正犯らの(一)の犯行(三菱重工爆破)を、右一ないし六の行為によつて、前記正犯らの(二)の犯行(帝人中央研究所爆破)を、右一ないし七の行為によつて、前記正犯らの(三)の犯行(間組本社九階爆破)をそれぞれ容易ならしめて、これらを幇助した

ものである。

(証拠の標目)(略)

(大道寺あや子・浴田由紀子・佐々木規夫・被告人大道寺・同片岡・同黒川の検察官に対する各供述調書等が証拠能力を欠くとの弁護人らの主張並びにこれに対する当裁判所の判断)

一  弁護人らの主張

1  大道寺あや子、浴田由紀子及び佐々木規夫の検察官に対する各供述調書(謄本)について

刑訴法三二一条一項二号前段は、単に供述者が国外にいるため公判廷で尋問することができないという形式的・外形的な事実だけで足りると解すべきでなく、この点につき現にやむをえない事由のあることが必要と解すべきであるが、右三名が国外において釈放されたことについては、何らその法的根拠等が明らかにされていないので、現にやむをえない事由があるかどうかは不明であり、従つて、右三名の検察官に対する各供述調書は、同条一項二号前段に該当するとはいえない。

また、国は、行政権による緊急行為として右三名の身柄を国外で釈放した以上、右三名に対する訴追権・刑罰権を放棄し、供述者たる右三名の供述録収書についても、証拠としてはすべて放棄したものと解すべきである。すなわち、右三名の釈放により、この釈放に何ら関与していない被告人らは、右三名に対する反対尋問の機会を奪われるに至つたものであるが、国は、その行政権の緊急行為によつて、被告人らの憲法三七条二項により保障される反対尋問権を侵害することは許されないのであるから、これを侵害した以上、右各供述調書をもはや証拠としては放棄したものといわざるをえない。従つて、右各調書は証拠能力がない。

2  大道寺あや子の検察官に対する各供述調書(謄本)について

右各調書は、次のような理由で任意性を欠き、または欠く疑いがあるので、証拠能力がない。すなわち、

(一) 右各調書は、捜査官が、逮捕されて以後昭和五〇年六月三日まで黙秘し続けていた大道寺あや子に対し、黙秘権を侵害するため、次のような違法な取調べを行なつた結果得られたものである。すなわち、大道寺あや子に対し、取調警察官は、「荒井は大道寺(將司)の愛人だつた。そんな男に尽してこのざまだから哀れだ。」、「救援連絡センターの差入れは勝手にやつておいて、あとで金を親に請求する。弁護士費用もそうだ。」、「家族がノイローゼになつている。」旨を、取調検察官も、「何回でも逮捕して勾留できる。」旨をそれぞれ述べ、虚偽及び悔辱的事実の告知、弁護人についての誹謗中傷、威迫的取調べを行なつたものである。

(二) 右各調書は、警察官が、大道寺あや子を逮捕した当日、同女を留置場の医務室で大勢が見ている前で全裸にして違法な身体捜検を行うなどして得られたものである。

(三) 右各調書は、捜査官が、連日深夜に至るまでの長時間の取調べによつて得られたものである。

3  浴田由紀子の検察官に対する各供述調書(謄本)について

右各調書は、次のような理由で任意性を欠き、または欠く疑いがあるので、証拠能力がない。すなわち、

(一) 右各調書は、捜査官が、浴田の逮捕直後から連日、夜一一時すぎまで長時間、低血圧による頭痛・吐き気・肉体的に疲労しきつた状態での浴田を取調べた結果得られたものである。

(二) 取調警察官が、浴田に対し、「きちんと坐れ。」、「足を組むな。」、「ひじを机につけるな。」と怒鳴り、同女が顔をうつむけないように後から頭を押さえつける暴行を加え、斎藤和の死について、「仲間殺し」、「同志殺し」、「おまえが斎藤を殺した。」、「自分だけ生き残つて。彼はまじめにたたかつて死んだ。」などと言つて脅迫を伴なつた取調べを行ない、「斎藤君の遺骨の引受人がいなくて取扱いに困つている。おまえ達の仲間は冷たい。骨さえ引取りに来ない。」と仲間を中傷し、斎藤和との夫婦関係、ロペスその他の人との関係について中傷をして取調べる中で、得られたものである。

(三) 右各調書は、捜査官が、浴田に対し、逮捕直後から接見活動に従事した救援センターの弁護士について、「奴らは組織のことしか考えず、お前達のことなど何も考えていない。」、「親に対してえらい金が請求されることになる。」などと誹謗中傷して救援センターの弁護人の解任を策動し、また、遠縁の者という高橋弥生を浴田に接見させて五月三一日弁護人解任届に署名させ、取調検察官が、勾留理由開示期日取消の理由について、「弁護士の都合でとり止めになつた。」と嘘を言つて弁護士に対する不信をあおり、さらに、取調警察官が、「救援センターではおまえの弁護を引受けられないと言っている。」と嘘を言い、弁護人依頼権を侵害した状態で、右各供述調書は得られたものである。

(四) 六月初めころ作成した供述調書は、取調検察官が浴田に対し、「これは裁判には使わない。」旨偽計を用いて調書に署名指印させて得られたものである。

4  佐々木規夫の検察官に対する各供述調書(謄本)について

右各調書は、次のような理由で任意性を欠き、または欠く疑いがあるので、証拠能力がない。すなわち、

(一) 右各調書は、捜査官が、右佐々木に対し、昭和五〇年五月一九日から六月二日まで連日朝九時から夜一一時まで長時間、疲労している同人の取調べを行なつた結果得られたものである。

(二) 捜査官は、右佐々木に対し、救援センターの弁護士についての誹謗中傷を行なつて、その解任を策動し、昭和五〇年六月二日、有賀弁護士が午後四時から五時までの間の一五分間という接見指定書をもつて接見に赴いたのに、取調中であるとして接見を拒否され、同弁護士は、同日午後六時五分からの接見を余儀なくされたが、この間に供述調書が作成されるという、弁護人依頼権が十分保障されない状態で、供述調書が得られたものである。

(三) 右各調書は、捜査官が、右佐々木に対し、その髪の毛や胸元をつかんだり、その耳もとで人殺しと怒鳴つたり、小突いたり、蹴つたりして暴行、脅迫を加えた取調べの結果得られたものである。なお、同年七月一日の間組引き当たりの際間組社員がこずいたり髪の毛を引つぱるのを警察は放置した事実もある。

5  被告人大道寺將司の検察官に対する各供述調書について

右各調書は、次のような理由で任意性を欠き、または欠く疑いがあるので、証拠能力がない。すなわち、

(一) 右各調書は、捜査官が、連日午前八時ころから翌日午前零時ころまでの長時間にわたつて、痔などの肉体的苦痛を伴う持病のある右大道寺を取調べた結果得られたものである。

(二) 右各調書は、捜査官が、逮捕・勾留の被疑事実たる韓国産業経済研究所事件を利用し、これとは全く関係のない別件の三菱重工事件についての取調べに終始する違法取調べの結果得られたものである。

(三) 右各証拠は、捜査官が、右大道寺の取調中に、同人を正座させたり、その肩、胸、腕を叩き、頭をつかんでゆさぶり、耳もとで大声で叫んだりして暴行を加え、右大道寺を罵倒し、供述をしなければ、その友人を逮捕すると脅迫し、右大道寺に喫煙の習慣のあることを知つて、同人の自白開始とともに煙草を無制限に与えて自供を続けさせるなど、暴行・脅迫・利益供与を行なつた結果得られたものである。

(四) 右各調書は、捜査官が、弁護人の接見を妨害し、また、右大道寺に対し、一回弁護士が接見に来ると、弁護士から二、三万円親に請求されるなどと虚偽のことを告げるなど弁護士を誹謗中傷する中で得られたものである。

(五) 右各調書は、捜査官が、右大道寺に対し、自白すれば、大道寺あや子は助かるとか、自白せねば荒井も同じ罪になると申し向けて動揺させ、また、訴訟手続に関し、「裁判になつて被告人が主張するためには供述調書を作つておかなければ駄目だ。」などと虚偽の事実を告知するなど欺罔・偽計を行なうことによつて得られたものである。

(六) 荒川鉄橋事件についての供述調書は、取調検察官が、右大道寺に対し、同事件を公表しない、換言すれば起訴しない旨申し向け、また、「弁護人が起訴してくれと言つている。」旨虚偽の事実を告げて、右大道寺と弁護人との信頼関係を破壊することによつて得られたものである。

6  被告人片岡の検察官に対する各供述調書について

右各調書は、次のような理由で任意性を欠き、または欠く疑いがあるので、証拠能力がない。すなわち、

(一) 右各調書は、捜査官が、右片岡を、連日午前九時から午後一〇時ないし一一時までの長時間取調べ、とくに、六月に入つてからは午前一時までも取調べた結果得られたものである。

(二) 右各調書は、捜査官が、逮捕・勾留の被疑事実である韓国産業経済研究所事件を利用し、これとは全く別の三菱重工事件についての取調べに終始する違法取調べの結果得られたものである。

(三) 右各調書は、捜査官が、右片岡に対し、三菱重工事件につき、「死んだ人のことを考えろ。」等と威迫し、疲れて体をくずそうとする同人に怒鳴り、黙秘すると机をたたくなどして威迫した結果得られたものである。

(四) 右各供述調書は、取調警察官が、右片岡に対し、「救対の弁護士は被疑者本人のことなど考えず、自分たちの反権力闘争のためにおまえの黙秘を宣伝材料にしたいだけだ。弁護士料は一回二、三万円で、まとめて家族に請求がいく。解任してしまえ。」と言つて、弁護人を誹謗中傷して弁護人選任権を妨害し、弁護人解任を強要し、取調検察官も、弁護人の解任をすすめ、昭和五〇年五月二五日解任させ、同年六月には捜査官は右片岡と弁護人の関係を完全に断ち切るために、片岡から父親の友人二名の名を聞き出し、接見許可の時間を大幅にこえて接見させて他の弁護士をつけさせようとし、また、片岡の家族にも、片岡に書かせた手紙を持参し、他の弁護士を捜すように強要し、主任検察官は六月一二日から一六日までの間、弁護人の接見妨害を行なつて、弁護人をかえさせる工作を進行させる中で、右各供述調書を得たものである。

(五) 取調警察官は、右片岡に対し、「黙秘したら助からない。君を助けたいから自供をすすめる。すべてを明らかにすれば死刑をさける可能性がある。」と述べ、或いは、「大道寺將司は、その活動日誌に、片岡を殺す計画を書いていた。」旨告げて右大道寺に対する不信感を与え、その後も、「情状裁判で無期になるかもしれない。天皇恩赦もあるだろう。」と述べ、また、取調検察官も、「裁判所は、検事が十分取調べたことだけを信用する。検事調べの際黙秘して、裁判所で述べたところで言訳としかみられない。調書にしておくからこそ裁判所にも言いたいことが伝わる。」旨虚偽の事実を告げ、捜査官は、六月に、分離公判をすれば刑が軽くなると吹き込んで相被疑者に対する不信感をうえつけ、大道寺將司の指導性を強調した調書をつくれば有利だと述べて自供を続けさせ、取調警察官らは、主任検察官に被告人片岡の助命を頼んでやると述べたり、取調検察官も、「私が頑張つて間組事件に殺人未遂がつかないようにしてやつた。」などと述べて捜査官を信頼させ、自供を続ければ助かるとたびたび吹き込み、取調警察官は、五月二一日、黙秘する片岡に対し、パン・牛乳等を与え自供に追いこみ、五月二四日の再自供の後は、毎日飲食させ、さらにうな重、寿司等の供応をし、六月後半にはピクニツクに連れていくと申し向けて、供述させ、実際にも、捜査官は、七月二〇日、片岡をピクニツクに連れていき、書籍を贈与するなどし、以上のような欺罔・偽計・利益誘導等によつて、前記各供述調書は得られたものである。

(六) 取調検察官は、右片岡に対し、昭和五〇年六月初め、興亜観音七士之碑等、総持寺、北大文学部北方文化研究施設、風雪の群像各爆破事件について供述を求める際、「面倒なので、起訴はしたくない。」と述べ、また、同月二一日付の荒川鉄橋事件についての調書を得る際にも、これを得てからも、公表しないことを確約しているが、公表しないとは起訴しないという意味しかありえず、結局不起訴約束に基づいて供述を得たものであり、さらに、荒川鉄橋事件については、同年九月二〇日付朝日新聞のスクープは、鈴木弁護人が情報提供者であるとか、弁護人が起訴を望んでいるとか虚偽の事実を述べて、弁護人に対する不信感をあおり、「天皇の戦犯問題が法廷に出れば、裁判官は、君たちを死刑にできないだろう。」などと片岡の最も恐れている死刑問題について、同人の意を迎えることを申し向けたうえで検察官に対する供述調書を得たものである。

7  被告人黒川の検察官に対する各供述調書及び申述書について

右各供述調書及び申述書は、次のような理由で任意性を欠き、または欠く疑いがあるので、証拠能力がない。すなわち

(一) 右申述書は、昭和五〇年五月二五日作成されたものであるが、右黒川は、捜査官によつて、同年五月一九日の逮捕直後から約一週間連日にわたり長時間の取調べを受け、弁護人選任権及び弁護人との接見交通権を侵害され、弁護人について誹謗中傷を聞かされ、また、昼夜を問わない二四時間の監視態勢と劣悪な環境のもと、睡眠不足と持病のぜんそくにより極度の精神的・肉体的疲労状態にある中で、右違法取調べを受けた結果、作成するに至つたものである。

(二) 右各供述調書は、捜査官が、右黒川を、その逮捕以来、連日早朝から深夜まで長時間にわたり強制的に取調べた結果得られたものである。

(三) 右各調書は、捜査官が、黒川に対し、弁護人を解任しなければ勾留理由開示法廷への不出頭を認めないと裁判所が言つている旨虚偽の事実を告知して、弁護人の解任を勧め、解任届を作成させて、弁護人選任権を妨害して、得られたものである。

(四) 右各調書は、捜査官が、黒川に対し、接見にきた弁護人について、「押しかけ弁護士であり、そのやり方は異常であり、不純な意図がある。君たちに黙秘をすすめることでこの事件の本質を隠蔽し、君たちを新左翼レベルに引きずりおろそうとしている。」などと虚偽の事実を告げて弁護人を誹謗中傷し、黙秘権を侵害し、弁護人の弁護活動を受ける権利を侵害する中で、得られたものである。

(五) 右各調書は、捜査官が、黒川に対し、「君達が黙つていれば全ての事件で起訴することになるし、でつち上げもやる。たとえ黙秘しても全員を全ての事件で勾留をし、長期にわたつて調べる。われわれもこの事件の処理を早く終らせ、君たちにも勉強のための自由時間を与えたい。」などと申し向けて、威圧的取調べを行ない、また、逮捕されていない友人・家族に対しても強制捜査を行なう旨不法な告知をして自白を強要した結果得られたものである。

(六) 右各調書は、捜査官が、意図的に、右黒川に対する弁護人の接見申し入れを妨害し、長期間にわたり接見を行なわせず、接見交通権を侵害した結果得られたものである。

(七) 右各調書は、捜査官が、右黒川に対し、食料を与えて利益供与をしたり、また、逆に、意図的に交通騒音の激しい房に留置して苦痛を与えて得られたものである。

二  当裁判所の判断

1  大道寺あや子、浴田由紀子及び佐々木規夫の検察官に対する各供述調書(謄本)の刑訴法三二一条一項二号前段の要件具備に関する点及び国の右各調書の証拠放棄の点の主張については、検察官増井清彦作成の昭和五〇年九月九日付回答書(謄本)によれば、佐々木規夫は、クアラルンプールにおける大使館占拠事件によつて昭和五〇年八月六日に、検察官古賀宏之作成の「被告人の釈放について(通報)」と題する昭和五二年一〇月六日付書面、東京拘置所長河口譲作成の「勾留被告人の釈放について(通知)」と題する昭和五二年一〇月六日付書面及び検察官の昭和五二年一〇月一四日付釈明書によれば、大道寺あや子及び浴田由紀子は、ダツカにおける日航機ハイジヤツク事件によつて昭和五二年一〇月二日に、いずれも国外で釈放されたことが認められ、現在もなお国外にいるものと考えられ、しかも、右三名は、右各事件の緊急事態下に、その犯人らの無法な要求により、やむなく国外で釈放されたものであるから、右三名の検察官に対する各供述調書が刑訴法三二一条一項二号前段の要件に該当することは明白であり、また、国が右釈放によつて右各供述調書を証拠とすることを放棄したとも、そのように解すべきものとも到底認められないので、弁護人らの右主張は理由がない。

2  大道寺あや子の検察官に対する各供述調書(謄本)については、前掲各証拠のほか、

一、証人水流正彦及び同多田俊夫の当公判廷における各供述

一、大道寺あや子の一九七五年六月三日付供述書(写)

一、大道寺あや子の検察官に対する昭和五〇年六月九日付及び同年六月二九日付各供述調書(いずれも謄本、後者は送致書記載の犯罪事実添付のもの)

一、検察事務官渡邊忠作成の昭和五〇年六月一九日付捜査報告書(謄本、計算メモ二枚添付)

一、警視宗末一則作成の昭和五三年一一月六日付照会回答書

一、司法警察員松本郁雄作成の身体検査調書

を総合すると、検察官及び警察官が右大道寺あや子に対し、弁護人ら主張のような虚偽及び侮辱的事実の告知をしたり、弁護人を誹謗中傷したり、威迫的取調べをしたりした事実は認められず、身体捜検についても何ら違法の点はなく、取調時間については、昭和五〇年六月一九日には午後一一時五五分にまで及んだことがあつたが、そのほかは遅いときでも午後一一時前後には終わつており、取調べが昼食又は夕食時にかかるときは、一時間以上の休けい時間を与えていることが認められるので、取調時間の点には右各供述調書の任意性に疑いを生ぜしめるものはなく、その他、右各供述調書に任意性を欠いたり、またはこれを疑わしめたりする事実は認められない。

右大道寺あや子は、取調べの当初は、黙秘していたが、数日後の五月二五、二六日ころからその態度も軟くなり、同月末ころには三菱重工事件の被害者に関し涙を見せるようになり、六月二日に至り、自分たちのやつたことは正しいのでざんげはしないが、責任を明確化すると述べ、翌三日自供の心情及び経緯を供述書にしたため、四日警察官・検察官に自供して調書が作成されたこと、検察官に対する供述調書のうち三通には大道寺あや子自身作成した図面が添付されていること、同調書のうち四通には同人の申立てにより訂正がなされていることが認められ、六月に入つてからは検察官の取調べの間に大道寺あや子の談笑さえ窺われたこと等からすれば、右各供述調書に任意性があり、証拠能力があることは明らかである。

3 浴田由紀子の検察官に対する各供述調書(謄本)については、前掲各証拠のほか、

一、証人村田恒及び同好永幾雄の当公判廷における各供述

一、浴田由紀子の検察官に対する昭和五〇年五月二一日付供述調書(謄本)

一、浴田由紀子作成の昭和五〇年六月一日付解任届(写)

一、司法警察員小原千明作成の昭和五三年一〇月三〇日付照会回答書

一、警視小山方和作成の昭和五三年一一月九日付照会回答書

一、検察官加藤圭一作成の昭和五四年二月九日付電話聴取書

を総合すると、捜査官の右浴田に対する取調時間については、遅いときでも午後一〇時前後には終わつていて、連日夜一一時すぎになつたということはなく、取調べが午後から夜間にわたるときは昼食、夕食各約一時間の休けいを与え、同人の体調については五月二一日、六月三日、六月二五日医師の診断を受けさせていて、その際、浴田は注射投薬を拒否していることが認められるので、これらの点には右各調書の任意性に疑いを生ぜしめるものはなく、警察官による暴行・脅迫、浴田の仲間への中傷、救援センターの弁護士についての中傷及びそれによる解任策動は認められず、高橋弥生が浴田に接見したこと及び同人が六月一日付弁護人解任届を書いたことは認められるが、これは、救援センターの弁護人を解任させるために捜査官が高橋弥生を接見させたものではなく、弁護人解任届は浴田が自らの意思で書いたものであり、検察官は、勾留理由開示期日取消の理由については弁護人が請求を取下げた旨、捜査の総括班の連絡どおり告げたにすぎず、警察官が弁護士に対する不信をあおつたり、嘘を言つたりして、弁護人依頼権を侵害した事実、検察官が偽計によつて調書に署名指印させた事実は何れも認められず、その他、右各供述調書に任意性を欠いたり、またはこれを疑わしめたりする事実は認められない。

右浴田は、取調の当初は黙秘していたが、五月二八日ころから自分は爼上の鯉だから一切合財罪を負つてもよい旨を述べるに至り、六月二日夕方から自供を始めたこと、その際も全面自供するから若干猶予してほしい旨述べ、翌三日以降自供するに至つたこと、検察官に対する供述調書のうち六通には浴田自身作成した図面が添付されていること、同調書のうち五通には同人の申立てにより訂正がなされていることが認められ、取調べが進むにつれて、同人は昼休みには歌を口ずさむようになつた状態も窺えること等からすれば、右各供述調書に任意性があり、証拠能力があることは明らかである。

4 佐々木規夫の検察官に対する各供述調書(謄本)については、前掲各証拠のほか、

一、証人長山四郎の当公判廷における供述

一、警視小山方和作成の昭和五三年一一月一日付照会回答書

一、警視庁丸の内警察署長作成の昭和五三年一〇月三一日付照会回答書

を総合すると、捜査官の佐々木に対する取調時間については、午後一〇時前後には取調べが終わつており、夕食時には三〇分ないし四〇分間の休けいを、取調べが八時、九時までになつたときは二〇分ないし三〇分間の休息をとつて雑談、休操等をしたことが認められるので、取調時間の点には右各調書の任意性に疑いを生ぜしめるものはなく、救援センターの弁護士に対する誹謗中傷をしたことは認められず、昭和五〇年六月二日の有賀弁護士の接見については、佐々木は同年六月二日午後一時ころから警察での取調べに対して自供をして、その調書作成が午後三時ころ終り、その後、同人が検察官の取調べにも応ずるとのことで、取調べがなされ、検察官調書が口授作成されている際、右弁護人が接見にきたため、すぐには接見させず、当日右取調終了後に接見させていることが認められ、これは刑訴法三九条三項により許されないものではないから違法はなく、取調べの際に暴行脅迫がなされたことも認められず、また、引き当たりの際間組社員の暴行があつたとの事実も認められないばかりか、もともと右引き当たり時期は同年七月一日である旨弁護人らは主張しているところ、佐々木の検察官に対する供述調書は、同年六月二日付及び同月七日付であるから、時期的にみて、その任意性に関係のないことが明らかである。その他、右各供述調書に任意性を欠いたり、またはこれを疑わしめたりする事実は認められない。

右佐々木は、取調べの当初は黙秘していたものの、取調官の説得によつて六月二日午後一時ころから自供を始めるに至つたものであるが、佐々木は、その以前から取調官に対し、責任逃れはしない、自分の判断で時機をみて話すと述べていたこと等からすれば、右各供述調書に任意性があり、証拠能力があることは明らかである。

5 被告人大道寺將司の検察官に対する各供述調書については、前掲各証拠のほか、

一、証人高橋武生及び同長山四郎の当公判廷における各供述

一、被告人大道寺將司の検察官に対する昭和五〇年五月二一日付及び同年一〇月三一日付各供述調書

一、被告人大道寺將司作成の昭和五〇年五月三一日付書面

一、警視高田康雄作成の昭和五三年一一月二日付照会回答書

一、東京拘置所長河口譲作成の昭和五三年一〇月二八日付照会回答書中の被告人大道寺將司に関する部分

一、朝日新聞縮刷版昭和五〇年九月二〇日付朝刊第一面及び同一〇月二九日付第一三面(いずれも写)

一、被告人大道寺の日記・メモの記載された便せん二冊

一、検察官加藤圭一作成の昭和五四年二月一六日付電話聴取書

を総合すると、捜査官の被告人大道寺に対する取調時間については、朝はおおむね午前一〇時前後から夜は午後一一時前後まで取調べがなされているが、昼食時及び夕食時に約一時間の休けいを与えていたことが認められるので、取調時間の点には右各調書の任意性に疑いを生ぜしめるものはなく、韓国産業経済研究所事件での勾留中に、別件ではあるが被告人らの一連の企業爆破闘争の一つであり、経過としても犯情としても密接な関連をもつ三菱重工事件について取調べることは、右韓国産業経済研究所事件について勾留の理由と必要性がある以上、許されるものであり、捜査官の被告人大道寺に対する暴行、脅迫、利益誘導、弁護人に対する接見妨害及びその誹謗中傷、訴訟手続に関する虚偽事実等の告知による欺罔・偽計による取調べなどの各事実は、いずれも認められず、その他、右各供述調書に任意性を欠いたり、またはこれを疑わしめたりする事実は認められない。

同被告人は、取調べに対し、当初は身上関係は供述したものの、事実については黙秘していたが、逮捕された数日後には自白の徴候を示し、五月二四日から自白をし始め、その後供述を拒否することもあつたけれども、五月三一日には佐々木規夫らに対する書面を記し、その内容は、検察官に対する自白は権力に屈服したものでなく自白の意思によつて自己らの行なつた一連の戦いの意義を明らかにするためであるとしていること、また、同被告人の検察官に対する供述調書のうち数通には同被告人自身の作成した図面が添付されていることが認められ、次に、荒川鉄橋事件についても、当初検察官が公表を望んでいなかつたことは認められるが、不起訴約束までは認められず、同被告人は、三菱重工事件の取調過程である昭和五〇年六月二〇日ころすでに自白しており、強制捜査開始後の自白は当初の自白の内容を確認ないし敷衍したものであること、同被告人の日記・メモを記載した便せんには、右事件の動機・目的・計画・準備の詳細を記載し、検察官が同事件を公表し起訴することを要求する記載もあることからすれば、不起訴又は不公表の約束を信じて自白したとも、検察官が同被告人に対し弁護人の発言として告げたとされるところによつて自白したとも認められない。

従つて、右各供述調書に任意性があり、証拠能力があることは明らかである。

6 被告人片岡の検察官に対する各供述調書については、前掲各証拠のほか、

一、証人根本宗彦、同友野弘及び同松浦恂の当公判廷における各供述

一、被告人片岡作成の昭和五〇年五月二一日付供述書

一、被告人片岡の検察官に対する昭和五〇年五月二一日付及び同年一〇月三一日付各供述調書

一、被告人片岡作成の昭和五〇年五月二五日付解任届

一、被告人片岡作成の昭和五〇年五月三一日付発信許可願(写、書信二枚添付)

一、警視國嵜隼任作成の昭和五三年一〇月二八日付照会回答書

一、東京拘置所長河口譲作成の昭和五三年一〇月二八日付照会回答書中の被告人片岡に関する部分

一、葛生良一作成の接見禁止一部解除願六通(いずれも写)

一、昭和五〇年七月四日付、同年七月八日付、同年七月一一日付、同年七月一五日付、同年七月一八日付及び同年七月二一日付各接見許可決定(いずれも写)

一、東京地方裁判所刑事第一四部裁判官須田賢作成の昭和五〇年六月一四日付決定(写、昭和五〇年(む)の(イ)第四四三号)

一、弁護士笠井治作成の昭和五〇年六月一三日付準抗告申立書(写)

を総合すると、捜査官の被告人片岡に対する取調時間については、午前九時ころから午後一一時前後まで取調べていることは認められるが、その際昼食及び夕食時には一時間ないし一時間半の休けいを与え、他にも途中で休けい時間を与えていることが認められるので、取調時間の点には右各調書の任意性に疑いを生ぜしめるものはなく、韓国産業経済研究所事件での勾留中に、別件ではあるが被告人らの一連の企業爆破闘争の一つであり経過としても犯情としても密接な関連をもつ三菱重工事件について取調べることは、右韓国産業経済研究所事件について勾留の理由と必要性がある以上、許されるものであり、捜査官の被告人片岡に対する威迫、捜査官の弁護人についての誹謗中傷及びそれによる弁護人解任強要、偽計による取調べ等の事実は認められず、情状酌量・天皇恩赦についての話が三回目の起訴後に出たことは認められるが、この段階ではすでに大半の自供を終えているのであるから、自白を得るためにその話がなされたとは認められず、捜査官が被告人片岡の弁護人選任問題について関与しようとした点が窺えるところ、これが善意に出たものであつても、その妥当性については疑問を感ぜざるをえないが、捜査官は、弁護人との信頼関係をたち切つて自白を得るために父親の友人を接見させるなどの工作をしたとも認められず、解任届は同被告人がみずからの意思で書いたものと認められ、弁護人との接見を妨害したとの点は、昭和五〇年六月一三日から六月一六日まで検察官は弁護人に接見させなかつたことは認められるが、これはすでに起訴ずみの韓国産業経済研究所事件の弁護人が、三菱重工等被疑事件の勾留中に接見を求めたものであるところ、このような場合に三菱重工等被疑事件の捜査の必要から接見指定をすることは許されるものと解されるし、この段階での三菱重工等被疑事件の捜査の必要性が大であること、それにひきかえ韓国産業経済研究所事件の公判打合わせの緊急性の小さいこと、六月一七日には弁護人が接見していること、検察官の接見をさせない右処分については六月一三日に弁護人から準抗告申立がなされ六月一四日に東京地方裁判所刑事第一四部裁判官によつて棄却決定がなされているので、検察官はこの決定に従つたものであることからすれば、接見をさせなかつた右期間における取調べが被告人片岡の供述の任意性に影響するものとは認められず、捜査官がことさらに他の被告人への不信感を与えたり、助命を頼んでやるとか間組事件に殺人未遂がつかないようにしてやつたなどと述べて捜査官を信頼させたりして、自供を続けさせた事実は認められず、捜査官が自供を続ければ助かると言つたことも認められず、パンと牛乳の供与の点は、同被告人が昭和五〇年五月一九日ころから絶食していたため、捜査官においてパンと牛乳を与えたものであつて、自白を得ることと関係がなく、その他食事及び書籍の供与は取調べがすべて終わり東京拘置所に移監になる直前ころであつて供述調書の任意性とは関係がないと認められ、ピクニツクの点は、捜査官が実況見分の目的で奥多摩に連れて行つたものと認められ、興亜観音七士之碑等・総持寺・北大文学部北方文化研究施設・風雪の群像各爆破事件について、捜査官が不起訴約束をしたとは認められず、その他右各供述調書に任意性を欠いたり、またはこれを疑わしめたりする事実は認められない。

同被告人は、逮捕後まもない五月二一日警察官の取調べの際、みずから供述書を作成し、翌二二日検察官に対し自供を始めていること、同月三一日にはその父に対する書簡で本件各犯行がえん罪ではなく、これに対して責任をとること等を記載していること、同被告人の検察官に対する供述調書のうち一〇通には同被告人自身の作成した図面が添付されていることが認められるのであり、次に、荒川鉄橋事件についても、当初検察官が公表を望んでいなかつたことは認められるが、不起訴約束までは認められず、同被告人は三菱重工事件の取調過程である昭和五〇年六月二一日ころすでに自白しており、強制捜査開始後の自白は当初の自白の内容を確認ないし敷衍したものであること、その他被告人大道寺の検察官に対する各供述調書の項で述べたと同様のことが認められ、これらの事実からすれば、右各供述調書に任意性があり、証拠能力があることは明らかである。

7 被告人黒川の検察官に対する各供述調書及び申述書については、前掲各証拠のほか、

一、証人松浦恂の当公判廷における供述

一、被告人黒川作成の「勾留理由の開示裁判について」と題する書面(写)

一、被告人黒川作成の「弁護人の解任について」と題する書面二通(いずれも写)

一、警視正應矢重作作成の昭和五三年一〇月三〇日付照会回答書

一、東京地方裁判所刑事第一四部裁判官須田賢作成の昭和五〇年六月一四日付決定(写、昭和五〇年(む)の(イ)第四四二号)

一、被告人黒川作成の昭和五〇年五月二五日付申述書(写)

一、弁護士内藤義三作成の昭和五〇年六月一二日付準抗告申立書(写)

を総合すると、捜査官の被告人黒川に対する取調時間については、おおむね午前九時すぎから午後一一時まで昼食及び夕食の休けいをはさんで取調べが行なわれており、同被告人が劣悪な環境及び持病のため精神的・肉体的に極度の疲労状態にあつたとは認められないので、これらの点には右各調書及び申述書の任意性に疑いを生ぜしめるものはなく、捜査官の虚偽の事実の告知による弁護人解任策動及び虚偽の事実を述べての弁護人への誹謗中傷及び威圧的または不法な事実告知による取調べの各事実はいずれも認められず、弁護人解任届は被告人黒川がみずからの意思で書いたものと認められ、弁護人との接見の点については、昭和五〇年六月一二日の弁護人の接見申し出に対し、検察官は六月一三日から六月一五日まで接見させなかつたことは認められるが、これはすでに起訴ずみの韓国産業経済研究所事件の弁護人が、鹿島建設被疑事件の勾留中に接見を求めたものであるところ、このような場合に鹿島建設被疑事件の捜査の必要から接見指定をすることは許されるものと解されるし、この段階での鹿島建設被疑事件の捜査の必要性が大であること、それにひきかえ韓国産業経済研究所被告事件の公判打合わせの緊急性の小さいこと、六月一六日には弁護人が接見していること、検察官の接見をさせない右処分については六月一三日に弁護人から準抗告申立がなされ、六月一四日に東京地方裁判所刑事第一四部裁判官によつて棄却決定がなされているので、検察官はこれに従つたものであることからすれば、接見をさせなかつた右期間における取調べが被告人黒川の供述の任意性に影響するものとは認められず、その他捜査官が食料の供与、交通騒音の激しい房への意図的留置などで同被告人の自供を得ようとした事実は認められないし、右各供述調書に任意性を欠いたり、またはこれを疑わしめたりする事実は認められない。

同被告人は、取調べの当初は黙秘していたが、数日後の五月二四日には検察官に申出てみずから申述書を書き始め、当日は目次のみ記載し、翌二五日に同日付申述書を書き終え、同月二六日これに基づいて自供し始め、翌二七日に供述調書が作成されたこと、同被告人の検察官調書のうち七通には同被告人自身作成した図面が添付されていることが認められ、これらの事実からすれば、同被告人の右各供述調書及び申述書に任意性があり、証拠能力があることは明らかである。

(三菱重工爆破事件における殺意の有無について)

一  被告人大道寺、同片岡及び弁護人らの主張

被告人大道寺、同片岡及び弁護人らは、三菱重工爆破事件において、右被告人らには殺意がなかつたと主張して、殺人・同未遂の成立を争い、その理由として、同被告人らは爆弾の威力を十分には認識していなかつたこと、ビルのガラスが道路側に落下することを予測しなかつたこと、予告電話をしたことなどを挙げている。すなわち、

1  右被告人らは、本件以前に手製雷管を起爆装置としたセジツト爆薬の爆発実験をした際、雷管が爆発したのみで、セジツトは爆発せず、炎で着火しても瞬時に燃えるだけで燃焼が持続せずに立消えする有様であつて、セジツト爆薬の爆燃の可能性すら疑わしい状態であつたから、本件セジツト爆薬の威力を過小に認識していた。そのため、右被告人らは、他の鋭敏な火薬類との混合によつてセジツトの鈍感性を改善し、最低限爆燃させてその爆発力を利用し、その威力の低さを量で補い、また、相乗効果で一部爆轟に達することも期待できるのではなかろうかと考えた。本件爆薬についても、セジツトが爆轟する場合には通常の混合爆薬と同様TNT爆薬の二、三割の威力を期待したが、爆燃にとどまる可能性が極めて大であると考え、その場合の爆発力はTNT爆薬の一割程度にも達しないであろうと予測した。しかるに、本件爆発物が爆轟し、多くの死傷者が出たのは、被告人らの前記予測をはるかに超えたものである。捜査段階で知りえたところでは、右被告人らが実験したセジツトは、ろう状に固まつていたため失敗したのに反し、三菱重工に仕掛けた爆弾の爆薬はぼろぼろの状態であつたため爆発したもののようである。セジツトを爆発させるのにどのような状態がよいかの知識は、犯行当時の被告人らには全然なく、三菱重工爆破に用いたセジツトは、作業の過程でたまたまぼろぼろになつたため、右被告人らの予想をはるかに超える破壊力を生み出したと思われる。

2  破損したビルの窓ガラス片の落下によつて多数の負傷者が発生したが、このようなことは、右被告人らはもちろん、専門家においてさえ予想し得ないものであつた。右被告人らを含め一般の常識からすれば、爆風を受けたガラスはその方向に従つて破壊されると思われ、爆風に対する側にも飛散するとは全く想像し得なかつたし、まして、本件のようにかなり離れたビルの窓ガラスが破損して地上に落下するという事態は予想し得なかつたものである。

3  右被告人らは、爆発によつて死傷者を出さないようにすべきであると考え、爆発物を仕掛けたことを、事前に、電話で、企業側に連絡し、従業員ら及び通行人らを退避させるよう警告をし、その際、仕掛けた場所と避難方法を明示し、爆発物の外部にも危険物たる表示をしていたので、爆発による死傷者の発生を確実に回避できると考えた。ところが、爆発の八分前から行なつた電話による警告は、企業側に信用されず、電話が切られるなどしたため、避難が行なわれないまま爆発した結果、多数の死傷者が生じたものである。

以上のとおり、本件死傷者の発生は、右被告人大道寺・同片岡らが当初予想せず、或いは避けるべきであると考えていたのに、その予測不可能な偶然の事象が重なつたゆえであり、右被告人らには殺意は存在しなかつたものである。

二  右主張に対する当裁判所の判断

右主張に対し、前掲各証拠を総合して次のとおり判断する。

1  三菱重工爆破に用いた爆弾の構造

被告人らが製造・使用した本件二個の爆弾の構造は、直径約二九センチメートル、深さ約三五センチメートル、厚さ約〇・五ミリメートルの鋼板製の円筒型金属缶(ペール缶)二個の中に、判示のとおり、塩素酸ナトリウム・ワセリン・パラフインを組成分とするいわゆるセジツト爆薬を主に、塩素酸ナトリウム及び塩素酸カリウムを用いた混合爆薬計二十数キログラムずつを入れ、その中に手製雷管各一個を装着し、右雷管を、九ボルトの積層乾電池と旅行用目覚し時計を用いて作つた時限通電式の電気回路で接続した時限起爆式の手製爆弾である。

このように本件で使用された二個の爆弾は、塩素酸塩系の混合爆薬二十数キログラムのもの二発という多量の爆薬を用いた大型の爆弾であつたこと、起爆力を高めるため起爆装置に雷管を用いたこと、爆発力を強めるため、数種の混合爆薬を用い、その充填の方法にも工夫をして塩素酸カリウム系の爆薬を雷管の周囲に充填したこと、弾体となる容器に気密性が高く頑丈なものを用いたことが認められる。

2  本件爆弾の客観的威力

本件爆弾の威力を、その爆発によつて発生した被害者らの死傷状況及び物的被害状況等の客観的な面から考察する。

本件二個の爆弾の爆発により、爆心地近くの三菱重工ビル玄関前付近、同ビル一階玄関ホール付近、同ビル西側歩道上に居合わせた清涼肇ら八名が死亡し、うち五名は即死したものであり、爆心地周辺路上並びに爆心地点に向かい合つた三菱重工ビル及び三菱電機ビル内等に居合わせた村田英雄ら少くとも一六五名の多数が創傷を負い、うち一ヶ月以上の重傷者は五十数名に達しており、三菱重工ビルの玄関付近の破壊状況の大きいことはいうまでもなく、また、右両ビルをはじめ周辺の高層ビルの窓ガラス多数が破壊されるなど合計四億円余の物的損害を生じ、このように、多大の人的・物的被害が発生していて、本件爆弾の威力は、極めて強大なものであつたことが認められる。

(一) 本件爆弾の爆発による破壊力の強烈さは、司法警察員樋口束作成の実況見分調書(検察官請求証拠甲二1)添付の現場写真に明らかであるが、たとえば、爆心地直下に生じたコンクリートの漏斗孔は、径約五〇ないし四〇センチメートル、深さ一二・四センチメートルのものと径三五センチメートル、深さ四センチメートルのもので、また、その直下の三菱重工ビル地下室に与えた影響をみると、その天井部分に長径一四二センチメートル・短径八四センチメートル・深さ二七センチメートルのコンクリートの剥離を生じさせている。とくに、本件爆心地直近の歩道上に設置されていた人造石フラワーポツト(鉢の部分の直径約一・〇八メートル、重量合計約三八四キログラム)は、粉砕されて跡形もなく飛散しており、その大きなコンクリート片二個(長片一二センチメートル・短片七センチメートルのものと長片八センチメートル・短片六センチメートルのもの)が、三菱重工ビル二階の技術契約課の室内にまで飛び込み、さらに、同ビルの正面玄関及びその周辺は原形を留めないほどに破壊され、玄関の金属性ドア二個が二〇メートル前後も吹き飛ばされ、地上九階(一部一〇階、塔屋二階、九階屋上までの高さ約三一メートル、間口約一〇〇メートル、奥行約三四メートル)の三菱重工ビル及びこれと道路を挾んで向かい合つた高さ・間口においてほぼ同規模の三菱電機ビルそれぞれの爆心地に面した側の窓ガラス(厚さ約八ミリメートル前後のもの)は、最上階に至るまで、ほぼ全面的に破壊され、さらに、爆心地より約七〇メートル以上の距離にある三菱商事ビル別館・千代田ビル及び古河ビル等の窓ガラスも、爆心地に面した部分が広範囲にわたり多数破壊されていることが認められる。

また、前記のように爆心地付近に居合わせて爆死した清涼肇、山崎隆司、二見甫、石橋光明及び長谷川健の各被害者の着衣は、いずれもぼろぼろに破れ、その四肢などが広範囲にわたつて挫滅しており、とくに右二見の死体は、左上腕部及び左大腿部がいずれも欠損し、その千切れて挫滅した左大腿部が付近に落下しているなど、各死体は見るも痛ましい凄惨極まる損壊状態にあること、爆心地から南に約二〇メートル離れた三菱重工ビル前の歩道上を歩いていた松田とし子は、爆風で飛ばされ頭部を打つて右大脳挫砕により死亡したこと、爆心地から南に約五〇メートルくらい離れた三菱重工ビル西南角付近の歩道上を南へ向け歩行中の増田悦子(別紙負傷者一覧表番号20、以下負傷者につき同表の番号だけを略記する。)は、背後から爆風を受けて三メートルくらい飛ばされ、車道上に転倒したこと、爆心地から南へ六十数メートル離れた古河ビル西北側歩道上にいた遊川昭三(番号158)の左足に受けた爆創は、貫通してその傷口がぱつくりと開いていたほどであつたこと等が認められる。

以上の事実から、死者の出た爆心地付近はもちろんのこと、三菱重工ビルと三菱電機ビルの間を通ずるいわゆる丸の内仲通りのうち、三菱重工ビル玄関前の爆心地から南北に少くとも約五〇メートルの範囲内の路上にいた人々は、本件爆弾の爆発による爆風、飛散する弾体及び損壊した建物等の破片によつて死亡する可能性のある範囲内にいたものと認められる。

(二) 次に、三菱重工ビル及び三菱電機ビル内にいた判示被害者らのうち、爆心地に面した窓の近くにいた者の多くが、爆発によつて飛散した窓ガラス等の破片を身体に受けて重軽傷を負つたことが認められるが、その状況についてみると、前記のように、本件爆弾によつて三菱重工ビル及び三菱電機ビルのみでなく、爆心地から約一〇〇メートル以上の距離にある日本郵船ビル、約七〇メートル以上の距離にある三菱商事ビル別館・千代田ビル・古河ビルの窓ガラスが破壊されており、窓ガラスの厚さも三菱重工ビルのそれが八ミリメートル前後であるところから、他の前記ビルのガラスもかなり厚いものと推定されるが、このような爆心地からの距離及びガラスの厚さからしても本件爆弾の爆発力の強さが十分窺えること、前記のように、爆心地から南に五〇メートルくらい離れた歩道上にいた増田悦子(番号20)が爆風を受けて約三メートル飛ばされ車道上に転倒したこと、爆心地から南へ六十数メートル離れた地点にいた遊川昭三(番号158)の受けた左足の爆創が貫通していること、また、同様爆心地から五十数メートル離れた三菱電機ビル北側歩道上にいた武石律子(番号156)も強い風圧に吹き上げられたこと等の事実からすると、九階屋上までの高さ約三一メートルの三菱重工ビル及びこれとほぼ同程度の高さの三菱電機ビルの爆心地に面した側の窓の近くにいた判示被害者らが爆風等によつて破壊された窓ガラス等の破片によつて受け、または受ける可能性のあつた被害の状況及び程度はかなり強烈であつて、これらの者は、爆弾の爆発力によつて死亡する可能性のある範囲内にいたものと認められる。

(1) これを、まず、三菱重工ビルについてみると、たとえば、同ビル二階技術契約課にかなり大きなコンクリート破片二個が飛び込んだことは前記のとおりであること、同階では爆弾の破片とみられる鉄片が金属性の窓枠に食い込んでいること、壁にひびが入つていること、天井の一部が落下していること、丸の内仲通りに面した部屋の窓側と反対側にある入口のドアがこわれていること、同階にいた中川新二(番号96)は、頭を何かで打撃されたような衝撃を受け、天井から内装材が降り落ちてきた旨供述しており、五〇か所受傷して一〇針縫合し、三六日間の加療を要する判示創傷を受けたこと、その部屋のスチール製ロツカーにはガラス片が突き刺さつて数か所穴があいていたこと、同ビル三階においては窓枠が変形するに至つていること、橋本晃一(番号112)は、同階の事務室の全部の窓ガラスが一斉に音を立てて風が吹くような具合でその破片が室内に飛び込んできたのを目撃したこと、同ビル四階においては、金属製窓枠がずれ、亀裂を生じ、穴があき、部屋内には一・一センチメートルの金属塊が飛び込んでおり、道路側の窓と反対側にある廊下側窓もこわれ、机の縁がガラス破片で凹んだものもあること、同階にいた大崎[王其]以子(番号119)は、強い風圧を感じ、目の前をガラス破片が飛び込んで来たのを目撃しており、同人の右前腕はぱつくり口があいて切れており、一七針縫う一か月の加療を要する判示創傷を負つたこと、同ビル五階においては、同階にいて窓を背にしていた深川献太郎(番号124)は、机もろとも前に倒れるような感じと腹部に火傷をしたような痛みを感じ、約一か月の加療を要する左側腹部切創を負つたが、その深さは八センチメートルに及ぶもので重傷であつたこと、同階にいた山田浩治(番号120)は、後頭部にガラス破片が刺さり、同所では、ガラスの破片が飛び、更衣ロツカーが倒れたこと、同ビル六階においては、同階にいて加療二週間(現実には全治まで二か月半を要したもの)の創傷を負つた須藤はま子(番号125)は、床から身体が突き上げられるような衝撃を感じ、窓ガラスの破片の雨を浴びたこと、高さ約二一メートルの同ビル七階においては、同階にいた西井弥八郎(番号126)は、爆発で一、二メートル吹き飛ばされて倒れたこと、尖つたガラスが室内に飛んできたこと、室内のスチール台のスチールが歪んだこと、同人の負つた創傷はかなりの深さであつたこと、高さ二四メートル余の同ビル八階においては、同階にいた津田義久(番号127)の受けた左腕裂傷は深いものであつたこと、同階にいた山田庄三郎(番号128)にもガラス破片が降りかかつたもので、創傷も現実には全治まで五〇日を超えるものであつたことが認められる。なお、同ビル屋上までも爆弾の破片たる金属片多数が飛んできていることが窺える。

(2) 次に、三菱電機ビルについてみると、同ビル一階にいた野口純子(番号129)が飛んできたガラス等の破片によつて受けた創傷は鋭利な刃物で切られたように傷口がぽつかりあいていたこと、同ビル三階にいてガラス破片を浴びた藤田明(番号132)の右手首の創傷は骨が見えるほど切れていたこと、同階にいた山岡宏司(番号134)の右腕の創傷は腱が切れそうな傷であつたこと、同階にいた秋庭實(番号135)は、窓ガラスが散つて飛んできて受けたその右腕の創傷はざくろのように開いていたし、同人は頭をやられ、出血もひどく死ぬかとさえ思つたこと、同階にいた田川辰次(番号137)は、吹き込み降りかかり飛び散るガラス破片で創傷を受け、とくに右こめかみの傷はひどく、もしこれが頸に当たり頸動脈が切れておれば生命を失う状態であつたこと、同階にいた黒川宣洋(番号136)も、ガラス破片を浴びて一〇針縫合し、実質上全治一か月の創傷を受けたこと、同ビル四階においては、窓ガラスが強く倒れてくるという感じで、室内に吹き込んで飛び散つたこと、同ビル五階においては、酒井克政(番号142)は、強い風圧で横倒した倒れ、砕けて飛び散るガラス破片を身体中に浴びたこと、同階にいた倉員栄穂(番号146)は、大音響とともにビルが揺れ動き、窓から強い風が吹き込み、頭などを圧迫される感じを受け受傷したものであるが、同人は爆心地との関係では窓際の柱の陰になつていてさえ、左手首にガラス片が突き刺さり、ガラス片でズボンに多くの切裂けができ、中にはかみそりで切つたような約八センチメートルの切裂けもあり、あやうく右股の動脈を切るところであつたこと、同ビル七階にいた内田康司(番号150)は、爆発の瞬間頭を何かでひどく叩かれたような衝撃を受け、加療約六週間の判示創傷を負つて合計三〇針くらい縫合したが、とくに左手指の腱は完全に切れたこと、同階にも、ガラス片は雨のように降つてきたこと、高さ約二七、八メートルの同ビル九階においても、ガラス破片が飛んできて部屋一面に散乱したこと、同階にいた宮内君子(番号152)は、頭部を殴られたような衝撃を受け、同人の傷は一八針も縫うほどのもので、現実には全治まで五〇日を要するものであつたこと、同階にいた浜野由美子(番号153)は、判示のような創傷を負つたが、とくに左足の傷は、かなり深く、えぐられたような傷で、一一針縫合し、現実には治癒まで半月くらいかかつたこと、同人も大きいガラス破片が飛んでくるのを目撃したことが認められる。なお、同ビル屋上まで石塊や爆弾の破片たる金属片多数が飛んできているほか、同所の網入りガラスもひびが入つて割れていることが窺える。

三菱重工ビルと三菱電機ビルとは、爆心地との関係において、後者の方が道路幅分だけ距離が存することになるが、前記のように右両ビル付近のビルまで爆弾の爆発力の影響が及んでいることからすれば、右両ビルが爆弾の爆発力を受けた程度に大差はなくほぼ同程度であろうと推認される。

以上の者を含めて、三菱重工ビル二階以上及び三菱電機ビルの各階にいて創傷を負つた別紙負傷者一覧表に掲記の者は、すべて爆心地の丸の内仲通りの道路に面した各部屋のほぼ窓側にいたことが認められる。

以上の事実から、三菱重工ビル二階以上及び三菱電機ビル各階にいて創傷を負つた判示の者は、すべて、本件爆弾の爆発による爆風、飛散する弾体及び損壊した建物等の破片により死亡する可能性のある範囲内にいたものと認められる。

(三) さらに、三菱重工ビル一階玄関ホール付近、一階喫茶室、関東菱重興産の部屋にいて創傷を受けた判示被害者について考えると、これらの場所は、前示のように多数の死者を出した場所であるか、これに隣接ないし近接する場所であり、しかも、前示のように、三菱重工ビル、三菱電機ビル及び近隣ビル付近の道路上、三菱重工ビル二階ないし八階、三菱電機ビル一階ないし九階にいた判示被害者らでさえ、爆弾の爆発による爆風、弾体の破片、損壊した建物・ガラスの破片等によつて死亡する可能性があつたと認められるのであるから、前記一階玄関ホール付近・喫茶室・関東菱重興産の部屋に居合わせた判示被害者らは、爆弾の爆発力によつて死亡する極めて強い可能性がある場所にいたことはいうまでもなく、この点は右同所付近では多数の重傷者を出したこと、同ビル玄関付近での建物の損壊状況及び付近にあつた自動車の破壊状況等からも明らかというべきである。

(四) 進んで、三菱重工ビルより三菱ビルへ通ずる中廊下における本件爆弾の爆発による被害状況を検討する。

(1) まず、同廊下において創傷を蒙つた被害者らのうち、三菱重工ビル玄関入口より約三〇メートルの距離にある喫茶店ポポロ前付近にいたと認められる大和恭子(番号79)、井口満里子(番号80)、渡辺徳二(番号81)のうち、大和は加療一年一か月を要する右坐骨神経断裂等の重傷を負い、井口も判示のような加療八〇日を要する重傷を負つているし、渡辺は降りかかつた内装材や飛んできたガラス片を受けて判示のような加療約一ヵ月を要する創傷を負つたが、二ないし三・五センチメートルのガラス破片が食い込んだ同人の頬の傷は頸動脈に達しそうなものであつたことが認められ、同廊下で爆心地から三十数メートルの距離の地点にいた関こと中西みゆき(番号83)及び小林こと清水美由紀(番号82)はそれぞれ判示のような創傷を受けたが、とくに、中西は後(爆心地の方向)よりものすごい勢で叩きつけるようにガラスが当たつたと述べており、清水も、うしろから爆風とともにガラスが吹きつけて、首、耳のうしろ辺に三針縫う創傷を受けたことが認められる。

以上の事実からすると、前記中廊下にいた同人らは、本件爆弾の爆発による爆風、弾体の破片、損壊した建物・ガラスの破片等によつて死亡する可能性のある範囲内にいたものと認められる。

(2) 次に、前記三菱重工ビルから三菱ビルへ通ずる中廊下にいたとされる杉山喜久子(番号84)は、三菱重工玄関から六十数メートルの前記中廊下三菱ビルエレベーター付近にいて、判示傷を負つたものと認められるところ、同地点が本件爆弾の爆発力により死亡する可能性ある場所であつたか否かを検討する。

前示のように、三菱重工ビル、三菱電機ビル及び付近路上では本件爆弾の爆発による爆風、飛散する弾体の破片、損壊された建物等の破片(但し、落下するガラス破片によるものを除く)によつて爆心地から約五〇メートルの範囲内の人が死亡する可能性のあること、爆心地から約一〇〇メートルも離れた日本郵船ビルの窓ガラスが破壊されていること、爆心地から六十数メートル離れた古河ビル西北部付近歩道上にいた遊川昭三の受傷の程度等から考え、また、杉山喜久子は受傷の際ガラス破片が降つてきたこと及び二回続けて転んだことを述べているところ、本件爆弾は二個であつたことからすると、杉山の転倒は爆風によるものではないかとも考えられること、同人の傷は二針縫う程度であつたこと等から推すと、同人も爆弾の爆発力によつて死亡に至る可能性のある範囲の場所にいたとの疑いはあるが、同人はガラス破片のため滑つて転んだかのような供述をし、また、その傷は転んで手をついた際にできた可能性もあるとの供述もしていること、同人の受傷した場所付近の建物内装及びガラス等は殆んど壊れていないこと、飛んできたガラス破片の量もさほど多くはないこと、負傷の程度もさほど高いものと思われないこと等を考慮すると、杉山喜久子が本件爆弾の爆発力により死亡する可能性のある範囲内にいたと認めうるか否かについて疑問があるので、結局、同人についての殺人未遂の点は確証がないこととなる。しかし、同人は本件爆弾の爆発力によつて判示負傷をしたことは明らかであるから、同人に関しては傷害罪を認定する。

(五) 本件爆弾の爆発力により破壊されて落下したビルの窓ガラス片により道路上で死亡した被害者はなかつたが、前記のように、三菱重工ビル及び三菱電機ビルの爆心地に面した窓ガラスは、殆んどが破壊されてその一部が室内に飛散し、その余のガラス片は、路面が見えないほど多重に道路一面に落下し、これらのガラス片の中には、大きなものや、破砕面の極めて鋭利なものもかなり存在していて、このようなガラス片は身体に突き刺さるなどして致命傷となるおそれが十分にあつたものと認められる。現に、本件被害者のうちで、

(1) 爆心地から最も遠く約一〇〇メートル以上も離れている日本郵船ビルの東側路上を歩行していた菅沼純一(番号155)も、本件爆発によつて破損し大量に落下したガラス片を左側頭部に受けて裂傷を負い、一五針も縫合しており、入院当初二、三日は意識も断続的であり、入院一週間を含めて加療四週間(実際上治癒までには約四〇日間)を要する頭部裂傷の重傷を負い、同人は、もし頭頂部に落下ガラス片が当たつておれば陥没骨折に至つたであろうと供述しているほどであつて、ガラス破片の落下の勢いがどのようなものであつたか推測できること

(2) 爆心地から遠く約七〇メートル前後も離れた千代田ビル北側歩道上においては、同所を歩行していた泉頭三夫次(番号163)も、本件爆発により猛烈な勢いで落下してきたガラス片を全身に浴び、その一部が頭部に突き刺さつて骨まで食い込み、左頭頂骨開放性陥没骨折を負い、合計五七針も縫合し、入院三二日間を含み、加療四ヶ月を要したこと、同所歩道上にいた尾迫通夫(番号164)・綾井和子(番号165)も、滝のように降つてくる落下ガラス片によつて判示のような重傷を負つたこと

(3) 三菱電機ビル北側歩道上にいた武石律子(番号156)・渡辺恵子(番号157)も、体が吹き上げられるような強い風圧を受け、雨のように降り注ぐガラス破片を受け、それぞれ判示のように腱断裂を生ずるほどの創傷を負を負つたこと

(4) 古河ビル西側歩道上にいた遊川昭三(番号158)は、ガラス破片が雨のように落下したのを目撃したこと

(5) 千代田ビル東側歩道上にいた大森敦子(番号162)も、落下するガラス片によつて、実際上は約五〇日の通院加療を要する、右背中部より左横隔膜に達する裂傷を負つたこと

(6) 三菱重工ビルと三菱電機ビル間においては、車道上の自動車トランクにガラス片が突き刺さつていること、三菱電機ビル東側路上にいた市川彰三(番号37)の所持していた鞄を落下ガラス片が突き抜けていること、同人や同ビルの東側路上にいた宮内千鶴子(番号45)は、破損ガラスが雨のように落下するのを目撃したこと

がそれぞれ認められ、このように爆心地から六、七〇メートル以上一〇〇メートルも離れた歩道上を通行中の者でさえ、破損し落下してきた窓ガラスの破片を頭部等身体に受けて相当な重傷を負つているのである。

このように、爆弾によつて破壊されて落下する窓ガラスの破片によつて、日本郵船ビル東側路上、千代田ビル北側路上、三菱電機ビル北側路上、千代田ビル東側と古河ビル西側間の路上、三菱重工ビル西側と三菱電機ビル東側の間の路上等にいた判示被害者らは運よく生命を失うまでには至らなかつたが、死亡する可能性のある範囲内にいたものと認められる。

以上のとおり、本件爆弾の爆発によつて現実に生じた建物等の破壊の状況及びその程度、被害者の死体の損傷状況及びその程度、負傷被害者の負傷した地点、負傷の状況及びその程度等に照らすと、三菱重工事件における判示各被害者は、うち三菱ビル中廊下にいた杉山喜久子を除いては、いずれも客観的に本件爆弾の爆発による爆風、弾体及び損壊された建物の破片等により、また、右爆弾によつて破壊されたビルのガラス破片の落下等によつて死亡する可能性のある範囲内にいたものと認められる。

3  本件爆弾の威力についての被告人大道寺・同片岡らの認識

(一) 弁護人らは、前記のとおり、右被告人らはセジツト爆薬の爆発実験に失敗して、その威力を過小に評価していたから、本件爆弾の爆発によつて多数の死傷者が出たことは全く予想外であつた旨主張し、被告人大道寺、同片岡も当公判廷でこれにそう供述をしている。

(二) しかし、被告人大道寺、同片岡が本件爆弾を製造し使用する以前、昭和四六年初めころから爆弾製造を試み、数回にわたる爆弾の爆発実験を行なつていて、その改良に努力したことが窺えること、すでに判示第一ないし第三の一、二の四件の爆破事件を実行して爆弾の威力を知つていること、右被告人両名は爆弾教本「腹腹時計」を執筆して手製爆弾について相当高度の知識を有していたこと(右「腹腹時計」の中には、「砂糖で代用した火薬は五キログラム単位ぐらいで使わないと威力は望めない。塩素酸カリウムを主剤にした火薬・爆薬を混合し併用するならば、より良い結果を引き出しうる。なお、対人殺傷用で確実にその人間に接近して爆発させられる場合は、この十分の一程度でよい。」旨記載されているし、なお、一般的な問題ではあるが、爆弾を対人殺傷用に使用することも考慮していることが窺われる)、本件爆弾の威力の認識については、被告人大道寺の居室から押収された「火薬と発破」(その六七頁以下の塩素酸爆薬の項に、セジツト爆薬が摩擦・衝撃に対し鋭敏であることやその爆速などが記載されている)及びバインダーに編綴されているセジツト爆薬に関するメモ(それには、その製造中は比較的危険性が少いが、爆力はかなり強い旨記載されている)の記載内容、何よりも本件爆弾はもともと天皇特別列車を荒川鉄橋で爆破して天皇を暗殺する目的で製造された爆薬量各二十数キログラムという大型爆弾であり、その数も二個であること、本件爆弾の爆薬はセジツト爆薬のみを用いたものではなく、数種の混合爆薬を用いたこと、起爆装置もガスヒーターをやめて手製雷管を用いたこと、爆薬量を各二十数キログラムのもの二個というように多量にしたこと、頑丈で気密性の高い容器を弾体に用いることにより爆発力を高める工夫をしたこと(腹腹時計二八・二九・三〇頁には、容器(弾体)の強力化により爆弾の威力を高めうる旨記載されていること)並びに右被告人両名及び共犯者らの次のような各供述調書の内容、すなわち、

被告人大道寺の検察官に対する昭和五〇年六月一四日付供述調書によると、同被告人は、セジツトの威力が余り大きくないので、雷管を用いて爆薬の威力を増すこととし、また、攻撃対象に大きな損害を与えるために相当多量の爆薬を用いる必要があつたとし、さらに三菱村全体に対する攻撃を企図したことを認めていること

同被告人の検察官に対する昭和五〇年六月一一日付供述調書によると、同被告人は「大地の牙」の浴田に対し、電気雷管で爆弾の威力が大になることを話したことが窺えること

同被告人の検察官に対する昭和五〇年六月二五日付供述調書によると、同被告人は、セジツトの爆発力があまりはつきりしなかつたので、大型の爆弾二個を設置することになつたことを認めていること

被告人大道寺の検察官に対する昭和五〇年六月二四日付、被告人片岡の検察官に対する同年六月一日付、大道寺あや子の検察官に対する同年六月一五日付(謄本)各供述調書によると、右同人らは、三菱攻撃用爆弾には四種類の混合爆薬を用い、塩素酸カリウムを用いた爆薬を雷管の周りに充填するようにして敏感で爆発しやすくし、爆発威力を数段上げようとしたことが窺えること

被告人片岡の検察官に対する昭和五〇年五月二五日付供述調書によると、同被告人も、爆弾の威力発揮のためには相当大型の爆弾でなければならないことを認めていること

同被告人の検察官に対する昭和五〇年五月二六日付供述調書によると、電気雷管の起爆力が大きくなると爆弾の爆発力が強力になることを認めていること

同被告人の検察官に対する昭和五〇年六月一日付供述調書によると、同被告人は、三菱重工・三菱電機の双方に危害を与えるためには、かなり大きな破壊力のある爆弾でないと駄目であるとして、本件二個のペール缶爆弾を使用したことを認めていること

同被告人の検察官に対する昭和五〇年五月二二日付供述調書によると、同被告人は、爆弾の一つが爆発すれば他のものが誘爆するように、二個を近くに仕掛けることにしたことを認めていること

大道寺あや子の検察官に対する昭和五〇年六月二三日付供述調書謄本によると、同人らは、帝人中央研究所爆破に用いた消火器爆弾についてではあるが、容器がかなり頑丈なもので、気密性が高いので、塩素酸カリウム系の爆薬を使わなくとも、相当の威力があること、すなわち容器によつて威力を高めうることを認めていること

同人の検察官に対する昭和五〇年六月一七日付供述調書謄本によると、同人らは、三菱商事の建物の外部に爆弾を仕掛けると、爆弾の大きさ・威力からいつても、三菱以外の企業や三菱と関係のない一般の人々にまで被害を及ぼすことになるので適当でないということになつて、本件の設置場所に仕掛けるに至つたものであること、しかも、当初三菱商事の建物内部に仕掛ける予定の際も、その機能を阻害する目的であつたことが窺え、爆弾の威力についてはかなり大きいことの認識があつたと認められること

浴田由紀子の検察官に対する昭和五〇年六月一六日付供述調書謄本によると、同人に対し、被告人大道寺は「爆弾の規模は、最初から三菱攻撃のため造つたものではなかつたから、あんなに大きくなつたんだ。まあ爆弾の規模としては、あんな程度のものだと思つていた。」旨爆弾の威力ないしは結果の大きさを予知していたかのごとき発言をしたことが窺えること

に照すと、右被告人両名らが、本件爆弾の爆発力の強大でありうることを十分認識していたことは明らかであり、また、右被告人らが本件のような大型の爆弾の爆発の威力について、多数回の実験等によりその威力を確実に一定限度内にとどめる配慮・措置をとつたことが窺えない以上、その爆弾の威力が正確には判らない面があるとしても、その爆弾の威力に応じた結果の発生することを、当然認容していたものと認めざるをえない。

被告人片岡は、最終陳述において、「この爆弾が爆発したとき、遮蔽物のない直近の場所に人がいれば、その人が死傷する可能性が高い、という意味での威力の認識はもちろんあつた。」旨述べているし、また、いみじくも、「わたしたちの小手先の技術で爆弾の機能を選択的に利用することは不可能であつた。三菱の爆破は、まさに、爆弾の本質そのものとしてたちあらわれ、三菱本社労働者の存在を全面的に否定する結果をつくり出した」旨述べており、また、被告人大道寺、同片岡らは、三菱重工事件によつて多数の死傷者を出したのちにおいても、さらに他人を殺傷するおそれのある爆弾闘争を依然繰返し、重傷者を出しているのであつて、三菱重工事件においても、もともと爆弾の威力圏内にいた人々を死傷させることを認容していたことを推認させるものがある。

以上のように、被告人大道寺、同片岡は、本件爆弾が十分な殺傷力及び破壊力を有し、爆発すれば、周辺の建物等に大きな物的被害を及ぼし、付近に現在する不特定多数人を殺傷するなど人的・物的被害が広範囲に及びうることを十分認識し、その爆弾の威力に応ずる結果の発生することを認容していたものと認められる。

4  本件爆弾の使用目的及び使用状況等

(一) 本件爆弾の使用目的をみると、被告人大道寺、同片岡らの東アジア反日武装戦線「狼」では反日武装闘争の一環として、海外進出企業たる三菱重工等に対する爆破攻撃を行なうため本件爆弾を仕掛けたものであることが認められる。

すなわち、右被告人らの「狼」では、新旧帝国主義者に対する爆弾闘争の一環たる天皇暗殺計画が不首尾に終つたのち、かねて、前記「腹腹時計」に記載して意図していたとおり、同じく新旧帝国主義者に対する爆弾闘争の一環として海外進出企業を継続的に爆破攻撃すべく、その爆破対象企業として三菱グループを選定し、数回の下見を行ない、検討を重ねた結果、三菱重工ビル正面玄関前の歩道上に爆弾を仕掛けて、三菱重工ビルと三菱電機ビルとをともに爆破することを決め、その際右両ビルを破壊して大きな損害を与え、所期の目的を達成するため、荒川鉄橋天皇特別列車爆破用に製造した破壊力の強大な本件大型爆弾二個をそのまま使用するに至つたものと認められる。

(二) また、その使用状況をみると、右被告人らは、右大型爆弾を、平日の白昼、人通りの多い都心丸の内ビル街の路上に仕掛けて爆発させたことが認められる。被告人片岡は、その最終陳述において、被告人大道寺とともに本件爆弾を仕掛けるため本件現場に赴いた際にも人通りの多いことを現認した旨述べているのである。

右被告人両名は、本件爆弾二個を、昼休みの時間帯である午後零時四五分に起爆装置が作動して爆発するよう時限装置をセツトしたうえ、その十数分前ころ、タクシーで現場近くまで運搬し、被告人大道寺が、これを三菱重工ビル玄関前歩道上のフラワーポツトの側に置いて仕掛けたものである。右場所は、近代高層ビルが立ち並び、大会社・一流銀行が事務所・店舗を構える我が国屈指の丸の内ビジネス街の一角に位置する三菱重工ビルと、三菱電機ビルとの間の通称丸の内仲通りの歩道上であり、日中ことに平日の昼休みの時間帯には、周辺のビルに勤務するサラリーマンなどの通行でにぎわうところであるうえ、三菱重工ビル玄関前はとくに人の出入りの多い場所であるから、このような場所に威力の強大な大型爆弾二個を仕掛けて爆発させれば多数の死傷者が出ることは何人にとつても極めて明らかであり、予め本件現場の下見を重ね、現場及びその周辺の状況を熟知し、しかも、当日現場の人通りの多いことも現認した右被告人両名にとつては、右爆弾の爆発の結果を十分認識していたものと認められる。

(三) しかも、右被告人両名執筆の「腹腹時計」には、「日帝本国の労働者、市民は、植民地人民と日常不断に敵対する帝国主義者、侵略者」、「日帝の手足となつて無自覚に侵略に荷担する日帝労働者」、「日帝本国に於いて唯一根底的に闘つているのは流民=日雇労働者」などと記載されているし、また、本件後に被告人らが公表したいわゆる声明文に、「「狼」の爆弾に依り爆死し、あるいは負傷した人間は、「同じ労働者」でも「無関係の一般市民」でもない。彼らは、日帝中枢に寄生し、植民地主義に参画し、植民地人民の血で肥え太る植民者である。」と記載しており、右声明文の表現には誇張された表現もあろうからそれ自体が直接被告人らの殺意を推定させるものではないとしても、被告人大道寺が、その最終陳述で、三菱重工爆破で死傷者を出したことは、単なる技術的・戦術的な失敗であるだけでなく、犯行当時の被告人らの考え方において敵と味方の分析があいまいであつたとしていて、本件犯行当時本件死傷者らを少くとも味方とは思つていなかつたことを窺わせる陳述をしており、これらと前記腹腹時計等の記載内容とを併せ考えると、右被告人らにはこれら被害者らの生命に対する著しい軽視ないし蔑視の念が如実に窺われ、右被告人らは、日雇労働者以外の労働者、一般市民も、植民地人民と敵対関係にある帝国主義者・侵略者であり、三菱関係企業に勤務する会社員も、日本帝国主義侵略企業に寄生する植民者であると評価していたことは明白であるから、右被告人らのこのような考え方と前記のような本件爆弾の使用方法などを総合考察すると、右被告人らは、「狼」が反日武装闘争の一環として最初に実行する企業爆破攻撃を成功させ、その成果を誇示するためには、これら企業の従業員の一部や一般市民を巻き添えにすることをも認容していたものと認められる。この点は、右被告人らが、当初爆弾仕掛け地点としてビルの内部を考えてみたが、爆弾が大型で持ち込むことの困難さからやむなく道路上に仕掛けるに至つた事情からも窺える。

被告人片岡も、検察官に対し、「この爆弾二個を仕掛けるということは四〇キロの爆弾を仕掛けることになるわけで、道路側に面したビルの窓ガラスは全部爆風等で破壊され或いははずれ落ちるだろうし、そうなればこの攻撃は成功だというのがみんなの結論でありまして、また、さらに爆弾闘争をやる以上、巻き添えとなる死傷者が出ることは避けられないわけで死傷者を出すのがいやなら最初から企業を対象とする爆弾闘争をやらなければよいのであり、私達が爆弾闘争に踏みきつたことは、巻き添えとなる死傷者がでることを爆弾闘争の宿命として覚悟したうえでのことでありました。しかし、私達も労働者の殺傷それ自体が目的だつたわけではありませんから、死傷者は少いほど良いし、出来ることなら皆無にしたいと思つていたこともまた事実であります。これは私を含め、將司、あや子、佐々木の気持でもありました。」(昭和五〇年六月一二日付供述調書第八項)と、死傷者がでることはやむをえないと考えていた旨供述している。爆弾は、本来無差別に多数の人を殺傷する威力を有するから、被告人らが爆弾闘争を貫徹する以上、一般人を巻き添えにする場合があり、死傷者がでることも爆弾闘争の避けられない宿命としてこれを肯定していたとする点は十分了解できるところである。なお、「腹腹時計」には、さきに記載のとおり、爆弾を対人殺傷に用いることを前提にした記載もなされている。

以上のような、本件爆弾の使用目的・使用状況等からすると、被告人大道寺、同片岡らが、本件爆弾の爆発によつて爆心地及びその周辺の路上及びビル内に現在する不特定多数人を殺傷するに至ることを十分認識していたことは明らかである。

5  ビルの窓ガラス破片の落下による創傷について

(一) 弁護人らは、前記のとおり、本件爆弾の爆発により破損したビルの窓ガラス破片の落下による道路上の被害者らの負傷については、被告人大道寺、同片岡らは、爆風によつて破壊された窓ガラス破片は室内に飛散して道路に落下することはないと考えていたから、右窓ガラス破片の道路への落下は、全く予想外であつた旨主張し、被告人大道寺、同片岡も当公判廷でこれにそう供述をしている。

(二) 右の点について検討すると、本件爆弾の爆発した場所は、高層ビルにはさまれたビル街の道路上であるから、全く開放された場所に比し、爆風圧による破壊力が強まることは容易に推測できることであり、右「腹腹時計」にも、爆弾の破壊力をより大きくするために、仕掛ける場所は、閉塞された場所を選ぶように記載しているところ、これは、直接本件のような場所を指すものとは思われないが、その理は、本件のような場合にもある程度適合すると認められるのであつて、右被告人両名は、本件高層ビル街の道路上に仕掛けた爆弾の爆発によつて、周辺のビルの窓ガラスが相当広範囲に爆風圧等により破壊されることを予測していたものと推認できるし、本件爆弾の威力が厳密には判らない面があるとしても、前記のように本件爆弾の威力自体を限局する有効な手段も有していず、限局できるとも考えていなかつた本件の場合においては、その威力に応じた結果の発生することは、当然認容していたというべきであるから、本件爆弾の爆発によつて生じた各ビルのガラス破壊の結果も認容していたものといわざるをえない。

ところで高層ビルの窓ガラスは、一般住宅の窓ガラスとは異なつて、かなり厚い大型のものであるから、破壊されたガラス片の一部は室内に飛散しても、一部は破壊された際そのまま地上に落下し、或いは一部が残つて地上に落下することは何人も容易に認識できるところである。

従つて、右被告人らは爆風等によつて割れたガラス片が室外に落下して通行人に当たることも予測していたものと認められる。被告人片岡も、前記のように、検察官に対する昭和五〇年六月一二日付供述調書第八項において、「この爆弾を二個仕掛けるということは四〇キロの爆弾を仕掛けることになるわけで、道路側に面したビルの窓ガラスは全部爆風等で破壊され或いははずれ落ちるだろうし、そうなればこの攻撃は成功だというのがみんなの結論でありまして、また、さらに爆弾闘争をやる以上巻きぞえとなる死傷者が出ることは避けられないわけで」と前示認定にそう供述をしており、この供述は、十分信憑性があるというべきである。(なお、被告人大道寺らが参考文献として使用し、その居室から押収された前記書籍「火薬と発破」一六九頁以下に、「爆風の挙動」として、「爆風ははじめに大きなプラスの圧力を持つているが、そのあとにマイナスの圧力を持つた領域が続く、そして時間的には後者の方が長い。」と記載され、圧縮相と吸引相の爆風圧力の変化が図解により説明されているところ、右被告人らがこれを読んでいたとすれば、強い爆発が起つた場合、当初は爆風のプラス(圧縮)の作用で、割れたガラス片が室内の方へ飛散するが、次にはマイナス(吸引)の作用で、割れ残つていたガラス片が室外に飛散するという理論面まで知つていたことになる。)

以上のとおりであつて、本件爆弾の客観的威力の項に示したとおり、本件爆弾の爆発により破壊されたガラス破片の落下によつて、窓の外側の道路上にいた判示被害者らの死亡する可能性が客観的に存在したものであり、右被告人らにおいてこれを認容したものである以上、本件ガラス片の落下ないし飛散によつて発生した右被害者らの受傷について、殺人未遂罪が成立することは明らかである。

6  予告電話等について

(一) 弁護人らは、前記のとおり、被告人大道寺、同片岡らに殺意がなかつたと主張する根拠の一つとして、被告人らが本件爆弾の爆発による死傷の結果を確実に回避するため、事前に予告電話をして避難するよう警告した事実及び本件爆弾に危険物である旨警告の表示を行なつた事実を指摘している。

(二) 右の点について検討すると、

(1) 確かに被告人らの共犯者たる佐々木規夫が予告電話を行なつたことは認められるが、そもそも予告電話で退避を警告するということは、被告人らが本件爆弾の爆発によつて付近に居合わせる多数人を殺傷する結果の生じることを予測していたことの証左であるし、次の諸事実に照せば、右予告電話や警告表示によつて死傷の結果を確実に回避できるとは到底認められず、むしろ結果回避の可能性は殆んどなかつたから、本件予告電話は、被告人両名の殺意の認定になんら影響を及ぼすものではない。

まず、爆破予告電話をかけた佐々木規夫の検察官に対する昭和五〇年六月二日付供述調書謄本によると、本件予告電話は爆破予定時刻の五分前に行なうことになつていたものの、当日午後零時三七分ころ三菱重工ビル管理室に電話したところ、途中で相手から切られ、その直後三菱電機ビルの管理室にも電話したが、やはり途中で切られて通じなかつたため、再び三菱重工ビルの受付に電話し、電話に出た女性に対し、爆破予告と退避の警告をしたことが認められる。他方、三菱重工本社の電話交換手をしていた証人小角良枝の供述によると、本件当日午後零時四二分ころ、同社三階の電話交換室に、「三菱重工業前の道路に二個の時限爆弾を装置した。付近の者は直ちに避難するよう。」との爆破予告電話がかかつてきたので、直後庶務課長にその旨連絡し、八階の庶務課へ向かう途中、本件爆発が起つたというもので、右電話は本件爆発の三分くらい前にかかつてきたと認められる。

また、被告人片岡の検察官に対する供述調書の記載と当公判廷での供述を総合すると、「狼」の右被告人らが本件予告電話をかける時刻を検討した際、これを爆発の一五分前に行なうとの提案もあつたが、一五分前では警察に通報され、爆弾が発見されて不発処理されるとして、五分前に予告電話をすることに決つたことが窺われる。

右のように、予告電話を爆発時刻のわずか五分前にした理由や、実際には八分前に電話をかけ始めたというが、爆発の三分くらい前に電話が通じたにすぎない状況及び「狼」の海外進出企業に対する爆破攻撃の一環として行なわれた本件爆弾使用の動機・目的等に照すと、右被告人らは、予告電話によつて、本件爆弾が爆発前に発見され、警察官により不発処理されることを意図したものでは決してなく、あくまでも本件爆弾を予定時刻に爆発させ、三菱重工ビル等を爆破し、三菱グループに大きな打撃を与え、その目的を達成しようとするものであつたことは明白である。

しかも、右被告人らが予定した予告電話から爆発まではわずか五分という短時間であり、予告電話の内容も、最も重要な爆発時刻を通告せず、具体的な仕掛地点、爆発物の形状なども明らかにはしていないうえ、予告電話は必ずしも確実に相手に通じるとは限らず、また、この種の電話はいたずら電話として取扱われ無視される可能性もあるのに、予告電話が通じなかつた際にとるべき「狼」内部での連絡方法及び措置について予め協議がなされていず、現実にも、予告電話を担当した佐々木と爆弾の仕掛けを担当した被告人大道寺との間に、予告電話が予定時刻までに完全に通じたか否かを確認する連絡も全くなされないまま、被告人大道寺、同片岡はビル内の人々及び通行人の避難措置がとられるか否かも全く確認することなく現場を立ち去つていること、もともとかりに五分前に予告電話が通じたとしても、警察への連絡、その出動、両ビル内に現在する人々への退避連絡、退避行動、通行人への退避連絡、その退避行動、交通制限措置等がとれる可能性は極めて低く、殆んど不可能に近いことは明白であること等から考えて、右被告人らは、予告電話によつて二つの大ビル内に現在する人々や一般通行人までも確実に退避させて被害が及ぶことを回避できると考えていたとは到底認められない。被告人大道寺も、当公判廷で、予告電話は念のため三か所にかける配慮をしてあつたが、それでも場合によつては通じないこともありうると思つていたし、その場合には多少の負傷者が出るだろうと思つていた旨供述していて、爆発予告電話が絶対確実な結果回避の方法でなかつたことを自認している。

従つて、右被告人らは、予告電話が効を奏する可能性が極めて低いから、その場合には前記のような本件爆弾の大きさ及び個数、爆発時刻、仕掛場所等からみて、爆心地周辺はもちろん、その付近路上・ビル内で爆弾の爆発力によつて死亡する可能性のある範囲内に現在する不特定多数の人を死亡に至らせうることを十分認容していたものと認められる。

(2) 本件爆弾の表面に危険物である旨警告の表示を行なつたとする点についても、右表示は、大道寺あや子がタイプしたものであるが、英文であり、包装した本件爆弾を被告人大道寺らが日中運搬したり道路上に仕掛けたりする際に、他人から見られても怪しまれないよう納品中の商品のように見せかけるための偽装手段であつて(大道寺あや子の検察官に対する昭和五〇年六月六日付供述調書謄本)、弁護人らが主張するように通行人らに危険物であることを警告し退避させるためになされたものとは認め難い。

さらに、缶体に貼りつけた危険物の表示も直接外部から認識できるものではないから、このようなものによつて警告の効果があるとは到底考えられない。

右のとおり、右被告人らが行なつた予告電話や危険物の表示は、右被告人らの本件被害者らに対する殺意を否定する根拠とはなりえないこと明らかである。

なお、右被告人らが予告電話を予定したこと、「腹腹時計」(三五頁)に「殺傷の対象を限定し、無用な巻き添えなどの犠牲を出さないように配慮」すべき旨の記載があること、本件被害発生後において右被告人ら自身が人的被害に関して衝撃を受けたこと等からすると、右被告人らは一般市民の殺傷を第一次的に目的としたものではないと認られるが、前記「腹腹時計」の記載も、殺傷の対象を限定すること、無用の犠牲を出さないよう配慮すべき旨を述べているだけであつて、「殺傷」自体は認めており、必要な犠牲をも否定する趣旨ではないことが看取されるし、前記のように、爆発の爆発力による殺害可能の圏内に現在する不特定多数人に対する殺意を否定することにはならない。

以上のような、被告人大道寺、同片岡らが本件爆破に用いた爆弾の構造、大きさ及び個数、本件爆弾の爆発により現実に発生した人的・物的な被害の規模・態様・程度、右被告人らの有していた爆弾に関する相当高度な知識並びに本件爆弾の威力についての認識、本件の爆弾を製造した当初の使用目的、本件爆弾の使用目的及び使用状況、右被告人らが爆発によつて破壊されたビルの窓ガラス破片の落下によつて通行人等に創傷を与える可能性のあることを十分認識していたこと、予告電話等によつては、爆心地付近の路上及びビル内に現在する不特定多数人を退職させうる可能性が極めて少なく、被告人らもこのことを認容していたと認められること等を総合すると、右被告人らは、本件爆弾の爆発力によつて、死亡する可能性のある範囲内に現在する不特定多数人を死亡に至らさせうることを認容していたものと認められるから、右被告人両名について、判示被害者杉山喜久子を除くその余の被害者に対する殺意を認めるに十分である。

従つて、弁護人らの右主張は理由がない。

(間組本社九階爆破事件における殺意について)

一  被告人大道寺及び弁護人らは、間組本社九階爆破事件における被告人大道寺の殺意を否認し、殺意がなかつた理由として、同事件においては、当初、間組の重役に対するテロが検討されたのを、その家族や社員を巻き添えにするおそれがあるとして、これを中止し、企業施設のみの破壊を目的とする攻撃に変更されたものであること、人に対して危害が及ぶのを回避するために、下見の段階で午後六時には殆んど社員がいないことを確認して、爆発時刻を午後八時としたこと、三菱重工、大成建設爆破事件の経験にかんがみ、予告電話を爆破の二〇分前にかけることにしたこと、爆弾の爆薬の量を約一・五キログラムの少量にして威力の小さいものとしたこと等の諸点を挙げる。

二  そこで、検討するに、司法警察員村田尚久作成の昭和五〇年三月二五日付実況見分調書によると、間組本社ビルは、間口三八・四メートル、奥行き三一・五メートル、鉄骨造りの、地上一八階の雑居ビルであつて、右ビル内には、間組の社員のみでなく多数の者が勤務しており、残業、警備等で夜間でも右ビル内にとどまつている者の多いことは、被告人大道寺らも、下見等によつて当然承知していたと認められること、共犯者大道寺あや子の検察官に対する昭和五〇年七月二日付供述調書謄本(調査メモの写三枚添付のもの)によると、同人が事前に調査のために午後六時半すぎころ同ビル九階に赴き、各室を下見したときにも、部屋にはまだ灯がついており、エレベーターの前では清掃夫と思われる二人の男性を、ある部屋では三、四人の女性が残つているのを目撃したことが認められるが、このことは当然、被告人大道寺にも伝えられていたと認められること、被告人黒川の検察官に対する昭和五〇年六月二二日付供述調書によると、三者会談で検討した際、仕掛け時刻を午後六時と定めたうえ、爆破時刻を夜一二時とする案も出たが、仕掛けと爆破の間にあまり時間があると発見されるおそれがあるとして、午後八時と決定されたことが認められるところ、このことは、とりもなおさず、建物内で残業している者或いは夜間の巡視者等のいることを認識して前提としたものであること、また、右被告人黒川の調書によると、本件においては、予告電話をして警告することにしたが、それは被告人大道寺の強い要請によるものであり、その理由とするところは、午後八時という時刻では、まだ右ビル内及びその周辺に人がいてこれに危害を及ぼすおそれがある、というものであつたことが認められ、一方、被告人黒川自身は、午後八時では、それほど遅い時刻ではないから、ビル内には相当数の人がいると考えたが、間組の社員であれば爆破に巻き込まれ、最悪の場合死ぬようなことがあつてもやむをえないと考えていたことが認められるが、本件間組本社ビル九階・六階等爆破の謀議に加わつた被告人大道寺も、同様の考えをもつていたものと推認できること、証拠の標目欄掲記の被告人大道寺の検察官に対する各供述調書によると、午後六時少し前ころ本件間組本社ビル九階へ爆弾を仕掛けに行つた際にも、エレベーターの前と技術本部建築設計部内にまだ一人の人がいるのを見たことが認められること、被告人大道寺らがすでに本件前に犯した三菱重工・大成建設各爆破事件においては、予告電話をかけ、警告をすることにしていたにもかかわらず、前者の場合には予定どおりには電話が通じなかつたり、相手がこれを無視したりしたことがあり、後者の場合も予告電話はかけ得たものの、結局前者では判示第五のとおり多数の死傷者を出し、後者の場合も多数の負傷者を出して、いずれも効を奏しなかつたのであるから、本件の場合も、単に予告電話をかけることにしたことだけで、爆弾仕掛け地点付近に現在する人への危害を完全に回避できるとは考えていなかつたと認められること、爆薬量も判示のように約三キログラムもある威力の強いものであつたこと等の諸点から考えると、被告人大道寺には判示のような殺意があつたものと認められる。

(間組江戸川作業所爆破事件における殺意について)

一  被告人黒川及び弁護人らは、間組江戸川作業所爆破事件における被告人黒川の殺意を否認し、殺意がなかつた理由として、同事件においては、被告人黒川らは、間組の現場の工事過程に打撃を与えることを目的としてその爆弾による攻撃対象を間組の施設や建設機械等の物的設備と決定したこと、事前の数回に及ぶ現場の調査においては宿直者の存在は確認されなかつたこと、かりに宿直者がいるとしても、現場付近に飯場と思われる建物が存在し、そこに宿泊するものと考えていたこと、本件以前の爆破事件の場合には人に危害が及ぶおそれがあるときは予告電話をかけて警告したが、本件の場合はそのおそれがなかつたから予告電話をかけなかつたこと、本件における爆弾の仕掛け場所の選定は共犯者である実行行為者に一任されていて、被告人黒川は、仕掛け場所の点から人への危害を認識しうるという立場にはなかつたこと等の諸点を挙げ、被告人黒川には、本件において殺人の確定的故意がなかつたのはもちろん、未必的故意もなかつたものであつて、殺意を肯定するが如き内容となつている被告人黒川の検察官に対する供述調書は、取調検察官からの誘導に基づく虚偽の供述であつて、信用性がないとする。

二  そこで、検討するに、被告人黒川の検察官に対する昭和五〇年六月一四日、同月二一日付及び同年七月五日付(図面二枚添付のもの)各供述調書によると、被告人黒川は日雇人夫として建設現場等で働いた経験から、現場の事務所には宿直者がいることを知つていたこと、本件の現場事務所にも、下見をした際、夜九時ころに人がいるのを見たことから、被告人黒川、宇賀神寿一、桐島聡の三名は、爆破時にも宿直者のいる可能性があると考えていたこと、それゆえ、右宇賀神、桐島の両名は本件爆破の一週間くらい前の謀議の際に、予告電話をかけるべきかどうかを問題にしたが、これに対して被告人黒川は、一般の日雇労働者は夕方には帰るから、夜間事務所にいるのは現場の監督的立場にある者であるが、このような者は会社の日雇労働者の搾取に手を貸す者であるから、爆破に巻き込まれても仕方がない旨意見を述べて右宇賀神らの了解を得て、予告電話をかけないことにしたものであること、爆弾の仕掛けを担当したのは右桐島であるが、その仕掛け場所は同人に一任されていたものではなく、被告人黒川が、下見の結果、事務所の建物の床下が一五センチメートルくらいあいていたのを認めて床下に仕掛けるのが適当であると考えて右桐島に指示したものであること、すでに被告人黒川らの関与した間組本社九階爆破事件においても、間組社員に重傷を負わせるに至つた経緯があつたから、もし真実人を殺傷することを避けようと考えたとすれば、より慎重な配慮と行動をしたであろうと思われること等の諸事実を総合して考察すると、本件間組江戸川作業所爆破事件において、被告人黒川には判示認定のような殺意があつたものと認められ、被告人黒川の検察官に対する各供述調書の記載は、取調官の誘導等による事実に反する供述であるとの疑いはなく、十分信用できるものである。

(爆発物取締罰則第一条の目的の存否について)

被告人らの判示第一ないし第一二の各所為における爆発物取締罰則第一条所定の目的の存否について、前掲各証拠を総合して考察する。

一  判示第一ないし第一二の各所為において、「人の財産を害する目的」のあつたことは、右各証拠により明白であり、被告人らもこれを認めているといえる。

二  次に、判示第一ないし第一二の各所為における「治安を妨げる目的」の存否について考える。

1  判示各事件を全般的にみると、

(一) 被告人らの本件各爆破闘争の意図・目的は、判示のように、窮極的には革命を志向し、日本のあり方を否定する思想のもとに海外の反日武装闘争と呼応し合流して日本国内の新旧帝国主義者とする者を撃つ戦いの一環として、都市ゲリラ闘争を展開し、爆弾によつて、日本帝国主義の象徴とするものを破壊し、新旧帝国主義者の頂点にある者として天皇を暗殺しようとし、海外進出企業を攻撃して、法秩序に挑戦し、社会不安を生じさせ、国民に動揺・恐怖・衝撃を与えようとしたものであること

(二) 本件各爆弾闘争において用い、或いは用いようとした爆弾の大きさ及びその爆発音、破片の飛散状況、人的・物的な損傷破壊状況にみられる客観的威力

(三) 本件各爆弾の使用の態様、たとえば、同時に二か所又は三か所の爆破を企てたり、次々と連続爆破を行なつたりし、その他仕掛け場所を明らかにしなかつたり、時限装置を用いて、爆発時刻を或いは静穏な深夜にし或いは人通りの多い白昼にしたりするなどしていること

(四) 本件各爆弾を仕掛けた場所は、いずれも公共の場所か、不特定多数人の現在し或いは現在する可能性のある場所か、付近に人家等の存在する場所であること

(五) 爆弾を仕掛ける前後に、警告を発したり、声明文ないし通告文等をもつて被告人らの爆弾闘争の意図を明らかにしていること

(六) 被告人ら及び共犯者らの検察官に対する供述調書に表わされているその認識、すなわち、

(1) 被告人片岡は、本件爆弾闘争の目的・方法について、「政治的・社会的に動揺を起こさせていく」(昭和五〇年六月四日付調書)、「連続的にやらねば社会的に効果がうすい」(同年五月二八日付調書)旨述べていること

(2) 被告人黒川は、「企業に恐怖を与え、その従業員にその誤りを悟らせるためのものであつたこと、その目的が革命機運の醸成にあつたこと、三グループとも同じ意図であつたこと」(昭和五〇年七月八日付調書、後綴りのもの)、「あまり間隔をおかずに連続してやつた方が政治的な意味があると考えたこと」(同年六月一二日付調書)、「間組江戸川作業所を攻撃した際は、東京以外でやれば、同調部隊が各地にいることを示すことになるという大道寺將司の話がヒントになつた」(同年六月一四日付調書)、「警察の狼に対する眼をそらせるため陽動作戦を行なつた」(同年六月二一日付調書)旨述べていること

(3) 被告人荒井は、「日帝中枢すなわち企業に対する攻撃を続けねばならないという基調は象徴闘争の当時から今日まで続いている」(昭和五〇年六月二五日付調書)旨述べていること

(4) 浴田由紀子は、「執拗に攻撃を繰り返すことに運動の意義がある」(昭和五〇年六月一六日付調書謄本、後綴りのもの)旨述べていること

からも、被告人らの主観・目的が「治安を妨げる」こと、すなわち、公共の安全と秩序を害することにあつたと窺えること

が認められる。

2  判示各事件ごとにみると、

(一) 興亜観音等爆破事件については、爆心地から堂守の伊丹方までは四〇メートル前後の距離であり、爆弾の破片は、右伊丹方の数メートルのところまで飛散しており、他の人家も爆心地から七〇メートル余のところに位置したものもあつて、本件爆弾の爆薬量、爆発時刻から考えて、爆発音も聞こえる範囲内であると推認できる。

なお、以下の総持寺納骨堂・北大文学部北方文化研究施設・風雪の群像各爆破事件を含めて、被告人らのいわゆる象徴闘争は、単なる怨恨等に基づいて他人の財産のみを破壊するためのものでは決してなく、前記のような爆弾闘争の一環として、政治的・社会的に不安・恐怖・動揺を起こさせることを目的としたものであり、治安を害する目的、すなわち公共の安全と秩序を害する目的のあることは明らかである。

(二) 総持寺納骨堂爆破事件については、総持寺境内周辺は密集した一般住宅及び商店街で、人家までの距離はおよそ二〇〇メートルであり、爆心地の納骨堂の付近には、同寺の多くの建物が集つており、とくに隣接して放光堂があり、同所には宅間という堂守らがいる場所であることが窺われ、本件爆弾の大きさから考えてその爆発音が同寺の内外に聞こえたことは当然推認できるし、また、被告人らは、当時現場付近に「入管反対、侵略日本人植民者慰霊観音像建設反対」の文言のビラを貼つていること等からしても、「治安を妨げる」目的があつたことは明らかである。

(三) 北大文学部北方文化研究施設・風雪の群像各爆破事件については、被告人らの判示目的、両者の同時爆破を企てたこと、前者には、爆弾の仕掛けられた建物内に宿直員がいたことは、爆発直後消火器をもつて消火活動に当たつた跡があることから推認できるし、後者においては、同所は公園内であり、しかも爆心地から一三〇メートル以上はなれたアパートの窓ガラスが破損しており、爆弾の破片も同所付近まで飛散していることが窺え、もちろん、両者とも、その爆弾の爆発音がそれぞれ周辺の人々に聞こえたであろうと推認でき、両爆弾の爆薬量等をも考えると、被告人らが「治安を妨げる目的」を有していたことは明らかである。

(四) 荒川鉄橋天皇特別列車爆破共謀等事件、三菱重工・帝人中央研究所・大成建設・鹿島建設・間組本社九階・同六階・同大宮工場・韓国産業経済研究所・オリエンタルメタル・間組江戸川作業所・京成江戸川工事現場各爆破事件については、被告人らの攻撃目標、その各爆破の連続性、間組本社及び大宮工場、韓国産業経済研究所及びオリエンタルメタルの各爆破の同時性、各使用爆弾の大きさ・設置場所・設置時刻・その時限爆弾たること等からみて、いずれも「治安を妨げる目的」を有したことは明らかである。なお、

(1) 荒川鉄橋天皇特別列車爆破共謀等事件は、鉄道の鉄橋を爆破しようとしたものであること

(2) 三菱重工爆破事件では、白昼人通りの多い丸の内のビル街の歩道上に爆弾を仕掛けたものであること

(3) 帝人中央研究所爆破事件では、爆心地から民家まで約七〇メートルで、爆弾破片は八〇ないし九〇メートル飛散し、爆心地は公道からは五・三メートルしか離れていず、爆弾破片はもちろん右道路まで飛散していること

(4) 大成建設爆破事件は、白昼銀座の公道で行なわれ、爆発により吹き飛ばされた鉄板(長辺一・五メートル、短辺〇・六八メートル、厚さ九ミリメートル)は五十数メートル離れた建物の屋根を貫いたほどであること

(5) 鹿島建設爆破事件では、被害工場は市街地に位置するところ、爆弾設置場所は公道からわずかしか離れていず、しかも被告人黒川は爆弾とともに灯油入りポリタンク二個を用い、爆発の際火災を起こさせ、同工場を焼燬しようと図つたものであること

(6) 間組本社九階・六階爆破事件では、同建物は都内の青山通りに面した雑居ビルで、このような建物内部にかなりの威力ある爆弾を仕掛け、現にその爆発によつて、ガラス等を周囲の民家まで飛散させ、たとえば同ビル北西約二〇メートルの距離にある木造二階建の横山忠方一、二階の屋根瓦だけでも約五〇〇枚破壊されたこと

(7) 間組大宮工場爆破事件では、爆弾の仕掛け地点は、公道のすぐ傍の工場内で、しかもバス停留所からわずか二、三メートルの場所であり、時刻もまだバスの運行する午後八時であつたこと

(8) 韓国産業経済研究所・オリエンタルメタル各爆破事件では、右両所は、いずれも、繁華な市街地の雑居ビル内にあり、それぞれ爆破によりガラス等の破片は周辺公道にも飛散しており、両ビルとも当時他の階には人が現在していたもののようで、前者については、ビルの屋上に管理人室があり、爆破場所の一階下の四階には残業の人が残つていた形跡があり、管理人は夜間見廻りをしていたことも窺え、また、後者については、そのビル内にはガードマンの会社事務所があつて、同所に警備員が待機していた形跡もあり、同所の天井の一部が破壊されていること

(9) 間組江戸川作業所爆破事件では、同所には現に宿直社員が現在していたほか、同所から三三メートルの位置には民家が存在するし、爆弾の破片は四十数メートルも飛散していること

(10) 京成江戸川工事現場爆破事件でも、爆心地は京成電鉄の鉄道鉄橋付近であり、道路からは一二〇メートル、駅からは二二〇メートル、民家からは百数十メートルの距離にすぎず、爆弾の破片は七〇メートルも飛散し、もともと同所での爆破は、前記のとおり、さきに間組江戸川作業所と同時爆破を企てた際の爆弾が不発に終つたことから、再度新たな爆弾を仕掛けて両爆弾を爆発させたものであつて、「狼」に対する警察の眼をそらす意味もあること

等からも、右各事件において、被告人らに「治安を妨げる目的」のあつたことが窺える。

3  以上のとおり、判示第一ないし第一二の各所為には、何れも「治安を妨げる目的」が存したものと認められる。

三  さらに、判示第四、第五、第七、第九の一、二、三、第一〇の一、二、第一一の各所為における「人の身体を害する目的」の存否について考える。

1(一)  荒川鉄橋天皇特別列車爆破共謀等事件では、天皇暗殺の目的があつたもので、人の身体を害する目的の存在することはいうまでもない。

(二)  三菱重工・間組本社九階・間組江戸川作業所各爆破事件では、判示のとおり、爆弾の仕掛けを担当した者らに殺意さえも認められ、それが第一次的な目的であつたか否かは別として、人の身体を害する目的があつたことはいうまでもない。

(三)  大成建設爆破事件では、銀座の公道に白昼爆発するように威力の大きい爆弾を仕掛け、現に重傷者を出したもので、それが第一次的目的であつたか否かは別として、人の身体を害する目的があつたことは明らかである。

(四)  間組本社六階爆破事件でも、当時のビル内の人の存在の状況、周辺民家及び公道の状況、爆破時刻、威力の大きい爆弾を仕掛けたこと等からみて、それが第一次的目的であつたか否かは別として、人の身体を害する目的もあつたことは明らかである。

2(一)  間組大宮工場・韓国産業経済研究所・オリエンタルメタル各爆破事件については、仕掛けた場所等についての前記のような状況、爆弾の大きさ、被告人らはそれまでにもすでに三菱重工・大成建設等の各爆破事件によつて、人に対する殺傷の結果が生じていてこれを認識しており、これら事件を直接担当した「大地の牙」が行なつた昭和四九年一〇月の三井物産爆破攻撃でも重傷者を出していることは、被告人片岡の最終陳述でも窺えるし、また、韓国産業経済研究所及びオリエンタルメタル各爆破事件の際は、すでに間組本社九階で重傷者を出したことも認識していたはずであるから、間組大宮工場・韓国産業経済研究所・オリエンタルメタル各爆破事件においても、他人の身体を害する目的が存在したのではないかとの疑いはある。

(二)  しかし、間組大宮工場爆破事件では、爆発時刻は午後八時ころでしかも爆弾仕掛け地点付近にバス停留所があつたとはいえ、本件爆弾を仕掛けた当時その付近に通行人や同工場に勤務する人々がいたと認めうる証拠はなく、予告電話をして、現実にも人の傷害の結果も発生していず、また、韓国産業経済研究所・オリエンタルメタル各爆破事件では、爆発時刻はいずれも午前一時ころであり、爆弾仕掛け地点付近に人の現在していた確証はなく、爆弾の仕掛け担当者においてその付近に人がいたと認識していた確証もなく、現実に人の傷害の結果も発生していない。

結局、右三事件については、人の身体を害する目的が存在した確証がないので、右目的を認定しない。

(被告人荒井の幇助犯の成立について)

一  被告人荒井及び弁護人らの主張

被告人荒井及び弁護人らは、被告人荒井の幇助犯の成立を争い、同被告人は当時「狼」の一員でなかつたこと、同被告人には、正犯らの実行行為の認識がなかつたこと、同被告人の提供したクサトール等は、正犯らの使用した爆発物の製造に用いられた形跡はなく、その提供した資金も正犯らの犯行に用いられていないこと、同被告人が東アジア反日武装戦線「狼」に加盟し、その一員として正犯らの一連の企業爆破闘争を支援することを約束したとされる行為及び右支援の方法として爆弾製造の材料として用いる塩素酸ナトリウム等を継続的に入手して右「狼」に補給することを約束したとされる行為は、その当時は、正犯らはまだ天皇暗殺計画に没頭していて、本件企業爆破は考えていない、換言すれば企業爆破の目的形成前の単なる意図の段階であるにすぎなかつたから、いずれも幇助行為たりえない旨主張する。

二  当裁判所の判断

前記弁護人らの主張に対し、本件各証拠を総合して考察する。

1  幇助意思の存在について

(一) 被告人荒井は、法政大学在学当時から大道寺將司らの爆弾闘争志向グループの一員となつて、釧路付近での爆弾実験にも関与したこと、判示第二の総持寺爆破事件にも途中まで関係していること、判示第三の一、二の北海道での犯行を右大道寺らによるものと察知した旨述べていること、昭和四八年夏にも姉なほ子が右大道寺らにクサトール三〇キログラムを貨車便で送るのを手伝つたこと、右大道寺らは、「腹腹時計」の原稿のタイプを打つた荒井なほ子でさえ、同女が「狼」を去ろうとしたため渡さなかつた「腹腹時計」を被告人荒井には交付したこと、同書一頁には、同書は、「武闘派同志諸君と共に東アジア反日武装戦線へ合流しその強化をめざす為のものである」こと、同書七頁・九頁には、ゲリラ兵士は、友人に対しても、「家族同様自分の真の姿を見せてはならない」こと、「同志以外の人間に対する警戒と配慮は、例え肉親であつても同様である」こと、同書一〇頁には、「狼」において、武器・爆弾製造、保管、財政、通信連絡等任務を分担していることを挙げ、組織において一個人に集中的に過重な負担をかけないようにすることが記載されていること、同書一一頁にはゲリラ兵士は組織名をもつべきことを記しているが、同被告人は「杉本」の組織名を有したこと、就中、同書一一頁には、武器爆薬・闘争資金はみずからで製造・獲得するのが鉄則であり、「狼」はとくに思想的にこの点を最重要視していて、断じて他人に依拠してはならないことを説いていること、昭和四九年八月二〇日ころには、三菱重工の名こそ聞かなかつたが、大道寺將司から近い将来ある仕事をする旨聞いて同人らが爆弾闘争をすることを察知していること、同月下旬ころ及び同年一一月ころの二回にわたりダイナマイト貯蔵庫を偵察したこと、同年八月二〇日ころには三菱商事の下見をしていること、三菱重工事件後、片岡を通じてこれを「狼」の犯行と知らされたこと、帝人攻撃は一一月上旬予め知らされたこと、大道寺將司らと富士山麓で手製銃の射撃訓練を行なつたこと、同年一一月ころ「狼」メンバーの自殺用青酸カリの致死量調査を依頼され回答したこと、「狼」の爆弾闘争資金五万円を右大道寺から預つたこと、逮捕された当時爆弾製造用器具等をその居室に置いていて押収されたこと等から被告人荒井が「狼」に参加していたことは明らかである。

弁護人らは、被告人荒井は単なる「狼」の同調者であるかのように主張し、大道寺將司らも当公判廷でこれにそう供述をしているところ、なるほど被告人荒井は三菱重工爆破の件も間組本社九階爆破の件も事前に知らされていないなど他の「狼」のメンバーとは異つた面のあつたことは否定できないが、これは、同被告人は学業のため遠隔地にいたので、クサトール等の補給という兵站を担当し、具体的攻撃企業名を聞かされない立場にあつたものと認められ、同被告人が単なる同調者であつたからではない。

(二) 被告人荒井は、前記のように判示第三の一、二の北海道での事件を大道寺將司らの犯行と察知したが、その後看護婦の資格を得るため東北大学付属の短大に入学したものの、学業を続けるべきか右大道寺らの武力闘争に復帰すべきか悩み始め、昭和四八年一二月ころ及び同四九年二月ころ右大道寺らと会つて意見を交換していたが、右大道寺らが同人らのグループを東アジア反日武装戦線「狼」と名乗り、前記「腹腹時計」を出版した後の同年四月に右大道寺と会つて、海外進出企業を攻撃すべき旨意見を述べたところ、海外進出企業を含んだ新旧帝国主義者を攻撃すべきものと考えていた右大道寺から「腹腹時計」を渡され、その内容が自己の考えと同一であつたことから右大道寺らの爆弾使用による反日武装闘争に共鳴し、同人から「狼」への参加及び東北地方から爆薬材料となるクサトール等の購入補給を求められて、「狼」に加わり、本件一連の幇助行為に及んだものと認められる。

なお、被告人荒井が「腹腹時計」を受けとつた際、同人は、右大道寺らが「狼」であることの認識さえなかつた旨最終陳述しているが、前記経緯、「腹腹時計」の後記のような記載内容、被告人荒井が、かつて右大道寺らの行なつた北海道の事件を新聞で読んだだけでその犯人を右大道寺らであろうと推察した点などから推しても、右陳述は措信できるものではない。

このように、被告人荒井の「狼」加入の経緯、同被告人の居室から押収された「腹腹時計」の記載内容、とくにその一頁以下で、同書が「東アジア反日武装戦線狼がこれまで自分たちの手で研究、開発、実験し、爆弾闘争を戦つた経験を今の段階で総括するものであり……」「狼は、現在いくつかの爆弾事件によつて治安警察から追求されているが、致命的な捜査資料は残していない。」「われわれは、新旧帝国主義者、軍国主義者、植民地主義者、帝国主義イデオローグ、同化主義者を抹殺し、新旧帝国主義、植民地主義企業への攻撃、財産の没収などを主要な任務とした狼である。」との諸点に照すと、同被告人は、本件各幇助行為の時点において、正犯の大道寺將司らが実行した三件のいわゆる企業爆破事件について、あらかじめ具体的攻撃目標やその実行行為の具体的内容についての認識のないものがあつても、少くとも右大道寺らが手製爆弾を製造しこれを使用してその新旧帝国主義者の一つとする海外進出企業を爆破攻撃する行為に出るとの認識を有していたものと認めることができる。

(三)(1) ところで、弁護人らは、被告人荒井が正犯たる右大道寺に対し、その一連の企業爆破闘争の支援を約したとされる昭和四九年四月ころには右大道寺らはまだ企業爆破闘争を考えていず、当時は天皇暗殺を企図しその準備を進めていたのであり、企業爆破を企図するに至つたのは天皇暗殺計画が挫折したのちの同年八月二〇日ころからであるにすぎず、同年四月ころには正犯とされる右大道寺らの企業爆破の犯行の目的形成前であるから、被告人荒井の幇助は成立しない旨争つていて、被告人荒井、大道寺將司、片岡も右主張にそう最終陳述をしている。

(2) なるほど、昭和四九年四月当時、大道寺將司らは、「腹腹時計」記載のようにその新旧帝国主義者とする者に対する爆弾による攻撃の方針は堅持していて、その闘争の一環として、具体的には、新旧帝国主義者の頂点にあるとする天皇に対する爆弾攻撃を企図して着々とその準備を進めていたものであり、他方、被告人荒井は、前記のような認識のもとに判示のような支援約束・爆弾材料等の継続的補給約束・現実の補給等の支援行為に及んだものであるところ、被告人荒井と正犯たる右大道寺らとの間においては、昭和四九年四月以来、右正犯らの爆発物を使用するという構成要件に該当する基本的事実においても、また爆発物使用の対象を同人らの新旧帝国主義者とする者とする点においても、同人らの認識に齟齬はなく、幇助犯は正犯の犯行の日時・場所・具体的手段・方法についてはもちろん、幇助する正犯の犯行の被害者が何人であるかも具体的に認識することを要しないと解するから、本件の場合被告人荒井の幇助犯成立に必要な主観的要件に欠けるところはない。

しかも、被告人荒井は、前記のように、昭和四九年四月当時から、その主観において海外進出企業に対する爆弾攻撃を幇助する意思のもとに幇助行為に及んだものであり、他方、正犯らも、同年八月中旬以降は、結局海外進出企業に対する爆弾攻撃を行なうことにしたものであるから、この点からも被告人荒井の幇助犯成立に必要な主観的要件に欠けるところはない。

以上のとおり被告人荒井は、「狼」に加わつて、正犯らの実行しようとする犯罪の構成要件の基本的事実を認識してこれを幇助する意思のもとに幇助行為に及んだものであるから、この点についての弁護人らの主張は理由がない。

2  幇助行為の存在について

(一) 被告人荒井が正犯の大道寺將司らに交付したクサトール等は、正犯らの三菱重工・帝人中央研究所・間組本社九階各爆破事件の各爆弾に使用された形跡がないので、幇助犯は成立しない旨の弁護人らの主張について検討する。

たしかに、正犯の右大道寺らが実行したいわゆる三菱重工・帝人中央研究所各爆破事件で使用された爆弾は、いずれも、被告人荒井が最初に本件クサトール及び硫黄を右大道寺らに交付する以前の昭和四九年八月一〇日ころ、荒川鉄橋天皇特別列車爆破に使用する爆弾として製造されたものであることが認められるから、弁護人ら指摘のとおり、被告人荒井が正犯の右大道寺らに交付した本件クサトール及び硫黄は、いずれも三菱重工・帝人中央研究所各爆破事件に使用された爆弾の爆薬には直接用いられていない。

しかし、司法警察員大城戸留夫作成の捜索差押調書、押収に係るクサトール一キログラム入り二二袋(昭和五二年押第三一号の7)及び押収にかかる毒物及び劇物譲受書一枚(同押号の51)などを総合すると、右大道寺の居室から押収されたクサトール一キログラム入り二二袋のうち、いずれも有効年月日が昭和五二年一〇月となつている未使用分の一九袋と開披ずみの一袋(中味が約半分に減少しているもの)の合計二〇袋のクサトールは、被告人荒井が、昭和四九年八月五日一関市内の千田作商店から購入した一キログラム入り二〇袋のクサトールであることが認められるから、右一キログラム入りのクサトール二〇袋は、被告人荒井から右大道寺に交付された後に、そのうちの一袋が開披され、約半分の量のクサトールが費消されたものと推認され、右クサトールなどの爆薬材料の在庫を管理していた大道寺あや子の検察官に対する昭和五〇年六月一九日付供述調書謄本(前綴りのもの)第九項、同月二七日付供述調書謄本第一項からすると、昭和四九年八月以降「狼」グループが製造した爆弾は、右三菱重工・帝人中央研究所・間組本社九階各爆破事件に使用した四個の爆弾のみであり、その他には昭和四九年八月以降実験用の爆弾を製造したことも、クサトールを爆薬以外の用途に費消したこともないと認められるし、大道寺あや子の検察官に対する昭和五〇年六月二九日付供述調書謄本第三項及び大道寺將司の検察官に対する同年六月二六日付供述調書第一二項、同年七月四日付供述調書第三項を総合すると、開披されている一キログラム入りクサトール一袋は、右間組本社九階爆破事件に使用する爆弾の爆薬を作る際に用いられたものと認められるから、その一キログラムの中の減量分に相当する約五〇〇グラムのクサトールは、右大道寺らが右爆弾の爆薬の製造に費消したものと認められる。このように、被告人荒井が三回にわたり正犯の右大道寺らに交付した本件クサトールのうちの一部が、間組本社九階爆破に使用された本件爆弾の爆薬に費消されたことが明らかであるから、被告人荒井の判示第一三のクサトールの各交付行為は間組本社九階爆破の有形的幇助行為に該当することは明らかである。

さらに、本件クサトール・硫黄等が三菱重工及び帝人中央研究所各爆破事件の爆弾の爆薬に、また、本件硫黄が間組本社九階爆破事件に用いられた爆弾の雷管に使用されていなくても、被告人荒井が正犯の右大道寺らの組織する東アジア反日武装戦線「狼」に加入して右大道寺らの行なう企業爆破闘争支援を約し、その支援の方法として、爆弾製造の材料として用いるべき塩素酸ナトリウム・起爆剤等として用いるべき硫黄等を向後継続的に入手して補給することを約し、現にこれを補給した一連の行為は、一体として正犯らが連続した爆弾使用攻撃の実行行為(三菱重工・帝人中央研究所・間組本社九階各爆破事件)をなすにあたり、その爆弾を使用し易くしその使用の意思を強固ならしめたものと推認できるから、無形的幇助行為に該当するものと認められる。すなわち、正犯たる大道寺將司らがその企図していた連続企業爆破闘争を行なうには、大量のクサトール等爆薬材料が備蓄されているか、継続して補給される必要があると考えられるところ、クサトール等は都会地では一般には入手に困難が伴ない、とくに首都圏で爆破闘争が開始されればますますその付近では入手の困難となることが予想され、さればこそ、東北地方に住む被告人荒井の補給を頼みとしていたと思われること、しかも、クサトールのような除草剤は季節的なものであるから五月ないし八月ころに入手の要があり(「腹腹時計」一五頁)(黒川芳正の検察官に対する昭和五〇年六月二五日付供述調書では、同人はその旨大道寺將司から教えられたことが窺えること)、従つて、クサトール等の補給状況如何は、正犯らが向後連続的に行なう爆破闘争の回数及びこれに用いる爆弾の大きさ、個数を決定する場合、大きな要因となることは明らかである。たとえば、或る爆弾闘争を行なう際、既に製造されていた爆弾があつても、これをそのまま用いなければならないものではなく、クサトール等爆薬材料の保有量・補給の状況及び見込等の如何によつて、使用すべき爆弾の爆薬量すなわち爆弾の大きさ、個数が左右されるものと考えられ、本件の場合も、天皇暗殺用に用意したペール缶爆弾二個並びにその陽動作戦用に予定した消火器爆弾のうち、ペール缶爆弾二個が三菱重工攻撃用の爆弾として使用されるについては、被告人荒井が昭和四九年八月五日ころクサトール四〇キログラムを入手して、そのころその旨大道寺將司に電話連絡し、同月二〇日ころ右大道寺らにクサトール六キログラムを補給したことは、正犯の右大道寺らの三菱重工に対する爆弾攻撃に用いる爆弾の大きさ及び個数を決定するについて役立ち、右爆弾を使用し易くし、右使用の犯意を強固ならしめたと推認できるのである。

右クサトールの交付のほか、昭和四九年九月八日ころにおける判示硫黄の交付並びに同年一一月九日ころにおける判示クサトールの交付も、正犯の右大道寺らの帝人中央研究所に対する爆弾使用について、全く前同様の理由で幇助となり、上記の各交付のほか、昭和五〇年一月一一日ころにおける判示クサトール及び硫黄の交付も、正犯の右大道寺らの間組本社九階に対する爆弾使用について同様に幇助となると認められるのである。

被告人荒井が正犯たる大道寺將司らの「狼」に加わつてその爆弾使用闘争の支援を約し、右闘争に使用する爆弾の爆薬材料等に用いるクサトール等の継続的補給を約することは、右正犯たる大道寺らに対する無形的援助行為であるところ、その後、被告人荒井は右約束に基づき現実に爆弾製造材料のクサトール・硫黄を右大道寺らに交付し、同人らが、そのいわゆる新旧帝国主義者・海外進出企業等に対する爆破闘争の一環として、現実に間組本社九階攻撃用の爆弾を製造し、三菱重工・帝人中央研究所・間組本社九階攻撃用の爆弾をそれぞれ使用して、三件の企業爆破を実行した経過に照らせば、被告人荒井の判示第一三の一、二の行為は、右約束に基づくその後の幇助行為と一体となつて、正犯の実行行為を直接または間接に容易ならしめて幇助したものと認められる。

被告人荒井が、三回にわたり爆弾使用闘争の資金を供与した判示第一三の三、六、七の行為も幇助行為に該当することは、明白である。すなわち、押収にかかる金銭出納帳二冊(前同押号の41)並びに大道寺あや子の検察官に対する昭和五〇年六月一三日付、同月一六日付、同月一八日付、同月一九日付(三通、検察官請求証拠目録甲共一の番号10、11、12)、同月二九日付各供述調書謄本及び大道寺將司の検察官に対する昭和五〇年六月一四日付、同月二六日付、同年七月四日付各供述調書を総合すると、被告人荒井が三回にわたり供与した本件現金は、いずれも「狼」の企業爆破闘争の資金として他の構成員が拠出した現金とともにプールされ、財政担当の正犯大道寺あや子のもとで保管されて、右爆破闘争に用いる爆弾の製造に必要な原材料、機械・器具類等の購入資金、活動資金などに順次支出され、或いは支出される予定であつたことが認められるから、被告人荒井の本件現金の供与行為も、正犯たる右大道寺將司らの本件三つの爆発物使用の各実行行為を援助する行為として、幇助行為に該当することは明らかである。

要するに、被告人荒井の判示第一三の行為、すなわち「狼」に加入してその爆弾使用闘争の支援を約し、爆薬・起爆剤の材料となるクサトール・硫黄等の継続的補給を約すること及びその現実的な補給行為は、一体として、正犯らが一連の爆破闘争をなすにあたり、爆弾の使用をし易くし、その犯意を強固ならしめたものと認められ、同被告人の補給したクサトールの一部は間組本社九階爆破の爆弾の爆薬として用いられていると認定でき、また提供した資金も正犯らの爆破闘争資金としてプールされたうえその爆破闘争用に支出され、その目的に利用されており、幇助行為にあたることは明らかである。

以上のとおり、被告人荒井は、正犯の右大道寺らが反日武装闘争の一環として、爆発物である爆弾を製造したうえこれを使用して継続的にその新旧帝国主義者とする者に対し爆弾攻撃を敢行すること、すなわち爆発物取締罰則一条違反の犯行を決意し準備していることを認識しながら、これを支援する意思をもつて、判示第一三の所為中一ないし四の行為で正犯たる右大道寺らの判示第一三の(一)の所為を幇助し、判示第一三の一ないし六の行為で正犯らの判示第一三の(二)の所為を幇助し、判示第一三の一ないし七の行為で正犯らの判示第一三の(三)の所為を幇助したもので、結局、被告人荒井は判示の幇助行為によつて正犯らの判示第一三の(一)、(二)、(三)の各犯行を容易ならしめて幇助したと認められるから、右各爆発物取締罰則一条違反の幇助犯が成立する。

従つて、被告人荒井及び弁護人らの前記主張は理由がない。

(荒川鉄橋天皇特別列車爆破等事件についての被告人ら・弁護人らの公訴棄却の申立並びにこれに対する当裁判所の判断)

一  弁護人ら・被告人らの申立及びその理由

被告人大道寺、同片岡の荒川鉄橋天皇特別列車爆破共謀・殺人予備事件(判示第四の事件、以下この項では荒川鉄橋事件と略称する。)につき、刑訴法三三八条四号に基づき、公訴棄却の申立をするが、その理由の要旨は次のとおりである。

1  被告人大道寺及び同片岡は、昭和五〇年六月一〇日、同月二八日、同年七月九日、同月一七日の四回にわたつて起訴され、これによつて捜査は終結したとされて、身柄を東京拘置所に移監されたものであるが、検察官は、右捜査過程において、荒川鉄橋事件について右被告人らから供述をえて、その内容を知つたのに、治安の必要上これを隠秘する目的で起訴しないことにしておきながら、同年九月二〇日朝日新聞が本件について報道、事件が公になるや、検察官は、その隠秘工作を隠し、その体面をとりつくろうために、一転して、この事件についても、逮捕し、起訴する方針を決め、同年一一月一四日本件公訴が提起されるに至つたものであつて、本件公訴提起は、一旦は起訴しないことを決めながら、前記のような事情から、刑事政策その他適正かつ客観的な考慮に基づかず、訴追裁量権を逸脱して恣意的になされたものであるから、公訴権の濫用として、本件公訴は棄却されるべきである。

2(一)  被告人大道寺及び同片岡は、三菱重工事件等他の被疑事実で勾留されていた昭和五〇年六月中旬から七月初めの段階で、すでに荒川鉄橋事件について取調べを受けているが、右取調べは、別件勾留中に強制的に行なわれた取調べで令状主義を逸脱した違法なものであり、また、このような違法な取調べが行われてしまつた以上、少なくともそれ以後は同一犯罪事実については強制捜査は許されないと解すべきであるのに、右被告人両名は、荒川鉄橋事件によつて、同年一〇月三一日から同年一一月一四日まで逮捕・勾留されており、これは、同一犯罪事実についての実質的な逮捕・勾留のむしかえしであるから、本件捜査は違法である。

(二)  荒川鉄橋事件逮捕は、当時すでに起訴されていた他の事件の第一回公判期日(昭和五〇年一〇月三〇日)後である昭和五〇年一〇月三一日になされ、その後同年一一月一四日まで接見禁止を付されて勾留がなされたが、この時期は、被告人らが右起訴されていた他の事件の公判準備に没頭していて、被告人ら、弁護人ら間の緊密な打合わせが不可欠であつたのであるから、右逮捕・勾留は、被告人らの防禦権を侵害する違法なものである。

(三)  検察官は、荒川鉄橋事件で被告人らを逮捕・勾留して取調べるに際し、弁護人らが本件の公表・起訴を求めているとか、九月二〇日の朝日新聞の記事は弁護人の鈴木淳二が朝日新聞の記者に情報を流したもので、その際金が流れたといううわさがあるなどと事実に反することを被告人らに述べて、弁護人を誹謗中傷し、弁護人ら・被告人ら間の信頼関係を破壊して被告人らの供述を得ようとしたもので、違法な捜査というべきである。

以上のとおり、本件捜査には違法があり、本件公訴提起は、右違法な捜査活動に基づくもので、公訴権を濫用するものというべきであるから、本件公訴は棄却されるべきである。

二  当裁判所の判断

1  証拠の標目並びに被告人らの検察官に対する各供述調書等の証拠能力についての当裁判所の判断の項に記載した各証拠及び証人親崎定雄の当公判廷における供述を総合すると、検察官は、三菱重工事件の捜査過程で、同事件に使用された爆弾に関連して、被告人大道寺、同片岡らからこの荒川鉄橋事件についても概略の自供を得ていたが、当時表にあらわれていた重大な一連の企業爆破事件を順次捜査し、その処理を急ぐ必要があつたこと、この段階では、荒川鉄橋事件は三菱重工事件計画過程での被告人大道寺らの単なる考えにすぎないのではないかとの疑いがあつたこと、荒川鉄橋事件公表による社会的影響を十分配慮する必要があつたことなどの理由で、荒川鉄橋事件の捜査を進めることを一時保留し、同事件の存在を秘し、一連の連続企業爆破事件の捜査及び起訴が一応終結した昭和五〇年七月下旬以降その公判準備を進めるとともに、荒川鉄橋事件の捜査、処理について検討していたところ、同年九月二〇日朝日新聞に同事件の概要が報道されるに至つたので、早急に同事件の捜査を遂げて処理する必要に迫られ、同事件の真相を究明するため、同年一〇月三〇日に強制捜査にふみ切ることを決定し、翌三一日に被告人大道寺及び同片岡を逮捕して、さらに取調べを行ない、犯行現場である荒川鉄橋付近の実況見分をし、被告人大道寺の自供に基づいて電線八巻を発見して領置するなどの捜査を遂げたうえ、本件公訴を提起したことが認められ、右経過にかんがみると、本件公訴提起が刑事政策その他適正かつ客観的な考慮に基づかず訴追裁量権を逸脱した恣意的なものということはできない。

2  逮捕・勾留のむしかえしであるとの主張については、判示認定のように、三菱重工事件及び帝人中央研究所事件において使用された爆弾は、荒川鉄橋事件において鉄橋爆破及びその陽動作戦たる交番爆破に使用される予定で製造されたものであるから、三菱重工事件及び帝人中央研究所事件で勾留して取調べる過程において、荒川鉄橋事件についても取調べることは当然であつて、許されるし、その後荒川鉄橋事件自体の捜査・処理を遂げるため、同事件について逮捕・勾留することも、本件の場合十分その必要性が窺われるから、適法である。従つて、違法捜査に基づく公訴提起とは認められない。

3  荒川鉄橋事件についての逮捕・勾留が他の被告事件についての防禦権を侵害するものであるとの主張については、もともと、他の被告事件の公判開始後に、別の被疑事件についての逮捕・勾留がなされ、かりに、そのため前記被告事件の公判準備に支障が生じたとしても、右被疑事件についての公訴提起が何ゆえに公訴権濫用となるのか理解し難いし、他の被告事件の第一回公判期日後に荒川鉄橋事件で逮捕・勾留がなされ、かりにそのため他の被告事件の公判準備に支障が生じたとしても、荒川鉄橋事件について逮捕・勾留の必要が認められる以上、そのため右逮捕・勾留が違法となるものではない。従つて、違法捜査に基づく公訴提起とは認められない。

4  荒川鉄橋事件の取調べにおいて、検察官が被告人大道寺及び同片岡に対し弁護人を誹謗中傷したとの主張については、右被告人らの検察官に対する各供述調書の証拠能力についての判断の項で判示したように、右各調書の任意性に影響はなく、右各調書に証拠能力があるものと認められ、その他公訴権の濫用として公訴提起を違法ならしめる事実は認められない。

以上のとおり、公訴権の濫用を理由とする弁護人らの公訴棄却の申立は、理由がないから、認められない。

(被告人荒井まり子に対する爆発物取締罰則違反幇助事件についての弁護人の公訴棄却の申立並びにこれに対する当裁判所の判断)

一  弁護人新美隆の申立及びその理由

被告人荒井まり子に対する爆発物取締罰則違反幇助被告事件(判示第一三の事実)につき、刑訴法三三八条四号に基づき、公訴棄却の申立をするが、その理由の要旨は次のとおりである。

従犯の訴因については、正犯との結びつき即ち正犯の実行行為を容易ならしめたことの具体的事実が明らかにされなければならないと解すべきであるが、本件起訴状においては、幇助行為(三)(クサトール等の交付)及び(四)(資金の供与)によつて提供された物又は現金が何にどのように使われたかが明らかにされておらず、幇助行為(一)(闘争支援の約束)及び(二)(塩素酸ナトリウム等の補給の約束)は正犯らの爆発物取締罰則にいう目的形成前の単なる企図に対してなされたものとしか読めず、これがいかなる意味で同罰則一条の幇助たり得るかについては全く不明であつて、犯罪としての特定を欠くものであり、これらの点は検察官の釈明によつても明らかにならなかつたのであるから、本件起訴状の訴因は、訴因として特定されているとはいえず、刑訴法二五六条に違反するので、本件公訴は棄却されるべきである。

二  当裁判所の判断

本件起訴状には一ないし三として正犯行為の日時・場所及び(一)ないし(四)として幇助行為の日時・場所の記載があり、正犯行為と幇助行為との関係については、「右(一)ないし(四)の一連の行為により、前記一ないし三の各犯行を容易ならしめて、これを幇助した」との記載があり、検察官は、冒頭手続段階において、「被告人荒井まり子の本件幇助の訴因は、同被告人が、被告人將司らの東アジア反日武装戦線「狼」の企図する爆弾による企業爆破闘争に対し、精神的、物質的支援を約し、かつ、その約旨に従つて、訴因記載のとおり、「狼」に爆発物製造の原料及び右闘争の資金としての金員の提供を継続的に行つた一連の行為が、一体となつて、右闘争の一環として被告人將司ら「狼」により行われた訴因記載の各犯行を容易ならしめたという趣旨である。」と釈明しており、訴因の特定としては、右起訴状の記載及び検察官の釈明によつて明らかになつた程度で充分であると解するので、訴因不特定を理由とする弁護人の右公訴棄却の申立は、理由がなく、採用できない。

(第三回公判期日における弁護人ら不在廷での起訴状朗読を違法とする弁護人らの主張並びにこれに対する当裁判所の判断)

一  弁護人らの主張

第三回公判期日(昭和五〇年一二月二五日)において、被告人全員が退廷命令により、弁護人全員が退廷命令により又は自主的に退廷し、在廷しなくなつた状態で、起訴状朗読を終えた手続は違法である。なお、右のような状態においては、弁護人には在廷義務がない。

二  当裁判所の判断

右起訴状朗読の手続については、その後に第七回公判期日及び第一一回公判期日の二度にわたつて、裁判官の交替にともなう更新手続がなされ、その際、起訴状朗読がなされているので、弁護人らの右主張は、主張の利益がないこと明らかである。なお、右第三回公判期日における起訴状朗読の手続については、弁護人の異議申立に対し、更新前の当裁判所において、すでに昭和五一年六月一五日付決定で判断を示しているように、全く適法な手続であり、弁護人らは退廷を命じられるような行為に出たり、在廷命令を無視して無断で退廷したものであつて、右のような弁護人らの行状こそ、弁護人の権限を濫用するものであり、法曹倫理にも反するものというべきである。

なお、弁護人に法的在廷義務のあることは当然であつて、弁護人らのこれに反する主張は、論ずるまでもなく失当である。

(第二一回公判期日において弁護人ら不出頭のまま審理が行なわれたことを違憲・違法とする弁護人らの主張並びにこれに対する当裁判所の判断)

一  弁護人らの主張

裁判所が昭和五二年一月一四日の第二一回公判期日において、本件が必要的弁護事件であるのに、弁護人不出頭のまま証人調べ等の審理を行なつたのは、憲法三七条三項、刑訴法二八九条一項、二項、三四一条に違反するから、右期日における証拠調べは無効というべきであり、その理由は、次のとおりである。

1  裁判所の右措置の前提とされた事実認定及び評価には誤りがある。すなわち、裁判所は、弁護人らが正当な理由なく不出頭を重ねたと認定したが、これは、次のように誤りというべきである。

(一) 昭和五〇年一二月二五日の第三回公判期日前の弁護人らの不出頭は、分離公判には出頭しない意思を表明していた被告人らとの信頼関係維持のため、やむなく三回の不出頭に及んだもので、弁護人らは右不出頭に絶対的に法的正当性があると主張するものではないが、このような弁護人らの配慮が効を奏して事件の併合もなされ、右第三回公判期日には全被告人出頭のもとに審理が行なわれたものであるから、弁護人らの前記不出頭は、将来の審理に有益であつたという観点からは正当というべきである。

(二) 昭和五一年一一月一一日の第一五回公判期日での弁護人らの不出頭の事情は、昭和五一年七月裁判長交代後、裁判長より、従来裁判所との間で確認されていた開廷前一時間の被告人・弁護人間の打合わせ時間を否定する発言があり、裁判長の訴訟指揮権・法廷警察権の行使が強権的となり、同年一〇月二一日の第一四回公判において、裁判長は起訴状の釈明を打切り、これに抗議する被告人らに退廷命令を発し、弁護人の一名が、看守らの被告人らに対する退廷命令の執行が過剰にならないよう監視しようとしたところ、看守に暴行を加えたとして監置一〇日の制裁を受け、その次の第一五回公判期日の昭和五一年一一月一一日は、弁護人らは、看守の暴力に対する裁判所の厳正な監視体制が約束されないのでは向後安心して弁護活動ができないので、前回の裁判所の措置に抗議して不出頭に及んだものである。

次に、同年一一月一七日の第一六回公判期日は、被告人と弁護人の意見陳述に要する公判回数についての裁判所との折衝が当日の午後まで行なわれ、その合意が成立して同期日の開廷に至つたものであり、「弁護人らは、被告人らの不出頭に同調して出廷を拒否しようとしたが、当日は実質審理を行なわないとの前提のもとに当裁判所の勧告に応じ出頭した。」旨の裁判所の認定は誤りである。

(三) 弁護人らが昭和五二年一月一四日の第二一回公判期日に出頭しなかつた理由は、従前裁判所との間で公判期日の頻度を月二回とする約束があつたのに、昭和五一年一一月一五日に行なわれた打合わせにおいて、裁判長より、昭和五二年一月以降は、月四回金曜日を指定するとの意向を示され、昭和五一年一二月一六日の第一九回公判でも同様の予定を示され、同年一二月二四日の第二〇回公判期日には、そのように期日が指定された。そこで、弁護人らは、とりあえず昭和五二年一月一四日の期日の取消しを求めたが、却下されたため、弁護人ら・被告人らはやむをえず右一月一四日の公判期日に出頭しなかつたものである。弁護人らが右のような期日指定に反対したのは、(イ)前記のとおり調書上にも記載されている従前の確認があること、(ロ)被告人六名全員が接見禁止され、接見・打合わせに膨大な時間を要すること、(ハ)通常の調書作成期間から考えて十分な公判の準備ができないこと、(ニ)毎週金曜日が期日指定されると、他の受任事件に支障があることなどから、月四回の期日指定は、実質的弁護活動を否定するものであるという点にあり、また、当時は冒頭手続中で立証に要する時間を、まだ現実には確定しえない状態であつたものである。

なお、裁判所の欠席審理を行なう理由中に、弁護人らが「訴訟手続のみならず、他のあらゆる手段を用いて訴訟の進行を阻止する旨裁判所に申し入れている。」とあるが、そのような事実はない。

2  右裁判所の月四回の期日指定は、法的には迅速裁判の要請と無関係であり、違法・不当というべきである。

もともと、公平な裁判所の迅速な裁判を受ける権利は、被告人の権利であり、被告人の人権という側面こそ強調さるべきものであり、学者も、迅速な裁判の問題としては、被告人の望む限りにおいて手続の迅速な進行をはかること、手続の緩慢な進行が被告人の利益に帰する場合が少なくないこと、被告人の多くが必ずしも常に手続の迅速な進行を欲するとは限らないこと、集団公安事件の確信犯罪の被告人の審理では訴訟期間の短縮よりも、むしろ時間をかけた慎重な審理が要求されること等を指摘している。また、そのような観点からは、最高裁判所昭和三六年(し)第一〇号昭和三六年五月九日第三小法廷決定刑集一五巻五号七七一頁及び最高裁判所昭和三六年(し)第三八号昭和三七年二月一四日大法廷決定刑集一六巻二号八五頁等の考え方には疑問がある。

ところで、本件における裁判所の考え方は、およそ迅速裁判の意義を誤解したものであり、公判審理の期間は、被告人の数・訴因・証拠の数・弁護人の人数等の総合的事情の制約を免がれないものである。現に、本件では、その後月二回の頻度で公判が進められたが、本件審理が遅延しているとする意見の見受けられないことからしても、裁判長の当初の期日指定が性急にすぎたことは明らかである。

このように、第二一回公判期日における弁護人らの不出頭は、右のような期日指定のもとでは、被告人らの弁護を継続することが不可能のため、やむをえず行なつたものであり、その責任は裁判所にあるから、それを被告人らの不利益に転嫁することは許されない。

3  弁護人選任権を剥奪した本件欠席審理は、違憲・違法である。

(一) 必要的弁護事件において、弁護人が出頭しないでも審理が可能であるとするのは、違憲な立法論を解釈論に持ち込んだものである。

法文の解釈上必要的弁護事件における弁護人不在廷の審理は不可能であり、それゆえに、違憲立法と批判されたいわゆる弁護人抜き裁判特例法案が必要との動きさえ現われたのである。かりに裁判所が弁護人の不出頭を正当な理由がないと判断した場合も、刑訴法二八九条二項がその手当として設けられていて、法自体が国選弁護人選任の手続を要することを予想しているのである。

(二) 弁護人選任権の剥奪は絶対に許されない。

本件において、裁判所は、弁護人の出頭を要せず審理が可能としているが、憲法三七条三項は、形式的に弁護人がついているだけでは足りず実質的な弁護を受けうる権利を保障したものであるから、このような実質的な弁護人選任権を剥奪することは、憲法に違反すること明白である。

なお、弁護人の公判不出頭の正当事由の有無については、所属弁護士会が判断すべきものであり、裁判所が判断すべきものではない。

二  右主張に対する当裁判所の判断

1  当裁判所が、昭和五二年一月一四日の第二一回公判期日において、弁護人ら不出頭のまま審理を行なうに至つた経緯及びその理由等は、右公判期日の公判調書に記載のとおりである(刑裁月報九巻一・二号一三一頁)が、弁護人らにおいて、前記のような主張をなすので、補足する。

2  当裁判所は、前記公判期日において弁護人ら不出頭のまま審理をなすにあたり、将来弁護人らより右期日で取調べた証人に対する反対尋問のための再尋問の申し出があれば、関連性・必要性があり、正当な理由なく重複しないかぎりこれを許す旨告知したとおり、弁護人らよりの反対尋問のための再尋問の申し出を許可して反対尋問を行なわせたものである。しかも、その際裁判所は、弁護人ら不出頭のまま取調べを行なつた書証及び物証について、反証の機会を与えたものである。

なお、右第二一回公判の手続及び供述内容については、当時、関係被告人らに対し謄抄本を送達して告知するとともに不服申立の機会も与えたものである(弁護人らは右送達当時は辞任していたので送達はしていない。)。

3  当裁判所が弁護人ら不出頭のまま審理を行なう理由とした点、すなわち弁護人らの公判不出頭は被告人らと同調して行なわれたものであつて、被告人らには弁護人らの右不出頭について帰責事由があるとした点について補足すると、弁護人らは前記一の主張の中で被告人らとの信頼関係を維持するため昭和五〇年一二月一六日の公判期日まで不出頭に及んだことを自認しているし、その後当公判廷において取調べた証拠(検察官請求証拠丙18、被告人大道寺の日記等記載の便せんの一〇月二九日の欄)によると、被告人ら・弁護人らが意思相通じて昭和五〇年一〇月三〇日等の公判期日に不出頭に及ぼうとする趣旨の窺える記載が認められ、これらからすると、第二一回公判期日における弁護人らの不出頭についても同様に少くとも被告人らと同調し不出頭に及んだことが推認できる。

4  当裁判所が第二一回公判期日に国選弁護人を選任することなく審理を行なつた理由は、同期日の公判調書に記載のとおりであるが、これについて補足すると、第二一回公判期日において、当裁判所がかりに弁護士会に対し国選弁護人候補者の推せん方を依頼しても、その推せんが得られる客観情勢ではなかつたことは、次の各事実からも明らかである。すなわち、右期日の一週間後の第二二回公判期日の前日弁護人ら全員が辞任したのちでさえ、当裁判所の在京三弁護士会に対する国選弁護人候補者の推せん方依頼及び数回にわたる催告にもかかわらず、右三弁護士会は右候補者を数か月にわたつて推せんしなかつたことは、弁護人らの弁論によつても、当裁判所より右各弁護士会長に宛てた書簡によつても明らかであり、また、その後、「刑事事件の公判の開廷についての暫定的特例を定める法律案」の国会提出をめぐつて、昭和五四年三月三〇日法曹三者間の合意事項の中で、弁護士会が裁判所より国選弁護人候補者の推せん依頼があつた場合必ずこれに応ずることを漸く確認するに至つたことからも窺えるところである。

5  最高裁判所昭和五一年(あ)第七九八号昭和五四年七月二四日第三小法廷判決裁判所時報第七七三号は、必要的弁護事件についてではないが、被告人の国選弁護人の選任請求権が誠実な権利行使といえず権利濫用とみられるとき、裁判所は選任請求に応ずる義務を負わない趣旨の判断をし、訴訟法上の権利は誠実にこれを行使し濫用してはならないものであることは刑訴規則一条二項の明定するところであり、被告人がその権利を濫用するときは、それが憲法に規定されている権利を行使する形をとるものであつても、その効力を認めないことができるものであることは、最高裁判所の判例の趣旨とするところであると判示した。必要的弁護事件の場合、この法理は、より慎重に考慮すべきものとは思われるが、弁護人らに明らかな権利濫用が認められ、これにつき被告人らに帰責事由の認められる本件の場合にも妥当するものと考える。とくに、本件の場合、第二一回公判調書にその理由を記載したとおり、弁護人らはまだ辞任していたわけでもなく、しかも判事室まで来室していて公判廷に出頭しようと思えばたやすく出頭しうべき状況にあり、裁判所の数回にわたる出廷勧告にもかかわらずついに出廷しなかつたものであつて、その権利濫用は明白というべきであり、これにつき被告人らに帰責事由があることも明らかである。

6  なお、弁護人らが前記主張において前提とする事実の大部分は真実に反するものであつて、事実は当裁判所の第二一回公判調書に記載のとおりであり、また、弁護人らの主張は、それ自体理由のないものが多い。すなわち、

(一) 昭和五〇年一二月一六日の公判期日までの弁護人らの不出頭について、弁護人らは、被告人らとの信頼関係を維持するためやむをえなかつたもので正当であつたとするが、被告人らとの信頼関係を維持するためであつたとしても、それが弁護人らの公判期日不出頭の正当事由と認められないことは自明である。

(二) 弁護人らの前記主張のうち、開廷前の法廷における被告人・弁護人間の一時間の打合わせの廃止の件についても、当裁判所は、かかる打合わせは原則として期日外になすべきものとして、漸次短縮して廃止しようとしたものであつて当然のことである。この点について、前裁判長との間に確認されていたとの弁護人らの主張も、審理のその段階において必要と認められていたものにすぎず、審理の進展に応じ裁判所が右のような形による打合わせを廃止するに至つたこともやむをえないものである。

また、弁護人らが裁判所の訴訟指揮権及び法廷警察権の行使を非難する点についても、裁判長の訴訟指揮権・法廷警察権に従わない被告人・弁護人に対し相応の措置がとられるのはやむをえないことであり、弁護人の制裁に理由がないとする点も弁護人らの独自の見解にすぎず、必要性のない起訴状の求釈明が打切られるのも当然のことである。従つて、昭和五一年一一月一一日の公判期日における弁護人らの不出頭がその前の期日における裁判所の右措置に抗議するためであつて正当であるとする弁護人らの主張は全く理由がない。

なお、裁判所の訴訟指揮を強権と非難する弁護人らは、併合審理を要求して公判期日不出頭を繰返しながら、裁判所がこれを容れて併合決定をするや、今度は併合決定を非難して第三回公判期日の審理を混乱させた被告人らと同調して裁判所の在廷命令に反し無断で退廷していること等からも明らかなように、被告人ら・弁護人らは、当時、審理進行をことごとに阻止していたものといつて差支えない。

(三) 昭和五一年一一月一七日の第一六回公判期日に弁護人らの不出頭はないとの弁護人らの主張も、打合わせ調書及び公判調書に明らかなとおり、全く事実に反するものである。なるほど、当日、弁護人らは、前回の期日に不出頭のため、判事室でその代替日の問題等で裁判所と打合わせを行なつた事実はあるが、当日の公判期日に出頭せず、「当日は実質審理を行なわないとの前提のもとに当裁判所の勧告に応じ」漸く午後に至つて出廷するに至つたものにすぎない。

(四) 裁判所と弁護人らとの間に従前本件の公判開廷回数を月二回とする確認があつたのを、裁判長交代後無視されたとする弁護人らの主張については、昭和五〇年一二月一七日の打合わせ調書に「弁護側は、原則として、月二回の公判期日を受ける。ただ将来立証段階に入つた場合の公判期日については、その段階で別に考慮する。」と記載されていて、これを根拠とすると思われるが、右内容からも、また審理の性質からも明らかなように、右は、前裁判長当時冒頭手続という審理の段階において必要とする期日についての一応の取りきめにすぎず、審理のどの段階においても、また審理のためどれだけ多くの期日が必要とされても、一か月につき二開廷しか公判を行なわないという趣旨でないことは、審理方法が具体的な審理の進捗状況及び必要性に応じて変化するものであることからしても当然である。さればこそ、刑訴法は期日指定権を裁判長の権限としているのである。ところで、本件において、裁判長は、冒頭手続終了の間近いことを見込み、本件の公訴事実の数・被告人数、予想される証拠量、被告人らの態度等を勘案し、必要と予測される期日数を確保する必要から、第一三回公判期日及び昭和五一年一一月一五日の打合わせにおいて、その方針を示したものであつて、このように裁判所側は弁護人側に協力方を求めたにかかわらず、弁護人らは一か月につき二期日以上は絶対に受けられないと主張するだけで何らの歩み寄りを見せなかつたため、やむなく、同年一二月三日の第一七回公判期日において期日を指定したものである。

しかも、当裁判所は、使用割当法廷及び東京地方裁判所仮監(東京拘置所出廷留置所)における戒護上の必要性等から原則として金曜日の開廷とするが、必ずしも曜日にはこだわらないことを、予め、明らかにしていたものである。また、期日の頻度も、一応昭和五二年一月から四月までの間を月三ないし四回の頻度に定めたにすぎない。

次に、弁護人が主張するように、たしかに右期日指定の当時は、まだ冒頭手続の段階ではあつたが、証拠調を目前にしており、前記のような諸般の事情からこの頻度の期日の必要性は当然予測できたのである。その後、弁護人らは、現に、検察官の千数百点にのぼる膨大な書証及び物証の申請に対し、書証につき全部不合意、物証につき全部取調べに異議がある旨の認否意見を述べており、当裁判所の予測した必要期日数が正しかつたことを裏書きしている。

従つて、昭和五二年一月一四日の期日に弁護人らが公判に出頭しなかつたことにやむをえない理由があつたとは到底認められない。

なお、当日、弁護人らが「あらゆる手段を用いて訴訟の進行を阻止する。」旨申入れたことはないと主張しているが、当日午前中弁護人らが判事室に来室した際そのように述べたことは、書記官作成の打合わせ調書にも明記されており、右主張は全く事実に反する。

(五) 本件における月四回の期日指定と迅速な裁判の要請とは法的に無関係であり、右期日指定は違法・不当であるとの弁護人らの主張について考えると、裁判長は、前記のような被告人数・公訴事実数・予測される証拠量・被告人らの態度等審理の必要性を考えて、昭和五二年一月ないし四月まで一か月につき三ないし四回の公判期日を指定したものであつて、刑訴規則一七九条の二の規定を挙げるまでもなく、何ら違法・不当の存しないことは明らかである。

また、迅速な裁判を受けるのは被告人の権利であつて、迅速な裁判は被告人の望む限度でなされるべきであるとするかの如き主張は、なるほど、被告人が迅速な裁判を受ける権利を有することは全くそのとおりであるが、刑事裁判は被告人のためだけに存在しているものではないから、被告人が望む限度でしか審理を進めるべきでないとの主張に理由のないことは自明である。

なお、弁護人らが再選任されて後、本件審理が一か月につき二期日の頻度で進行しているが、遅延しているとの批判もないから、裁判長の月四回の期日指定は性急にすぎた旨の弁護人らの主張について考えると、なるほど裁判長は、弁護人らが辞任して再び弁護人に選任されて後、月二回の頻度の期日を指定して審理の進行をはかつてきたが、右は、弁護人らにおいて、現実に一か月につき二期日以上の期日を受けようとしないためのやむをえないものであつたこと、弁護人ら・被告人らにおいて、検察官申請の証拠を全部争う当初の態度を改め、争点を整理して審理に応ずる姿勢を示したため、おのずから審理に必要とされる期日数も減少したこと、さらに、いわゆるダツカのハイジヤツク事件によつて当時の被告人大道寺あや子、同浴田由紀子が国外において釈放される結果となり、同人らの事件を分離する結果に立至つたため、その分だけ審理期間が短縮されたことによるものである。これらの事情があつてさえ、当初の起訴時点からすれば四年五か月もの長い審理期間を要したことから考えて、裁判長の昭和五一年一二月段階でなした一か月につき三ないし四開廷の頻度の期日指定の必要性は十分あり、これが客観的にも妥当であつたことは明白である。

従つて、第二一回公判期日における弁護人らの不出頭は、右期日指定のもとで被告人らの弁護を継続することが不可能のためやむをえなかつたとの弁護人らの主張は全く理由がない。

(六) 第二一回公判期日で当裁判所が弁護人ら欠席のまま審理を行なつたことは、憲法三七条三項、刑訴法二八九条二項に違反して弁護人選任権を剥奪するものであり、立法論を解釈論に持ち込むものであるとの弁護人らの主張について考えるに、当裁判所は、第二一回公判調書の弁護人ら不出頭のまま審理を進めた理由として記載のとおり、この問題は立法論の範ちゆうに属するとの見方もあろうが、本件のような特殊な事情のもとでの限定された具体的問題としては解釈論の範ちゆうにも属すると考える。従つて、解釈論として無理があるから前記特例法案が国会に提出されたことを前提とする弁護人らの主張は、独自の見解にすぎないし、弁護人らは、前記のようにその権限を濫用し、被告人らは、これについて帰責事由があり、弁護人選任権をみずから放棄したもので、しかも、当裁判所は、前記のように、同期日で取調べた証人に対する反対尋問のための再尋問も後に許しており、何ら違憲・違法のかどはない。

また、刑訴法二八九条二項の問題も、前記公判調書に記載のとおりであつて、違法はない。

(七) なお、弁護人らの公判不出頭に正当事由があるか否かの判断を弁護人らが属する弁護士会が行なうとの主張は、弁護士に対する懲戒等の問題と訴訟法上の問題の区別さえしないものであつて、論ずるまでもなく理由がない。

以上のとおり、第二一回公判期日において弁護人ら不出頭のまま審理を行なつた点について、弁護人が違憲・違法と主張するところは、いずれも全く理由がない。

(本件各事件に正当性があるとの被告人ら・弁護人らの主張並びにこれに対する当裁判所の判断)

一  被告人ら・弁護人らの主張の要旨

1  被告人らの東アジア反日武装戦線の反日武装闘争の意義と正当性

日本国家は、歴史的に一貫して植民地支配を土台とし、アイヌモシリ・沖縄・台湾・朝鮮・南樺太・シベリア・中国大陸・東南アジア・南太平洋諸島へと侵略を拡大した。一九三一年以来の侵略戦争で日本軍に生命を奪われたアジア人民の数は数千万といわれ、一九四三年から一九四五年にかけて徴用名下に日本本土に強制連行された朝鮮・台湾人民は一二〇万、軍人・軍属として戦場へ送られた朝鮮・台湾人民は四〇万でその半数が死亡したとされ、中国人捕虜も四万人が日本に強制連行され、苛酷な労働を強いられ、多数が生命を奪われており、従軍慰安婦として戦場へ強制連行された朝鮮・台湾の女性も一〇万人に達するとされ、また、天皇の軍隊は侵略先で数多くの暴虐行為を行なつた。これら犯罪行為を押し進めたのは、政治・軍事の最高指導者たる天皇、その下の軍部、政治家、高級官僚、独占資本家であり、中でも侵略戦争の原動力となりその利益を吸い上げたのは、三井・三菱等の独占資本であつた。にもかかわらず、戦後・連合国の裁判は、軍部を中心とするわずか七名の指導者と軍人ら九〇〇余名を処刑しただけで終結し、天皇をはじめとする多くの戦争犯罪者は生き残つたもので、これらの者が生きているかぎり、日本帝国主義の侵略犯罪は決して清算されたとはいえない。

日本は、戦後、朝鮮特需とベトナム特需で再生し、一九六〇年代後半から再び大規模な資本輸出を開始し、韓国・東南アジアをはじめとする世界の各低開発地域で経済侵略を進め、その資源と労働力を収奪し、その市場を独占し、公害を輸出し、合弁企業や政府間援助による開発プロジエクトによつて反革命治安対策に加担するなど新植民地主義を押し進めて、経済大国となり、日本人民の多くは、その帝国主義的富の分け前を得るため、右経済侵略の加担者となつたものである。

このような日本民族・日本帝国主義の侵略・反革命・植民地支配と対決してきたエゾ・アイヌ・沖縄・朝鮮・中国・台湾をはじめとする東アジア、東南アジアの部族・原住民の反日武装闘争に、日本の内部から、武装闘争をもつて呼応し、合流し、日本を内外から挾撃して日本帝国主義を打倒し、世界革命を目指すことが、被告人ら東アジア反日武装戦線の目指すところである。従つて、東アジア反日武装戦線の本件一連の戦いは、日本人民の一国主義的階級闘争として行なわれたものでなく、これを超え、日本民族主義・国益主義の建国以来の侵略・反革命・植民地支配と対決し、日本人が、歴史的にも現在においても有する己れの反革命性(収奪者性・侵略者性・支配者性・寄生者性)を撃つ戦いによつて、自己否定し、この反日の戦いを通じて、己れを世界革命の主体として形成し、転生をしようとするものである。

被告人らの反日思想は、原始共産制を否定している「日本」を否定するもので、原始共産制を新たな次元で革命的に復活させる思想である。被告人らは、日本人を支配者と被支配者とに区別はするが、被支配者であるからといつてその存在を肯定するマルクス主義階級論には組せず、日本人を被植民地人民に敵対する帝国主義的寄生者として把握し、そのあり方を否定するのである。また、被告人らの国際主義は、マルクス主義の国際主義とは異なり、民族を自己否定し、そこから普遍的なものに至ろうとするものである。帝国主義的抑圧民族の民族性は、侵略の武器であるから、これを解体すべきであり、日本国家と日本民族を承継して未来社会を形成するのでなく、これを否定すべきものとする。

被告人らの目指す革命は、原始共同体原住民の文明世界総体との戦いを基として、帝国主義世界総体を打倒する全世界的永続的共産主義革命であり、世界帝国主義の中枢を占める日本帝国主義を根底から打倒するため、反日武装闘争を戦い抜いている被抑圧人民とくに東アジア人民に呼応し合流して、原始共産制の回復、全世界共産主義の実現を図るものである。

ところで、右反日闘争が武装闘争を必要とするのは、(1)革命情勢の自然的成熟を待ち革命情勢の生じた一瞬の機をとらえ武装蜂起で権力を奪取するというレーニン主義の待機的・受動的な方策でなく、被告人らは、革命情勢を主体的に作り出すという攻撃型革命論の立場に立つから、武装闘争たるべきであり、(2)被告人らは、革命によつて既成の権力組織を奪うのでなく、全く別個の原理に基づく組織を主体的に作り出すために武装闘争が必要であり、(3)被告人らは、前記のとおり、被植民地人民の革命闘争・反日闘争と呼応し、合流し、挾撃する戦略路線をとつているところ、右被植民地人民の戦いは、生か死かの戦いであるから、これに呼応し、合流するためには生死をかけた武装闘争以外方法はなく、(4)革命闘争は、単に客観情勢の変革過程ではなく、主体そのものの変革過程でもあるが、歴史的にも現在においても反革命的存在である日本人たる被告人らが、世界革命の主体として自己を形成するためには、共産主義的自己変革の前提として自己否定の実践が必要であるところ、武装闘争こそ、最も自己否定・自己変革に適し、また、日本帝国主義との非和解的関係をつくり出すからである。

2  各爆破事件の正当性

(一) 興亜観音・七士之碑等爆破の正当性

興亜観音は、中国の南京攻略を指揮した陸軍大将松井石根が日中の「融和」名下に中国支配を進めるうえで、一九三七年一二月日本軍の南京における中国軍兵士・市民に対する大虐殺が障害になるのを憂い、被虐殺者の怨念をとり静めるため、一九三八年建立したものであるが、かような中国侵略成功を祈る興亜観音が存在することは、日本帝国主義の延命と復活の証しというべきである。被告人らは、日本帝国主義を打倒するには、まず自己を含めた日本人が無意識に容認し承継している過去の侵略イデオロギーのシンボルを破壊する必要があると思い、侵略戦争批判のため、興亜観音を破壊しようとしたものである。

七士之碑は、戦後連合国によつて処刑されたA級戦犯慰霊のため、一九六八年建てられ、併せてB・C級戦犯慰霊のため、大東亜戦殉国刑死一〇八八霊位供養碑も建立されたが、右慰霊は、戦犯の復権を祈念するためのものである。被告人らは、戦犯復権は帝国主義復権であるから許さず、アジア人民数千万を虐殺した日本帝国主義の戦争犯罪を憎悪するため、死者たる戦犯に鞭つことも辞せず、これら慰霊碑の爆破により、己れを含めた日本人すべての心中の戦犯慰霊碑を毀そうとしたものである。

右のとおり、興亜観音や慰霊碑等は、世界の被抑圧人民にとつて犯罪的な象徴であつて、その破壊は、これら人民の利益に合致するから、被告人らの右爆破闘争は、人類社会の正義観念に合致する正当な行為である。

(二) 総持寺納骨堂爆破の正当性

一九世紀以来半世紀にわたる日本帝国主義の朝鮮侵略中、朝鮮人民抑圧の先兵として行動し同地で死亡した多数の日本人の遺骨が朝鮮に置き去りにされ、ソウル市が右遺骨五〇〇〇柱を保存し合祀台も建設していたところ、反対運動が激しいため、一九七一年日本政府の要請で、総持寺役員が訪韓のうえ右遺骨を日本に持ち帰り、慰霊法要ののち、同寺納骨堂(常照殿)に安置した。

もともと、日本の朝鮮に対する植民地支配は、単に国家権力や独占資本だけでなく、日本人市民も侵略者であつたのに、総持寺は、前記遺骨の慰霊を企てたが、宗教者としては、被害者たるアジア人民をこそ慰霊すべく、加害者の慰霊など行なうべきではない。同寺は、その慰霊によつて日本の朝鮮侵略の罪過を免罪しようとした。

被告人らは、帝国主義の復活は日本人の心中に植民者等の慰霊碑を建てることから開始されるものとして、これを拒絶し、死者をも裁き続けねば帝国主義を倒しえないものとして、前記納骨堂を爆破したものであるから、被告人らの右爆破闘争は、日本帝国主義の朝鮮への侵略の拡大・日本軍国主義復活の各阻止のため必要かつ有益であり、朝鮮人民とすべての被抑圧民族の利益に合致し、人類社会の正義観念に合致した正当な行為である。

(三) 北海道大学文学部北方文化研究施設・旭川風雪の群像各爆破の正当性

北海道大学は、その前身時代から、日本帝国主義のアイヌモシリ侵略・植民地支配・アイヌ文化侵略の拠点であり、その北方文化研究施設は、アイヌ文化の侵略を集大成し、北方侵略を支えた文化的・精神的拠点であり、その学者たちは、アイヌを研究・収奪の対象とし、アイヌの利益のためには何もしなかつた。また、日本政府と道庁は、一九六八年、アイヌモシリの植民地化完成を意味する開道百年を祝い、その勝利の記念物として、一九七〇年八月旭川市常盤公園に風雪の群像を建設した。

もともと、天皇の大和国家は、武力に訴えてアイヌを征服して北上し、一二世紀以降アイヌの主権を無視し、徳川幕府はアイヌモシリを直轄領とし、明治政府は、これを日本の領土に編入したもので、このように、日本はアイヌの大地を奪つたものであるから、日本国家のアイヌモシリ支配には正当性・合法性はなく、アイヌ独立の大義は明らかである。明治政府は、アイヌの民族的存在を抹殺すべく、日本人への同化政策を強行し、アイヌの土地を奪い、その生活を破壊した。

戦後、漸くアイヌ独立の動きが生ずるに至つたが、被告人らは、和人の側からその侵略史の責任を受けとめ、日本のアイヌモシリ支配を砕き、アイヌの主権と独立を実現するための戦いの第一歩として、北大文学部北方文化研究施設と風雪の群像を爆破したものである。被告人らは、北大文学部北方文化研究施設の爆破によつて、アイヌ文化収奪の犯罪行為を中止させ、かつ、真のアイヌ文化は、北大の陳列品にあるのではなく、アイヌモシリを取り戻し、アイヌとして誇り高く生きることにあることを示した。また、風雪の群像の爆破によつて、アイヌモシリ侵略を肯定する帝国主義イデオロギーを否定し、己れを含む和人と和人への服従を選んだアイヌの心の中の風雪の群像を破壊したものである。このように、右各爆破は、日本帝国主義の犯罪的行為を弾劾し、抑圧・収奪のくびきを砕きアイヌモシリの独立を実現し、人類開放に向かう政治過程で必須のものであつて、正義に基づく正当な行為である。

(四) 天皇特別列車爆破共謀等の正当性

天皇とその国家は、古代から朝鮮侵略を試み、対内的には天皇家の支配を拒む原住民の共同体社会を征服し、明治以降は、その軍事力をもつて台湾・朝鮮・中国を侵略し、さらには太平洋戦争に至つたが、右戦争も帝国主義列強間の戦争であり、かつ、旧植民地諸国人民の革命闘争を抑圧する反革命戦争であつた。

侵略戦争は、もともとそれ自体犯罪であるが、日本軍は、これに加えて、右戦争の間、各地で、残虐非人道的犯罪を組織的にくりかえしたもので、このような戦争指導の政治的・軍事的責任は、当時の軍部指導者だけでなく、陸海軍を統帥する最高指導者・大元帥たる天皇も当然負うべきである。その他、日本帝国主義は、アイヌモシリ・沖縄・台湾・朝鮮等を植民地支配するため、その各人民の民族性を抹殺する皇民化政策を強行して、これら植民地人民を悲惨・苦しみ・死に追いやつたが、これに対し、天皇は直接その責任を負うべきである。

ところで、天皇が右戦争に対し法的・政治的に責任のあることは、明治憲法下で天皇は国の元首として統治権を総攬し、陸海軍の唯一最高の統帥権者であり、政府と国民の干渉を排除して全軍を直接統帥したものであり、このような権限を有する天皇が戦争を決意しなければ、戦争開始は不可能であつたこと、天皇は戦争の全期間戦争指導にあたつた政府・内大臣府と軍首脳の人事に介入し、積極的に戦争体制を固めたこと、天皇は政府の政策決定についても具体的事項について政府を指揮し、詔勅等によつて内政・外交上国民を精神的に指導し、天皇の主体的判断で戦争を含む国政を遂行したこと、天皇は中国侵略戦争を承認したこと、太平洋戦争を準備・開始・遂行したこと等から天皇の戦争責任は明らかである。

このように天皇の戦争責任は明らかであつたのに、戦後、米国は、占領支配と人民革命抑止とのため天皇を利用する政治的配慮をもつて、天皇の責任を不問に付したが、天皇の戦争責任はこれで消滅したものではなく、天皇を最高指導者として行なわれた日本帝国主義の一五年間の蛮行によつて、数千万のアジア人民の生命が奪われたことを、アジア人民は決して許してはいない。

戦後、天皇は、新憲法によつて、日本国の単なる象徴になつたが、決して天皇制は死滅したものではなく、時を得れば必ず復活するし、現に強力に復活し始めている。日本人は、このような天皇の戦争責任を放置していては、いかなる正義も語ることはできず、道義的にも破綻し、世界の被抑圧人民の敵、戦争犯罪の共犯者となる。それにもかかわらず、今日の政治的現実は、天皇を公に裁くことを許さないので、被告人らは、やむなく独力で、日本人全体に課せられた義務を果たそうと決意し、その能力をもつて唯一可能な天皇処刑の方法として、天皇列車爆破を計画し、準備したものである。従つて、この闘争は、天皇の戦争犯罪を日本人の側から裁こうとした正義の戦いであり、正当な行為である。

(五) 三菱重工爆破の正当性

三菱は、日本の明治以来の台湾・朝鮮・中国侵略に加担し、東南アジア・満蒙・北樺太にも進出し、対外侵略によつて得た対外投資・利権を保護拡大するため政治にも直接介入し、民間最大の軍需会社となり、日本帝国主義の軍事政策に沿つて肥大し、政府の対外侵略と常に一体化してきた。とくに一九三七年の中国侵略開始以来、三菱重工は日本フアシズムを推進し、対中国・東南アジア侵略の戦争において、皇軍の侵略に比例して巨大な利潤をあげ、日本最大の兵器メーカーとして、東南アジア人民を殺りくした日本帝国主義の侵略を物質的に支え、推進した中核である。

また、戦時中、日本は朝鮮人民・中国人民を日本国内の鉱山・炭鉱・軍需産業・土木工事現場等へ多数強制連行したが、三菱も三菱重工を筆頭に造船所等に数万の朝鮮人を強制連行して酷使し、敗戦後も安全に帰国させる責任を果たさず、とくに広島・長崎で朝鮮人五〇〇〇名余も被爆させながら、今に至るも補償等の責をとつていない。

さらに、戦後も、朝鮮戦争で侵略米軍の後方支援をして加担し、特需によつて再生し、また、日本の兵器生産を質・量ともに拡大し、ベトナム戦争でも侵略米軍の特需で肥大した。新植民地主義による海外侵略としては、韓国・台湾・東南アジア各地のほか、中東・カナダ・メキシコ・インド・ブラジルまでも進出して現地人民を収奪している。このように、三菱重工は、三菱コンツエルンの中核として、産軍複合体の筆頭として、その創立当時から一貫して反革命侵略企業として存続し続けている。

この三菱の侵略・収奪に対し、朝鮮・中国・台湾・東南アジアの各人民は、反日・反三菱の戦いを展開してきた。東アジア反日武装戦線狼部隊によつて遂行された三菱重工爆破攻撃は、台湾・朝鮮・中国・東南アジア人民の前記戦いに呼応し、その三菱・日本帝国主義に対する未解決の歴史的怨念をみずから引受け、現在も日本帝国主義の最大の兵器廠として機能し新植民地主義侵略を行なつている三菱重工、全三菱系企業に対して行なつた正義の武装闘争であり、正当な行為である。

(六) 帝人爆破の正当性

帝人は、その前身たる帝国人造絹糸時代から、一九三七年の日本帝国主義の中国侵略とその植民地支配に加担して資本を蓄積し、その後も東南アジア人民の犠牲の上に肥大し、太平洋戦争においては、軍需産業に転換し、日本帝国主義の侵略に積極的に加担した。

戦後は、朝鮮戦争・ベトナム戦争の特需によつて、朝鮮・ベトナム人民の血の犠牲の上に、その再建をし、スリランカ・台湾・タイ・旧南ベトナム・フイリピン・ブラジル・オーストラリアへと海外に進出し、繊維部門だけでなく、石油関連事業や食品生産を行ない、ナイジエリア・イラン・ブラジル・マダガスカル等に進出するなど、新植民地主義による収奪を行ない、また、帝人を含めた日本帝国主義企業群はアマゾンを侵略し原住民絶滅作戦を実施している。

このような帝人の犯罪行為に対する償いは、未だなされていない。東アジア反日武装戦線狼の帝人中央研究所に対する爆破攻撃は、前記のような帝人の反革命史を償わせ、帝人の新植民地主義侵略・支配の下で搾取・抑圧されている各国各地の人民の反日の戦いに呼応し、合流して行なつた正義の戦いであり、正当な行為である。

(七) 大成建設爆破の正当性

大成建設は、その前身たる大倉財閥の創始者が明治維新後陸海軍の御用商人となり、日清・日露の侵略戦争において軍需物資供給、軍用鉄道工事を請負うなどして軍部と一体となり、戦争に協力し、一九二〇年代以降も陸海軍の航空関係建設工事を引受け、一九三七年日本の中国侵略開始後は、軍関係工事の受注によつて、侵略戦争遂行に協力した。

また、大倉財閥は、日本帝国主義のアイヌモシリ侵略・植民地化政策に便乗し、アイヌの土地を強奪するなどして侵略に加担し、サハリンの植民地化、台湾の侵略・植民地化、朝鮮侵略、朝鮮各地の文化財奪取・破壊、中国侵略、東南アジア侵略に加担し、また、朝鮮人・中国人の強制連行・強制労働・虐殺を行ないながら、何らその償いをしていない。

戦後大倉財閥は解体され、その一部を大成建設が引継いたが、大成建設は、朝鮮戦争を利用し、朝鮮人民の血の犠牲の上に再生し、沖縄の米軍基地関係工事を手がけ、さらには、海外侵略のため、インドネシア・東南アジア・韓国・アラブ・香港・インド・パキスタン・マラヤ・中東・南米などに進出し、海外侵略活動を行なつている。

東アジア反日武装戦線「大地の牙」及び「狼」は、このような大倉財閥・大成建設の過去・現在の反革命に対し、大成建設本社ビル爆破を行なつたものであつて、この戦いは、旧大倉系企業によつて強制連行・強制労働させられ虐殺された朝鮮人民・中国人民及び大成建設に搾取収奪された日本人下層プロレタリアートの怨みを晴らし、東アジア人民の反日武装闘争に呼応し、合流したものであつて、正義の戦いであり、正当な行為である。

(八) 鹿島建設爆破の正当性

太平洋戦争末期の一九四五年六月、中国人捕虜で強制連行され、秋田県花岡の鹿島組出張所で酷使されていた約八〇〇人が抗日別働隊と称して武装決起したが、死闘をくりかえした後、五〇名近い死者を出し、全員が逮捕され、三日間の拷問で一一三名が虐殺された。戦後、鹿島組関係での、この中国人虐殺の下級の責任者はB・C級戦犯として処断されたが、中国人連行の最高責任者たる鹿島組首脳部は何ら責任を問われず、右虐殺の償いはまだなされていない。

次に、戦前において、鹿島組は一八九四年以来朝鮮・台湾・中国東北部へ進出し、主に鉄道建設を行なうなどして侵略に加担し、一九三七年七月日本帝国主義の中国への本格的侵略に伴い、その侵略・植民地支配を支えるため、朝鮮・中国大陸・台湾で活発に重要工事を行ない、太平洋戦争開始後は、陸海軍に協力して戦争のための緊急工事を行ない、東南アジア侵略に加担した。鹿島組は、中国大陸侵略から敗戦までの間、国内五事業所に二千数百人の中国人捕虜及び多数の朝鮮人を強制連行し、虐殺も行なつた。

戦後、鹿島組は、鹿島建設株式会社と改称し、日本帝国主義の新植民地主義侵略の先鞭をつけて賠償に結びついた海外工事を、ビルマ・インドネシア・シンガポール・南ベトナム等で行ない、また、ブラジル・韓国・台湾等でも工事を行ない、現地反革命政権と結託して現地人民を搾取した。

東アジア反日武装戦線さそりの鹿島建設建築本部内装センターKPH工場爆破は、前記鹿島建設(鹿島組)の侵略反革命史・中国人強制連行を糺弾し、前記花岡における中国人捕虜の反日武装蜂起の精神を承継し、東アジア人民の反日武装闘争に呼応し、合流し、鹿島建設によつて酷使されてきた山谷・釜ヶ崎等の下層労働者の怨みを晴らす正義の戦いであり、正当な行為である。

(九) 間組各爆破の正当性

一九四四年から一九四五年にかけて中国人捕虜一七一六人が木曾谷に連行され、水力発電所建設工事に従事させられた。同工場を請負つたのは間組等の建設業者であつたが、工事現場での右捕虜に対する強制労働・虐待は苛酷を極め、食事の乏しさに加えて現場監督によるリンチは絶えず、間組のもとで働いていた捕虜は三七〇人以上いたところ、うち少くとも九二人が、その生命を奪われ、一九四五年には間組のもとにいた捕虜約一〇〇人が武装決起するに至つている。

次に、間組の侵略史をみると、間組は、日清・日露の侵略戦争とともに、朝鮮・中国に進出し、軍事輸送網建設・発電所ダム建設工事を行ない、一九三〇年代、日本の中国東北部侵略の本格化とともに、同地に進出して鉄道網建設等を請負い、朝鮮人・中国人労働者を酷使してその多くの生命を奪つた、一九四一年の日米開戦以降も、全面的に戦争に協力し、台湾・タイ・ビルマ・フイリピンに進出し、国内でも、朝鮮人・中国人を強制連行して酷使し、その多数の生命を奪つた。

戦後は、日本帝国主義の新植民地主義侵略を担つて、南ベトナム・ラオス・マラヤ・タイ等に進出し、発電所工事等を請負い、現地の反革命政権と結託し、革命勢力と敵対した。一九七四年一月、間組がマラヤ北部でテメンゴール水力発電所ダム建設に着手したのも、その一例である。

ところで、日本のマラヤ侵略に対するマラヤ人民の反日闘争は、一九一九年以来行なわれてきたが、日本軍の一九四一年、一九四二年のマラヤ・シンガポール等での中国系人民虐殺に対して、組織的な反日ゲリラ活動がなされたところ、戦後も、間組が前記テメンゴールダム建設に着手するや、一九七四年マラヤ共産党武装勢力は、右ダム及び付近のハイウエー建設を人民の利益に反するものとして糺弾し、間組の資材搬入トラツクやダム建設用の宿舎を攻撃し、これによつて、日本人一名が死亡した。

東アジア反日武装戦線の三部隊は、右マラヤ共産党武装勢力の一九七四年の間組攻撃に呼応し、前記ダム工事阻止のため、本件間組本社等に対する各爆破攻撃を決行したものであり、また、この作戦は、間組の被植民地人民に対する侵略、中国人・朝鮮人の強制連行・虐待・虐殺、山谷・釜ヶ崎等の下層プロレタリアートに対する酷使・虐殺等への怨みを晴らす正義の戦いであり、正当な行為である。

(一〇) 韓国産業経済研究所・オリエンタルメタル各爆破の正当性

韓国産業経済研究所(韓産研と略称)は、一九六五年三月朴政権の強力なバツクアツプと日本帝国主義ブルジヨアジー政府との強い要請のもと、日本生産性本部の協力を得て設立されたもので、日本企業を会員として資金をもらう見返りに南朝鮮の産業・金融状況・法律制度・労働運動とその弾圧方法等を調査研究し、日本の帝国主義企業が南朝鮮を経済侵略するに必要な情報を提供することを主な事業としている。このように、韓産研は、日本企業に対し対韓直接投資を勧誘し、南朝鮮人民の低賃金労働を利用し、労働者に労働基本権のないことを強調して、日本国内の労働力不足・労働賃金上昇などで行詰つた企業が、南朝鮮で収益をあげうることを宣伝し、日本企業に対韓侵略を呼びかけて、その侵略に加担し、その他日本企業の台湾・シンガポールに対する海外侵略をも誘導している。

韓産研は、右のような事業活動の一環として、一九七五年四月二五日から八日間にわたり、韓国工業団地視察団を南朝鮮へ送り込むことを企てたが、これは、前記のような隘路によつて伸び悩み傾向にある日本の中小企業の延命策を、南朝鮮の企業との技術を武器とした連携に求めようとする日本中小企業の技術侵略計画の一つであり、右視察団参加企業は日本の中小企業約二〇社で、オリエンタルメタルの社長が視察団長になつていた。

右オリエンタルメタルは、建材用の特殊鋼板の製造販売を行なう中小企業であつて、一九七〇年韓産研を通じて南朝鮮に進出し、ソウル市内に韓国オリエンタルメタルなる合弁会社を設立した侵略企業である。

もともと日本人は一八七五年以来一貫して朝鮮を侵略しその人民の犠牲の上に発展してきたが、日本人は過去の過ちを繰返してはならず、もしこれら他国人民との連帯を願うならば、まず、日本帝国主義ブルジヨアジーに対し、海外侵略をやめさせるべく戦う義務があり、東アジア反日武装戦線による韓産研・オリエンタルメタルの同時爆破・韓国工業団地視察団派遣阻止闘争は、このような義務を遂行したものであつて、正義の戦いであり、正当な行為である。

二  右主張に対する当裁判所の判断

被告人ら及び弁護人らの挙げる本件各行為を正当とする事由は、要するに、単なる犯行の動機ないしは目的を述べるにとどまつているか、動機・目的をもつて被告人らの爆破闘争という手段を正当化しようとしているにすぎない。その動機ないし目的とするところは、日本の過去における侵略ないし戦争の責任、日本の現在における新植民地主義による経済侵略なるものの責任をそれぞれ追及し、現在の日本国家及び社会を破壊し革命を目指すというものであるところ、その革命の目標を原始共産制とするところは極めて素朴・空想的で、独善の嫌いが強いが、その点は被告人らの思考の問題であるからさておき、戦争責任に関する問題については、日本国民が戦後、現憲法を制定して再出発するにあたり、憲法の前文及び第九条において、平和主義の決意を述べているとはいえ、戦禍を受けた他国民及び日本国民にとつて、政治的・道義的にすでにすべて解決ずみであるとすることが許されるかどうかについて種々の考え方があるであろうし、また、他国との経済問題等の関係についても、憲法前文に規定されている「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」との理は、私企業の対他国民に対する関係においても十分配慮すべきものと考えるが、それにしても、右被告人らの考え方は、あくまでも、単に一つの主義・主張・信条にすぎず、法治国家・議会制民主主義を基本とする憲法のもとでは、自己の主義・主張・信条等を具体化するには、合法的な言論・出版・政治等の手段によつて行なうべきものであり、暴力就中爆弾攻撃などの兇悪な手段を用いてその主張を貫徹しようとすることは、まさに憲法秩序に敵対するものであつて、絶対に許されないこと自明であり、被告人ら及び弁護人らの挙げる事由は、本件各行為において、犯罪成立要件である構成要件該当性・違法性・責任性のいずれをも阻却しないことが明らかであるから、被告人ら及び弁護人らの前記各主張は全く理由がなく、採用の限りでない。

(爆発物取締罰則は違憲であるとの被告人ら・弁護人らの主張並びにこれに対する当裁判所の判断)

一  被告人ら・弁護人らの主張

1  爆発物取締罰則(以下本項では「本罰則」という。)は、明治一七年太政官布告三二号として制定され、大日本帝国憲法七六条一項により「遵由ノ効力ヲ有ス」とされたが、これは、本罰則が右旧憲法施行後命令の効力を有することになつたと解すべきところ、現行憲法施行の際に効力を有する旧憲法下の命令の規定の効力等を規定した昭和二二年法律七二号は、その一条で、「日本国憲法施行の際に現に効力を有する命令の規定で、法律を以つて規定すべき事項を規定するものは、昭和二二年一二月三一日まで、法律と同一の効力を有するものとする。」と定めているから、本罰則は、昭和二二年一二月三一日限り効力を失つたものと解すべきであり、これを現在でも効力があると解するのは憲法七三条六号但書に違反する。

2  本罰則の各条項に共通する基本的構成要件である「治安を妨げる目的」は構成要件が不明確であつて罪刑法定主義を定めた憲法三一条に違反し、また、合理的根拠なしに不必要かつ苛酷な刑を定め、或いは本罰則四条は共犯の従属性を無視していて近代刑法の基本的原理と相反しているなど、憲法の保障する自由と人権を不当に制限するものであるから、憲法一一条、一二条、一三条、一九条、二一条、三六条に違反して無効である。

二  当裁判所の判断

1  本罰則は旧憲法制定以前に、太政官が制定したものであつて、議会の関与により成立したものではないが、明治二二年に旧憲法が制定されたとき、その七六条一項により、憲法に矛盾しない現行の法令であつて遵由の効力を有するものと認められ、現行刑法(明治四〇年法律四五号)が施行されるにあたり、同法施行法(明治四一年法律二九号)二二条二項において本罰則一〇条が廃止されたのみで他の条項については廃止もしくはその効力を否認するための何らの立法措置も講ぜられず、かえつて明治四一年法律二九号及び大正七年法律三四号という旧憲法上の法律の形式をもつて改正手続が行なわれたものであつて、本罰則は旧憲法上の法律と同一の効力を有していたものと解され、旧憲法上の法律と同一の効力を有していた本罰則は、昭和二二年法律七二号の適用がなく、憲法九八条一項により現行憲法施行後の今日においても法律としての効力を保有しているものと解すべきであつて、憲法七三条六号但書に違反しない(最高裁判所昭和三二年(あ)第三〇九号昭和三四年七月三日第二小法廷判決刑集一三巻七号一〇七五頁参照)。

従つて、この点に関する被告人ら・弁護人らの主張は、理由がない。

2  「治安を妨げる目的」の治安を妨げるとは、公共の安全と秩序を害することをいうものと解するのが相当であり、不明確とはいえず、爆発物の有する大きな破壊力及びそれによる公共の安全秩序、人の生命・身体・財産に対する侵害の危険性の極めて広く、かつ大きいことを考えれば、合理的根拠なく不必要かつ苛酷な刑を定めているとはいえず、本罰則四条が共犯の従属性を認めていない点も、同様の理由に基づくもので、立法政策の問題にすぎないし、本罰則一条、四条の規定が憲法の保障する基本的人権を不当に制限するものではなく、犯人の思想・信条のいかんを問うものではないし、表現の自由を制限するものでもないから、本罰則が、被告人ら・弁護人ら主張の憲法各条に違反しないことは明らかである(最高裁判所昭和四六年(あ)第二一七九号昭和四七年三月九日第一小法廷判決刑集二六巻二号一五一頁、最高裁判所昭和五二年(あ)第一四三五号昭和五三年六月二〇日第三小法廷判決刑集三二巻四号六七〇頁参照)。

従つて、この点に関する被告人ら・弁護人らの主張は、理由がない。

(死刑制度を違憲とする弁護人らの主張並びにこれに対する当裁判所の判断)

一  弁護人らの主張

死刑制度(本件においては刑法一九九条及び爆発物取締罰則一条に規定されているもの)は、それ自体残虐な刑罰であるとともにその執行方法としての絞首刑が残虐な刑罰であるから憲法三六条に違反し、次に、憲法九条において戦争放棄が規定されているのは、国家のため国民の生命を犠牲にしてはならないことを示すものと解されるところ、死刑制度は国家のために国民の生命を犠牲にするものであるから、憲法の精神に反し、さらに、「公共の福祉」の「公共」の中には犯罪者も含まれているので犯罪者を死刑にすることは公共の福祉に合致しないから憲法に違反し、その他、死刑は必ずしも一般予防の効果がなく、応報を刑罰の根拠とする考えは近代民主主義国家の考えからは清算されつつあり、なお、裁判の認定は、証拠によつて認定される事実にすぎず、真実とは必ずしも一致するものではないのであるから、誤判の場合回復の余地のない絶対刑である死刑は科すべきでなく、世界の趨勢からみても漸次廃止の方向に向かいつつあるものであつて、以上のとおり死刑制度は、憲法及びその精神に反するものである。

二  当裁判所の判断

死刑制度が残虐な刑罰にあたらないことは最高裁判所の判例とされ(最高裁判所昭和二二年(れ)第一一九号同二三年三月一二日大法廷判決刑集二巻三号一九一頁、最高裁判所昭和二四年(れ)第五六〇号同二四年八月一八日第一小法廷判決刑集三巻九号一四七八頁)、絞首刑が残虐な刑罰にあたらないことも最高裁判所の判例とされているところであり(最高裁判所昭和二六年(れ)第二五一八号同三〇年四月六日大法廷判決刑集九巻四号六六三頁)、当裁判所も、刑法一九九条、爆発物取締罰則一条について同様に解する。憲法一三条は生命に対する国民の権利は公共の福祉に反しないかぎり立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めており、憲法三一条は死刑制度を認めているのであつて、死刑制度の存廃は国会の立法政策の問題であり、死刑制度は、弁護人らの主張するような憲法の規定又はその精神に反するものではない。

従つて、弁護人らの主張は理由がない。

(法令の適用)

被告人大道寺及び同片岡の判示第一、第二、第三の一、二の各所為、第五の所為中の爆発物使用の点、第六、第七、第一一の各所為、被告人大道寺の判示第九の一の所為中の爆発物使用の点、被告人片岡及び同黒川の判示第九の一の所為、被告人大道寺、同片岡及び同黒川の判示第九の二、三、第一〇の一、二の各所為、被告人黒川の判示第八の所為、第一一の所為中の爆発物使用の点、第一二の所為は、いずれも(判示第一、第五の所為中爆発物使用の点、第一二は包括して)刑法六〇条、爆発物取締罰則一条に、被告人大道寺及び同片岡の判示第四の所為中の殺人予備の点は、刑法六〇条、二〇一条、一九九条に、爆発物使用共謀の点は、爆発物取締罰則四条に、被告人大道寺及び同片岡の判示第五の所為中の別紙死者一覧表記載の清涼肇ら八名に対する殺人の点はいずれも刑法六〇条、一九九条に、被告人大道寺及び同片岡の判示第五の所為中の別紙負傷者一覧表記載の番号84の杉山喜久子を除いた村田英雄ら一六四名に対する殺人未遂の点は、いずれも刑法六〇条、二〇三条、一九九条に、同一覧表番号84記載の杉山喜久子に対する傷害の点は、同法六〇条、二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、被告人大道寺の判示第九の一の所為中の殺人未遂の点、被告人黒川の判示第一一の所為中の殺人未遂の点は、いずれも刑法六〇条、二〇三条、一九九条に、被告人荒井の判示第一三の所為中、一ないし四の行為で正犯らの(一)の犯行(三菱重工での爆発物使用)を容易ならしめた点、一ないし六の行為で正犯らの(二)の犯行(帝人中央研究所での爆発物使用)を容易ならしめた点、一ないし七の行為で正犯らの(三)の犯行(間組本社九階での爆発物使用)を容易ならしめた点は、いずれも、包括して刑法六二条一項、爆発物取締罰則一条に、それぞれ該当するが、被告人大道寺及び同片岡の判示第四の殺人予備と爆発物使用共謀、被告人大道寺同び同片岡の判示第五の爆発物使用と清涼肇ら八名に対する各殺人と村田英雄ら一六四名に対する各殺人未遂と杉山喜久子に対する傷害、被告人大道寺の判示第九の一の爆発物使用と殺人未遂、被告人黒川の判示第一一の爆発物使用と殺人未遂の各所為は、それぞれいずれも各一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、爆発物取締罰則一二条、刑法一〇条により、それぞれ一罪として、被告人大道寺及び同片岡の判示第四の罪については重い爆発物使用共謀の罪の刑で、被告人大道寺及び同片岡の判示第五の罪については最も重い爆発物使用の罪の刑で、被告人大道寺の判示第九の一、被告人黒川の判示第一一の各罪についてはいずれも重い爆発物使用の罪の刑で、被告人荒井の判示第一三の罪については、その一ないし四、同一ないし六、同一ないし七の点は一個の行為で三個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の最も重い三菱重工での爆発物使用幇助の罪の刑でそれぞれ処断することとし、後記量刑の事情を考慮して、被告人大道寺、同片岡については、各所定刑中、判示第一、第二、第三の一、二、第四、第六、第九の三、第一〇の一、二の各罪につきいずれも各有期懲役刑を、判示第七、第九の一、二、第一一の各罪につきいずれも各無期懲役刑を、判示第五の罪につき各死刑をそれぞれ選択し、被告人黒川については、所定刑中、判示第八、第九の三、第一〇の一、二、第一二の各罪につきいずれも有期懲役刑を、判示第九の一、二、第一一の各罪につきいずれも無期懲役刑をそれぞれ選択し、被告人荒井については、所定刑中、無期懲役刑を選択するが、右は従犯であるから、刑法六三条、六八条二号により法律上の減軽をし、以上の被告人大道寺、同片岡、同黒川の各罪は、それぞれ同法四五条前段の併合罪であるところ、被告人大道寺、同片岡についてはいずれも同法四六条一項により判示第五の罪の刑で、被告人黒川については同法四六条二項、一〇条により犯情の最も重い判示第一一の罪の刑で、それぞれ処断していずれも他の刑を科さないこととし、被告人大道寺、同片岡を各死刑に処し、被告人黒川を無期懲役に処し、被告人荒井については右刑期の範囲内で懲役八年に処し、被告人黒川、同荒井については同法二一条により未決勾留日数中七〇〇日をそれぞれその刑に算入することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条(但し、連帯負担させるものについてのみ)を適用して、各被告人に別紙訴訟費用負担表記載のとおり負担させる。

(量刑の事情)

一  本件各犯行の動機・目的は、被告人らがその正当性の主張において述べるように、日本の過去における侵略ないし戦争の責任及び現在における新植民地主義による経済侵略等の責任を追及するものとして天皇及び判示各海外進出企業を爆弾によつて攻撃し、ひいては現在の日本国家及び社会の体制を破壊して原始共産制を到来させる世界革命を目指すというものであり、現実の犯行をみると、被告人らは反日武装闘争を提唱する過激な都市ゲリラグループを結成して、爆弾闘争の一環として、三菱重工をはじめとする海外進出企業等を連続的に爆破し、或いは天皇暗殺目的で天皇特別列車荒川鉄橋爆破の準備をし、或いは日本帝国主義の侵略を象徴するものとして銅像・施設等を爆破し、その結果、全国民の耳目を聳動させ社会に極めて強烈な衝撃と底知れぬ不安を与えたものであつて、爆弾事件としては、わが国犯罪史上空前の残虐・凶悪・卑劣な犯行である。すなわち

1  判示各事件は、三菱重工爆破に用いた大型の爆弾をはじめ、それぞれいずれもかなりの威力を有する手製時限式爆弾を使用しまたは使用しようとしたものであり、その当然の結果として、三菱重工・間組本社関係・大成建設をはじめとして人的・物的に甚大な被害を与え、または与える可能性が大であつたこと。

これを各事件についてみると次のとおりである。

(一) 三菱重工爆破事件

被告人大道寺、同片岡らの実行した本件は、爆薬量各二十数キログラムに及ぶ大型で強大な殺傷・破壊の威力をもつ爆弾二個を、平日の白昼、しかも昼休みの時間帯でとくに人通りの多い都心丸の内の高層ビル街路上で爆発させ、周辺一帯を修羅場と化させ、現場付近にいて何の危険も予知していなかつた善良な多数の一般市民を巻き添えにして八名もの何ものにも替え難い貴重な生命を奪い、少くとも一六五名に重軽傷を負わせ、爆弾事件としては、わが国で空前の犠牲者を出すとともに、四億円余の物的損害を与えた残虐・兇悪極まりない無差別殺傷事件である。

本来、爆弾は無差別にしかも瞬時に多数人を殺傷する威力を有するのに、これを前記の如き日時・場所で爆発させればその爆発の威力圏内に居合わせる多数人を無差別に殺傷する結果となるのは必然であり、しかも右被告人らは時限装置を用いることによつて犯行現場を離れて安全圏に退避し、犯行も現認されることも少いのであり、また、本件の場合予告電話をしたとはいいながら、もともと五分間の余裕しか予定せず、建物内ですら退避の余裕があろうとは考え難く、まして道路上の通行人に危険を告知することは殆んど不可能とさえ考えられ、現実にも予告電話は予定どおりには通ぜず漸く二、三分前に通じたにすぎず、右被告人らは予告電話の通ずるか否か、現場付近のビル内及び路上に現在する多数人が退避するか否かを現認する以前に、すでに爆発するようセツトした爆弾を現場に装置して、自らは現場を離れ安全圏に退避しながら善良な市民を爆破に巻き込んだものであつて、他人の生命を蔑視することこれ以上はなく、暴力をもつて自己らの主張を貫徹しようとする点も含めてまことに卑劣な犯行というべきである。

被告人らの爆弾攻撃により死亡した被害者八名は次のとおりである。

清涼肇は、東京電機大学機械工学科を卒業し、柏汽船草加工場に勤務していて、本件当日昼休み時間に、三菱重工ビルにある三菱化成に勤務している兄を訪ねた際に本件被害に遭い、当時二八歳で、本件の約一か月後に結婚式を控えていたもので、同居していた両親の悲しみも深い。

山崎隆司は、札幌短期大学英文科を卒業し、日本バルカー工業に入社し、昭和四五年から同社名古屋営業所勤務となり、本件当日出張で上京し、商用で三菱重工ビル前にいた際に本件被害に遭い、当時三八歳で、妻と三人の子の生計を支えていたものである。

二見甫は、東亜商業学校を卒業し、古河鉱業に勤務し、三菱重工ビルに隣接する古河総合ビル内で働いており、本件当日昼休みに三菱重工ビル前にいた際に本件被害に遭い、当時四九歳で、妻と二人の子の生計を支えていたものである。

松田とし子は、富士短期大学経済学科を卒業して、会計士事務所に勤務し、本件当日、事務所の仕事でたまたま三菱重工ビル前を通りかかつた際に本件被害に遭つたもので、当時二三歳で、独身であつた。

石橋光明は、青山学院大学を卒業し、三菱重工に勤務し、同社環境装置機械第一課課長代理であり、本件当日昼休みに三菱重工ビル玄関ホール付近にいた際に本件被害に遭い、当時五一歳で、妻と子一人の生計を支えていたものである。

長谷川健は、慶応義塾大学経済学部を卒業し、三菱信託銀行に勤務し、同銀行丸の内支店総務課長であり、本件当日三菱重工ビル玄関ホール付近で本件被害に遭い、当時三七歳で、母と妻の生計を支えていたものである。

桜井英夫は、早稲田大学第一文学部を卒業し、凸版印刷に勤務し、昭和四七年に独立して広告宣伝会社を経営していたが、本件当日は三菱重工ビル玄関ホール付近にいた際本件被害に遭い、当時四一歳で、妻と二人の子の生計を支えていたものである。

荻野常彌は、東京大学農学部を卒業し、三菱重工に勤務し、本件当日昼休みに三菱重工ビル玄関ホール付近にいた際本件被害に遭い、当時五〇歳で、妻と娘一人の生計を支えていたものである。当時、娘は高校三年生で大学進学を目指して勉強していたが、本件被害のため大学進学をあきらめ、就職せざるをえなくなつたものである。

以上八名は、いずれも社会人として真面目に生きてきたもので、或いは春秋に富み、或いは働き盛りで一家の大黒柱であつた人たちであつて、被告人らとは何のかかわりもなく、被害を受けるいわれのない善良な市民であり、被告人らの爆弾により、見るも無残なありさまでその生命を奪われたこの八名の被害者及びその遺族らの無念さと被告人らに対する憎しみ、憤りは、想像に余りあるものがあり、本件犯行が被害者の遺族に与えた影響は、精神的なものはもちろんのこと経済的影響もかなり深刻である。

負傷にとどまつた被害者の中にも、加療一か月以上の者が五十数名あり、日常生活に不自由をきたす後遺症のある者が相当数にのぼり、また、当初診断された治療見込期間以上の治療期間を要したものが多く、中でも、加療期間二年以上の被害者も三名あり、うち一名は受傷後四年を経た時点でもなお通院加療中であつて、被害者らに与えた精神的・肉体的苦痛や経済的負担も重大かつ深刻な者が多い。

このように犯行の手段・態様の兇悪性・卑劣性・被害結果の重大性・残虐性は、他に類をみない。

(二) 間組本社九階・六階・大宮工場各爆破事件

被告人大道寺、同片岡、同黒川らの実行したこの三事件において、右被告人らが製造し使用した爆弾も、とくに本社九階及び六階に使用したものは、極めて威力の強いものであり、しかも、犯行態様は三か所同時攻撃という悪質なものであつた。

間組九階は、その爆発によつて、爆発現場のパンチテレツクス室内で残業中の社員一名に瀕死の重傷を負わせるとともに、同室を破壊し、九階の大半を全焼させて、一四億円余に達する莫大な損害を与えており、その犯行結果は極めて重大である。すなわち、被告人大道寺、同片岡が間組九階爆破のため製造した爆弾は、判示のように、三キログラムの多量の塩素酸塩系爆薬を使用し、弾体の外囲をパテで固めて威力を増す工作をした威力の強いものであつたことは、爆発の結果から明らかであり、約一六三平方メートルのパンチテレツクス室天井は全部破損して落下し、室内の机・ロツカー等計器備品類をことごとく破損・倒壊・飛散させ、一台一〇〇キログラム以上の機械類十数台は、爆風で、或いは窓側に押しやられ、或いは逆さになり、爆心地付近のロツカー・スチール棚は破壊されて原形をとどめない有様で、右爆弾の破壊力の強烈さを示している。なお、爆発により生じた火災によつてコンピューター・データーフイルム等が焼失し莫大な損害を与えている。また、パンチテレツクス室で残業し、爆弾の仕掛地点の至近距離にいた社員沼田行弘は、爆発とともに数メートル飛ばされて失神し、火災の熱で覚醒して救助を求め漸く九死に一生を得たが、右爆発により、判示のような重傷を負い、三年余を経過した時点でも骨折に伴う神経麻痺など後遺症のため、時折通院加療を受けている状態で、従前の職務も担当不可能となるなど同人に与えた精神的・肉体的苦痛は極めて深刻である。

被告人黒川ら「さそり」が本社六階の爆破に用いた爆弾の爆薬は、判示のように、約四キログラムの塩素酸塩系の混合爆薬で、爆発の威力を強めるため針金で缶体の周囲をコイル状に幾重にも巻きつけて緊縛し、その上にパテを塗つて補強し時限装置などとともにアタツシユケースに詰めたもので、その威力の強大さは、爆発の結果に明らかであり、六階営業部事務室では、室内は大破し、爆弾を仕掛けた金属性キヤビネツトは原形をとどめないほど破壊され、付近のキヤビネツトも大破し、爆心地キヤビネツト背後の壁は破壊されて大きな空洞になつている有様で、合計五〇〇〇万円余の物的損害が生じている。

浴田ら「大地の牙」が大宮工場爆破に用いた爆弾の爆薬も、判示のように、約三・八リツトルの金属容器に詰めた塩素酸塩系の混合爆薬で、判示場所に仕掛けられて爆発し、同工場及び隣接会社の工場等の一部を破壊し、かなりの損害を与えている。

(三) 荒川鉄橋天皇特別列車爆破共謀等事件

本件は、憲法によつて日本国の象徴・日本国民統合の象徴たる地位にある天皇塔乗の特別列車を爆弾によつて鉄橋もろとも爆破して天皇を暗殺しようとしてその共謀をし準備をしたものであつて、重大で悪質な犯行というべきである。本件は、偶然の事情から予備行為に止まつたが、被告人大道寺、同片岡らの殺意はとくに強固であつたこと、爆発物使用に近い段階にまで至つたまことに危険な行為であつたこと、しかも、本件爆弾は、その後、前記三菱重工爆破に用いられて著しい爆発力・破壊力を発揮した極めて危険なものであつたことが認められる。

(四) その他の爆破事件

前記のほか、被告人大道寺、同片岡らのグループが「狼」を名乗る以前に行なつた興亜観音・七士之碑等、総持寺納骨堂、北大文学部北方文化研究施設、風雪の群像各爆破事件、三グループ共同計画にかかり「大地の牙」が実行した韓国産業経済研究所、オリエンタルメタル各爆破事件、「大地の牙」、「狼」が共同で計画し「大地の牙」が実行した大成建設爆破事件、「狼」が計画し実行した帝人中央研究所爆破事件、「さそり」が計画し実行した鹿島建設、京成江戸川橋工事現場各爆破事件、「さそり」、「狼」が計画し「さそり」が実行した間組江戸川作業所爆破事件についても、それぞれ判示被告人らが、かなりの威力の爆弾を使用し、それぞれかなりの物的損害を与え、間組江戸川作業所、大成建設各爆破事件では重大な人的被害が発生している。

被告人黒川ら「さそり」グループが製造し使用した各爆弾の爆薬の種類・量・弾体は、鹿島建設爆破用が塩素酸ナトリウムを主体とした塩素酸塩系の混合爆薬約一キログラムでリンレイワツクス缶に、間組江戸川作業所爆破用が同様の爆薬約二キログラムでボイル油缶に、京成江戸川橋工事現場爆破用が同様の爆薬約一キログラムで軽合金製ケースにそれぞれ詰められたもので、被告人黒川らは、これら爆弾の威力を強めるため、鹿島建設爆破用分については針金で缶体の周囲をコイル状に幾重にも巻きつけて緊縛し、その上にしつくいを塗り固めて補強し、江戸川作業所爆破用分については、缶体の全面をコンクリートで固めて補強し、京成江戸川橋工事現場爆破用分については、缶体の軽合金ケースの内側にステンレス板等を四、五枚重ねて接着剤で貼りつけ補強したもので、右爆薬の量、弾体の補強工作、各爆破現場における破壊状況等からみて、爆弾の威力はかなり強いものであつた。その爆破結果をみると、間組江戸川作業所では、その当直室床下に本件爆弾を仕掛けて爆発させ、同室は床・天井・屋根が原形を留めないほど完全に破壊され、その爆発により、同室で就寝中の今井洋は、判示のような瀕死の重傷を負つたが奇蹟的に回復し、入院半年、通院静養半年ののち勤務に復したものの、事件当夜から二か月余の間の記憶は現在でも欠落したままであり、このように重大な結果を発生させたものである。また、京成江戸川橋工事現場では、当初仕掛けて不発となつた塩素酸塩系混合爆薬約二・二キログラムをワツクス缶に詰めた手製爆弾一個を同時に誘爆させたため、爆心地のエアコンプレツサーは前部が大破し、破壊されたコンプレツサーの重さ一二キログラムのボンネツト鉄板が三八・六メートルも吹き飛ぶなど本件爆弾の威力は強力であつた。

被告人大道寺、同片岡ら「狼」グループが帝人中央研究所爆破に用いた爆薬も、判示のように塩素酸塩系のもの約一・五キログラムで、約三五〇万円の物的損害を発生させており、浴田、斎藤の「大地の牙」グループの大成建設爆破も、白昼銀座の公道において約三・二リツトルの容量の石油ストーブ用カートリツジタンクに詰めた混合爆薬を爆発させて多数人に重軽傷を負わせ、物的にも六〇〇万円を超える損害を与え、とくにその爆発の威力の大であつたことは、長辺一五〇センチメートル・短辺六八センチメートル・厚さ九ミリメートルの鉄板を五十数メートル飛ばしたうえ、建物の屋根を貫かせていることのほか、付近建物のガラスの破損等の状態からも窺える。また、右「大地の牙」の爆破したオリエンタルメタルの被害状況も、その実況見分調書によつて明らかなように相当大きなものであり、さらに韓国産業経済研究所に与えた損害も三六〇万円余であつて、かなりのものというべきである。

2  本件各犯行は、爆破事件としてはその回数がかなり多く、かつとくに荒川鉄橋天皇特別列車爆破共謀事件以降は、連続的に行なわれていること。また北大文学部北方文化研究施設・風雪の群像各爆破、間組本社九階・六階・大宮工場各爆破、オリエンタルメタル・韓国産業経済研究所各爆破にみられるように、同時多発の爆破を実行していること。さらに、間組に対する各爆破のように繰り返し執拗に犯行に及んでいること。

3  本件各犯行は、極めて組織的・計画的に周到な準備のもとに実行に移されていること。すなわち、これを各事件についてみると、

(一) 三菱重工爆破事件

本件は、被告人大道寺、同片岡らのグループが爆弾闘争の一環として、組織的に緻密な計画と周到な準備のもとに実行したもので、右被告人両名は、天皇暗殺計画挫折後、グループの他のメンバーと協議を重ね、数回にわたる下見の結果、本件目標を選び、本件設置場所が最も効果的と判断して、天皇暗殺用に製造した大型爆弾二個を使用することとし、決行日を決め、判示のとおり任務分担を決め、被告人大道寺が時限装置二個を作り、被告人片岡がこれに安全装置を取り付け、犯行前夜、これを爆弾の本体に結合させ、被告人両名が八月三〇日午後零時四五分通電し爆発するよう時限装置をセツトし、弾体上部にパテで固定して本件爆弾二個を完成し、前記計画に基づいて被告人両名が爆弾を運搬し、被告人大道寺が本件設置場所に仕掛け、他のメンバーも計画どおり行動した。

(二) 間組本社九階・六階・大宮工場各爆破事件

本件三か所の爆破事件は、東アジア反日武装戦線の「狼」・「大地の牙」・「さそり」の三グループが共同して、三グループ間及び各グループ内で、組織的に綿密な計画と周到な準備のもとにこれを実行したもので、とくに同時多発の爆破を企てた特異性を有し、犯情は格別に悪質である。判示のように、三グループの代表は、三者統一見解のもとに爆弾闘争を行なうこととし、昭和五〇年一月末から、二月初めにかけての三者会談で、「さそり」の計画であつた間組攻撃を三者共同作戦として実行することとなり、各グループ別に下見・調査を重ねて、二月下旬三者会談で、三者の攻撃目標を各別に定め、これを同時爆破することと決め、決行日・爆破時刻・予告電話時刻を決定し、一方被告人片岡は本件爆弾に用いる手製雷管三個を製造し、被告人大道寺がこれを各一個ずつ、「大地の牙」・「さそり」側に手交し、「狼」グループは、被告人大道寺、佐々木、大道寺あや子が間組本社九階の下見を繰り返し、爆弾仕掛地点を決め、右三名が本件時限式手製爆弾一個を製造し、他方、「さそり」・「大地の牙」も各数回の下見をし、爆弾仕掛地点を決め、被告人大道寺から受取つた雷管を起爆装置とする本件時限手製爆弾各一個を製造し、判示の日に、「狼」は佐々木、被告人大道寺が、「さそり」は宇賀神が、「大地の牙」は斎藤、浴田がそれぞれ計画どおり各爆弾を仕掛けて爆発させたものである。

(三) 荒川鉄橋天皇特別列車爆破共謀等事件

本件も、組織的でかつ綿密に計画され周到に準備された犯行であつて、被告人大道寺、同片岡らは、昭和四九年三月ころから天皇暗殺実行の可能性を検討するとともにその準備を開始し、被告人大道寺において最近数年間の天皇の行動日程の調査を行ない、天皇特別列車通過予定の東北本線沿線を実査し、爆弾仕掛場所を決め、列車爆破のための大型爆弾開発を決定し、被告人片岡はアパートの一室を借りこれを改造して爆弾製造工場とし、同被告人らはセジツト爆薬の製造を試み、爆発実験をし、失敗するや、起爆装置として手製雷管を製造することにしてこれに成功し、判示のように、仕掛地点と決めた荒川鉄橋付近を実査し、具体的に鉄橋上の仕掛地点を決め、ラジコン装置による発破方式での爆破方法の開発に失敗するや、電線敷設の有線方式にすることとし、さらに、同年七月右被告人らは二回にわたり同鉄橋で最終的調査・下見をし、大型爆弾の製造・その仕掛方法・決行日たる八月一四日当日の各人の役割・陽動作戦用爆弾仕掛方法等についての基本計画を決定し、被告人大道寺は発破器一個を完成し、被告人大道寺、同片岡と大道寺あや子、佐々木の四名は、八月一〇日ころ本件手製爆弾二個を完成させ、同月一二日夜同鉄橋付近河川敷に発破用電線を敷設し、翌日爆弾二個を現場付近に運搬し同鉄橋の判示地点にこれを仕掛けようとしたが、判示のような経過でやむなく断念した。このように、本件計画は、長期間にわたり被告人らが綿密な調査・下見を繰り返し、慎重に検討を重ねて具体化していき、爆弾・発破器を製造するなどして周到に準備を進めたもので、被告人らのゲリラグループの組織をあげての極めて計画的犯行であつた。

(四) その他の爆破事件も、前同様、いずれも組織的・計画的に周到な準備を経て実行されたものである。

4  本件各犯行の動機・目的は、被告人らが、その正当性の主張において述べるとおりであり、このような独善的な主義主張を、言論・出版・政治等合法的手段によらず、爆弾使用という最も兇悪な暴力を用いて貫徹し、現行憲法秩序や社会制度を暴力で覆そうとしたもので、動機・目的・手段ともに、法治国家・議会制民主主義の国家では許されず、しかも、その際目的を貫徹するためには無関係の一般市民まで巻き添えにして殺傷することを容認するなど卑劣極まりなく、酌量の余地が全くないこと。

右のような被告人らの人間蔑視の態度からみて、被抑圧民族を擁護するかのごとき被告人らの主張も決して深い人間性に根ざしたものではなく、単なる観念上のものとされても仕方がない。さらに、被告人らが現行秩序破壊後建設すべき社会像としては、せいぜい原始共産制を予定しているという程度の素朴かつ空想的なものであつて、革命思想といえるかどうかさえ疑問である。

5  本件各犯行において、被告人らは前記のような甚大な人的・物的被害に対し何ら慰藉・補償の措置を行なつていず、三菱重工事件の被害者らやその遺族らは、極めて厳しい被害感情を有していて、被告人らに対する極刑ないし峻厳な刑を望んでおり、その他の各事件の被害者らも同様厳罰を求めていること。

6  被告人らは今に至るも改悛の情がないのはもちろん被害者らに対する謝罪のことばさえないこと。

被告人片岡のみは人的損害を与えたことを誤りとはするものの、同被告人も、本件犯行の動機・目的は正当とし、今後も攻撃目標を物的なものに指向して武力闘争を行なう決意であるとし、とくに天皇に対する攻撃は全く正しかつたとし、列車関係者を巻き込むことも容認した旨述べているものであつて、真に謝罪をしたとも改悛の情があるとも認められない。

被告人らは、かえつて、本件各爆破事件について、たとえば間組本社攻撃について、企業の中枢に迫つて大損害を与え最も成功したものとして、自ら高く評価し、また、爆弾闘争の承継・強化を呼号する状態である。

7  本件各犯行が、社会一般に与えた衝撃は強烈で、世人に与えた恐怖と不安は極めて深かつたこと。

就中、三菱重工事件は、白昼首都の中心部たる丸の内のビル街の公道上で発生し、多数の市民を巻き添えにして殺傷した兇悪残虐な爆弾事件として社会に強い衝撃と不安を与え、その後被告人ら東アジア反日武装戦線のグループが敢行した一連の企業爆破事件すなわち、帝人・大成建設・鹿島建設・間組等海外進出の各大企業その他オリエンタルメタル・韓国産業経済研究所等が次々と連続的に爆破攻撃され、建物等の破壊のみならず、その従業員及び一般市民が再三巻き添えになつて死傷するなど大きな被害が生じ、しかも、この間同時爆破も行われ、捜査当局の懸命の努力にもかかわらず、犯人が検挙されず、また、被告人らの仕掛けた爆弾は、いずれも時限装置付で、しかも、或いは外側を偽装し、或いは容易に発見・回収できない場所に仕掛けられるため、いつ、どこで爆発して、どのような被害を受けるか予測できないことから、各企業のみでなく社会一般に与えた不安は測り知れず、長期間にわたり首都を爆弾テロの恐怖に陥れたものである。

さらに、荒川鉄橋天皇特別列車爆破共謀・殺人予備の事件の社会的影響の大であつたことは、天皇の憲法上の地位に照し、当然のことである。

なお、被告人大道寺、同片岡ら「狼」グループは、間組本社攻撃後逮捕されるまでの間直接実行を担当した爆破事件はない。しかし、「狼」では、捜査の手が被告人片岡の身辺に及んできたのを察知して、同被告人の武器工場としていたアパートを引き払い、佐々木の借りたアパートに爆弾材料・機械・器具類を移転したが、その地下に作り直した工場からは製造中の手製雷管多数が発見押収されていること、被告人大道寺の居室からも爆薬材料となるクサトール及び手製雷管の製造に必要な雷汞などが発見押収されていること、被告人大道寺の捜査官に対する供述及び当公判廷での供述でも、逮捕されたため、海外進出企業に対し継続して爆破攻撃を加えることができず残念である旨心情を表明していること、このような右被告人ら「狼」グループの強固な決意と威力の極めて強い爆弾を製造できる高度の技術と経験、これに必要な材料と機械器具を有していて何時でもその製造が可能であつたことからみて、被告人らの一斉逮捕がなければ、新たな企業爆破が次々と敢行されたものと思われ、慄然たるものがある。被告人黒川らの「さそり」グループ、浴田、斎藤の「大地の牙」グループの場合も全く同様である。

8  この種爆弾事件に対しては、一般予防・社会防衛の見地から厳罰が必要であること。

近時、手製爆弾は、暴力革命を標榜し爆弾闘争を呼号する過激派の武器として頻繁に用いられるに至つているところ、爆弾事件は少人数での犯行が可能であり、しかも強大無差別な殺傷力があり、本件のように時限装置を用いれば犯行を現認されることも少く、犯人自身は安全圏に退避できるし、爆発による証拠の滅失などから犯人検挙が極めて困難であると思われ、さらに追隨者による連鎖反応を起こしやすい犯罪であるから、この種犯罪に対しては、社会防衛、一般予防の見地から厳罰が要求される。

二  被告人大道寺將司について

1  被告人大道寺は、「東アジア反日武装戦線狼」の前身時代、「狼」結成後、「さそり」、「大地の牙」の戦線加盟後の何れの時期においても、また、東アジア反日武装戦線全体においても、「狼」内部においても主導的立場にあり、本件各犯行において主謀的・中心的役割を果たし、具体的にも企画・準備・調整・実行の各行為を担当し、量刑上とくに重要な三菱重工事件をはじめ、間組本社九階・同六階各事件、荒川鉄橋事件、大成建設事件、間組江戸川作業所事件のほか多数の事件に関与していて、その刑責は特に重大である。

被告人大道寺は、経歴及び本件各犯行に至る経緯に判示のような経過で、判示連続企業爆破等の事件を犯したものであるが、「狼」の結成前に実行した興亜観音等・総持寺納骨堂・北大文学部北方文化研究施設・風雪の群像等の各爆破事件についても、或いはその実行に関与したり、或いは手製爆弾製造技術の開発を推進したりする重要な役割を果たし、「腹腹時計」の総論的部分執筆に明らかなごとく、「東アジア反日武装戦線」結成の中心人物であり、佐々木規夫、被告人荒井をオルグして「狼」に加わらせ、また、「狼」のリーダーであるのみでなく、「大地の牙」・「さそり」の各グループを武装戦線傘下に結集させ、その連携の中核となつて、爆弾闘争を展開・推進させ、一連の企業等爆破闘争遂行に指導力を発揮する最も重要な役割を果たした。すなわち、

(一) 三菱重工爆破事件において、被告人大道寺は、前記一、3、(一)のとおり、この事件の企画立案・調査・調整において中心的役割を果たし、本件爆弾の製造・完成においても、その運搬並びにこれを仕掛ける爆弾の使用においても重要かつ不可欠な役割を担当し、終始積極的主動的に行動した。

(二) 間組本社九階・六階・大宮工場各爆破事件において、被告人大道寺の果たした役割も重要かつ不可欠であつた。すなわち、同被告人は、前記一、3、(二)のとおり、この各事件において、「狼」の代表者として三者会談に臨み、本件間組同時爆破攻撃を決定し、「狼」内部でも間組本社の下見・調査を重ね、妻あや子や佐々木とともに「狼」の爆破箇所仕掛け地点等を決定し、みずから本件爆弾の時限装置を製作し、佐々木とともに本件爆弾一個を完成し、犯行当日もこれを運搬して佐々木に手渡し、佐々木が間組本社九階パンチテレツクス室でこれを仕掛ける間、出入口付近で見張りを行ない、他方、他の二グループから本件爆破攻撃用爆弾の起爆装置である手製雷管の提供を依頼されて引受け、被告人片岡の製作した手製雷管各一個を他の二グループに提供した。かように、被告人大道寺は、「狼」内部においても、三グループ間においても中心的役割を果たし、本件全般にわたり積極的・主導的に行動して、本件各爆弾使用に重要かつ不可欠な役割を担当した。

(三) 荒川鉄橋天皇特別列車爆破共謀等事件において、被告人大道寺は、前記一、3、(三)のとおり、天皇の行動日程の調査・検討をし、現場の下見を重ねて具体的計画を立案し、手製雷管の実験にも関与し、発破器を製作し、弾体のペール缶を購入し、爆弾の製造をし、現場で電線敷設を行なうなど終始主導的な立場で積極的に重要な行為を担当し、被告人片岡とともに本件犯行の中心的役割を果たした。

(四) その他の事件においても前同様その中心的人物として行動し、帝人中央研究所爆破事件でも、爆弾の製造・運搬・仕掛けの重要な役割を全部担当し、また、他グループが実行を担当した「狼」関与の企業爆破事件についても、いずれも他グループのリーダーと謀議を重ね、爆破攻撃に使用する爆弾の起爆装置に必要な手製雷管を「狼」で製造して提供する重要な役割を果たし、実行に大きく寄与した。

2  被告人大道寺は、判示のような三菱重工爆破事件をはじめ各爆破事件を実行し、とくに三菱重工事件で死者八名・重軽傷者少くとも百数十名を出したほか、間組九階爆破事件・間組江戸川作業所爆破事件・大成建設爆破事件でも重傷者を出していながら、東アジア反日武装戦線の反日武装闘争の必然性・正当性を主張し、一連の爆破攻撃を、新旧帝国主義者であるとする天皇及び海外進出企業に対する正義の戦いであるとして、犠牲者や遺族に対する謝罪の言葉はついになかつた。いかに確信犯とはいえ、自己の意図を貫徹するためには多数の市民を殺傷することも容認する冷酷非情で思い上つた態度には慄然たるものがある。同被告人は、その実行した爆弾による反日武装闘争をみずから高く評価し、その戦いを承継し発展させて海外進出の各企業の中枢に対する武装攻撃を貫徹するよう呼号し、志半ばに逮捕されたことを遺憾に思つている旨述べており、一片の人間的反省も見出しえず、その反社会的思考は根深く固着していて矯正できるとは到底考えられない。なお、捜査段階での自供も自己の行動の非を認めたからではなく、同志とともに一斉に逮捕され、証拠物件を押収されたことなどによる敗北感・挫折感からにすぎない。公判段階での出廷拒否や、訴訟指揮に従わず、多数回に及ぶ退廷・監置の処分を受けたこともこれを裏書きしている。

3  被告人大道寺は、予告電話によつて認められるように、殺傷を第一次的目的としたものではないとしても、結局、判示のような目的・認識のもとに本件各犯行に及んだものであり、また、右各犯行の動機が利欲等に基づくものでなくとも、客観性のない自己の主義主張を暴力をもつて他人に強制するような確信犯の事件においては、他の通常事件以上に重大な結果を招来しやすいものであるから、その刑責を軽減する理由となりえないことはいうまでもなく、他に、その極めて重大な刑責を軽減するような有利な事情は認められない。

三  被告人片岡利明について

1  被告人片岡は、「狼」の前身時代から被告人大道寺とともに爆弾闘争を志向して、爆弾の製造・実験などに関与し、「狼」の前身時代、「狼」結成後、及び「さそり」・「大地の牙」の戦線加盟後のいずれの時期においても、本件各犯行における爆弾製造・使用の技術面からの計画を提案し、他グループの使用爆弾の雷管を製造するなどして、被告人大道寺とともにその中心的役割を果たし、具体的にも重要な企画・準備・実行行為を担当し、量刑上とくに重要な三菱重工事件をはじめ、間組本社九階・六階各事件(但し、間組本社九階の殺人未遂事件を除く)、荒川鉄橋事件、大成建設事件、間組江戸川作業所事件のほか多数の事件に関与していて、同被告人の刑責は被告人大道寺に劣らぬほど重大である。とくに、被告人片岡の技術が起爆装置に必要な手製雷管の製造、威力のある大型爆弾の製造を可能にしたと考えられ、その技術面で果たした役割は極めて重要であつたものである。

被告人片岡は、経歴及び本件各犯行に至る経緯に判示のような経過で、判示連続企業爆破等の事件を犯すに至つたものであるが、「狼」結成前に犯した興亜観音等・総持寺納骨堂・北大文学部北方文化研究施設・風雪の群像等各爆破事件に関与して、いずれもその爆弾製造に当たり、風雪の群像爆破事件以外の三件については、爆弾の運搬・仕掛けを担当するなど重要不可欠な役割を果たし、また、その後も、爆弾製造技術の開発につとめ、爆弾の威力を高めるための手製雷管製造の技術を身につけるなど「狼」の技術面の中心的人物であり、「腹腹時計」の技術篇執筆に明らかなごとく、被告人大道寺とともに「東アジア反日武装戦線」結成の中心人物の一人であり、「狼」及び他のグループの雷管製造を引受け、その爆破闘争の実行に大きく寄与した。すなわち、

(一) 三菱重工爆破事件において、被告人片岡は、前記一、3、(一)のとおり、この事件の企画立案・調査に重要な役割を担い、かねてより、天皇暗殺用として、この爆弾の製造に必要不可欠なセジツト爆薬及び手製雷管の開発・実験を担当して完成させ、本件犯行前時限装置に安全装置を取り付け爆弾の本体に結合させ、三菱重工ビル前まで被告人大道寺とともにこれを車で運搬するなどの爆弾の製造・使用全般の技術面の中心となつて、積極的に極めて重要な役割を果たしたもので、その経験・技術をもつて開発した本件大型爆弾が本件の重大な人的・物的な被害を発生させたといえる。

(二) 間組本社九階・六階・大宮工場各爆破事件において、被告人片岡は、そのころ捜査当局の尾行を察知して、共犯者らとの接触をできるだけ避け、現場の下見・爆弾の運搬・その仕掛けは担当していないが、前記一、3、(二)のとおり、手製雷管三個を製作し、これを三グループの各爆弾の起爆装置に使用させ、その実行に大きく寄与しており、同被告人の右行為は本件各爆弾の使用にとつて重要不可欠であつたもので、その果たした役割は重大であつた。

(三) 荒川鉄橋天皇特別列車爆破共謀等事件において、被告人片岡は、前記一、3、(三)及び三、1、(一)のとおり、被告人大道寺とともに天皇暗殺の実行可能性を検討し、その準備を開始し、爆薬・雷管の開発・実験を担当し、弾体のペール缶を購入し、本件爆弾の規模・個数・仕掛け地点を決定するなど爆弾の製造・使用の技術面全般にわたる中心となつて、積極的に極めて重要な役割を果たしたものである。

(四) その他の事件においても、被告人大道寺とほぼ同様に行動し、帝人中央研究所爆破事件でも、爆弾の製造・運搬・仕掛けの重要な役割を担い、また、他グループが実行を担当した「狼」関与の企業爆破事件についても、その雷管を製造していて、その果たした役割は大きい。

2  被告人片岡は、公判廷における被告人質問の段階で、初めて三菱重工爆破事件等の死傷者に対する謝罪の意を表明し、最終陳述でも同様の意見を述べた。しかし、同被告人は、あくまで自己らの各犯行の目的・動機は正当であるとし、また、武力闘争による革命という考え方は何ら変えてはいず、労働者を巻き添えにしない対物的爆弾闘争は継続する趣旨のことを述べ、さらに、天皇暗殺計画は現在でも正しいと思つている旨陳述し、要は革命のため味方になりうべき労働者を殺傷する戦術は得策でないとしているにすぎず、そこには人命に対する畏敬の念もなければ、八名もの人命を奪い、少くとも百数十人に重軽傷を与えたことに対する人間的な反省があるとは認められないのである。

また、同被告人は、三菱重工事件の被害者らの死を無意義にしないため、同事件後、日本帝国主義に寄生する者は殺されて当然であるという趣旨を声明文に記載した旨弁解し、その内容には若干の誇張が表現されており、また、たとえ被害者らの死を無意義にしないためであつても、そのような考え方には、自己らの目的を至高のものとし、その目的のためには、他人の生命も手段にすぎないとする人命蔑視と思い上がりが如実に窺えるのである。

なお、同被告人が捜査段階で自白していて、一見すれば反省があるように見受けられかねないが、その自白の動機は、逮捕されたことによる挫折感と自己らの闘争の目的・内容を正確に明らかにすることにより、この武装闘争を承継しようとする者たちに寄与しようとしたものであつて、決して犯行の非を認めたものとは認められない。現に公判廷では自己らの闘争を正義の戦いと強弁しているし、審理過程でも再三出廷を拒否し、訴訟指揮に従わず何回も退廷させられ、監置の制裁を受けるなど法廷闘争を続け、改悛の情のないことを裏書きしている。かえつて、同被告人も自己らの爆弾闘争の目的並びに殺傷以外の成果については高く評価しており、その反社会的思考は深く固着化していて抜き難いと認められる。

3  被告人片岡も、予告電話によつて認められるように、殺傷を第一次的目的としたものではないとしても、結局判示のような目的・認識のもとに本件各犯行に及んだものであり、その極めて重大な刑責を軽減する理由とはなりえない。

また、被告人片岡は、間組本社九階における殺人未遂事件については起訴されていず、被告人大道寺と比較した場合その関与の範囲に若干の差があることは否定できないが、量刑上極めて重要な三菱重工事件をはじめ被告人片岡の犯した事件自体から、その刑責は、極めて重く、結果として被告人大道寺のそれとほぼ同等というべきである。なお、間組攻撃のころから、各犯行の実行を直接担当していないが、その理由は、前記のように、警察の尾行を察知したからにすぎず、現に他グループのため雷管製造の重要な役割を果たしているのであつて、同被告人の刑責を軽減する理由は認められない。

四  被告人黒川芳正について

1  被告人黒川は、「さそり」のリーダーとして、「さそり」の行なつた本件各爆破事件について、その計画をたてた主謀者であり、また「さそり」を代表して東アジア反日武装戦線三グループ間の謀議に加わるなど、その関与した全犯行について、その中心的役割を積極的に果たし、具体的にも爆弾製造に必要不可欠な役割を担当し、実行行為を担当したものもあり、その刑責は被告人大道寺、同片岡に次いで重大である。

被告人黒川は、経歴及び本件各犯行に至る経緯に判示のような経過で、昭和四九年六月ころ「狼」の佐々木の紹介で被告人大道寺と会つて、爆弾による反日武装闘争に共鳴し、みずからも山谷で知り合つた宇賀神並びに同人を通じて知つた桐島をオルグして、反日武装闘争を目的としたゲリラグループを結成し、同年九月末、空前の死傷者を出した三菱重工爆破事件が「狼」の犯行である旨被告人大道寺より打明けられ、自分たちのグループの東アジア反日武装戦線参加を決意し、その参加表明として同年一二月鹿島建設爆破事件を実行し、その際同戦線「さそり」を呼称して同戦線に参加し、次いで、間組本社九階・六階・大宮工場、韓国産業経済研究所、オリエンタルメタル、間組江戸川作業所、京成江戸川橋工事現場各爆破の各事件を犯したが、そのうち「さそり」が直接実行を担当したのは、鹿島建設、間組本社六階、間組江戸川作業所、京成江戸川橋工事現場の各爆破事件であり、右各犯行は、爆弾による反日武装闘争の一環として海外進出の建設企業等に対する継続的な爆破攻撃を目的として実行したもので、極めて悪質、重大な犯行であり、とりわけ、間組本社九階・六階・間組江戸川作業所爆破の各事件は、量刑上重要であり、その刑責は重大である。

2  「さそり」が単独で実行した鹿島建設事件及び「さそり」が直接実行を担当した各事件は、被告人黒川が爆破対象企業を選定して、宇賀神、桐島に提示して協議し、現場の下見・調査を重ねて具体的計画を決定し、被告人黒川の宇賀神、桐島に対する指示・指導のもとに共同して本件各手製爆弾を製造し、その運搬・仕掛け・見張り等の役割を分担して犯行に及んだもので、「さそり」グループが被告人黒川を主謀者として綿密周到な計画・準備を経て組織的に実行したものである。被告人黒川は、昭和四九年八月ころ、すでに爆薬材料のデゾレート約一五キログラムを宇賀神とともに購入したり、同人とともに、同人のアパート地下に爆弾製造の作業所を作つたり、みずからトラベルウオツチを用いて本件各爆弾に用いた時限装置を製作し、鹿島建設及び京成江戸川橋工事現場各爆破事件の爆弾については、ガス点火用ヒーターを用いて点火装置を製作し、その他の各爆弾の起爆装置も、被告人大道寺に依頼し提供を受けた手製雷管を装着するなど、本件各爆弾の製造に必要不可欠な役割をみずから担当して本件各爆弾を完成させたものであり、さらに本件各爆弾の使用にあたつても、鹿島建設・京成江戸川橋工事現場各爆破事件では、爆弾の運搬と仕掛けを直接担当し、間組本社六階・九階等爆破事件においては、被告人黒川は、「さそり」のリーダーとして、その犯行を主導的に計画立案し、「さそり」の代表者として三者会談に出席し、間組攻撃案を提出して採用させ実行に至らせるなど、三グループ間の謀議及び「さそり」内部の謀議において中心的役割を積極的に果たし、爆弾の起爆装置たる手製雷管の提供を被告人大道寺に求めて、これを入手し、爆弾の時限装置をセツトして運搬担当者に渡し、現場付近の警戒と予告電話を担当するなど重要不可欠な行為を担つたものである。

間組江戸川作業所爆破事件においては、宿直中の社員一名がいる宿直室の床下に爆弾を仕掛けて爆発させ、宿直者に瀕死の重傷を負わせる重大な結果を発生させたが、被告人黒川は、その下見をし、爆弾の具体的仕掛け地点を指示するという重要な役割を果たしている。

「さそり」が直接実行を担当しない韓国産業経済研究所・オリエンタルメタル各爆破事件についても、被告人黒川は、三者会談で「大地の牙」側から提示された右計画について、みずから右両企業の内容を調査してその爆破攻撃の必要性を確認してこの計画に賛同し、実行当日は警察無線を盗聴して韓国産業経済研究所爆破を確認し、警察の動向を把握するなど、右両事件についてもかなり積極的に関与したことが認められる。

なお、被告人黒川は、京成江戸川橋工事現場事件後間もなく逮捕され、宇賀神、桐島は逃走して、その後「さそり」による新たな企業爆破事件は発生しなかつたが、宇賀神の居室にコンクリートで補強した弾体が準備され、デゾレート等の爆薬材料が多量に保管されていて、さらに次々と犯行が実行される予定であつたことが看取され、極めて危険であつたものである。

3  被告人黒川は、判示本件各犯行によつて、人的・物的に重大な被害を与えていながら、被害者らに対し、何ら慰藉や補償の措置をとらず謝罪の意を表明せず、被害者らは、被告人黒川に対しいずれも厳罰を望んでおり、とくに間組江戸川作業所で瀕死の重傷を負つた今井洋は無期懲役等の厳罰を求めているところ、被告人黒川は、このように極めて重大な犯罪を犯していながら、反省の情は全くなく、間組江戸川作業所爆破事件で右今井に重傷を負わせたことについても、公判廷において謝罪もせず、反日武装闘争の正当性を主張し、本件各犯行を東アジア人民の反日闘争と呼応し合流する正義の戦いである旨強弁し、その冒頭陳述において、今後も爆弾による反日武装闘争は日本帝国主義企業の海外侵略を完全に阻止するまで続ける旨高言して、自己らの主義主張のためには他人の生命を奪うことすら容認しようとする一片の人間性もない冷酷非情と思い上がりが看取され、社会に復帰すれば再び同種犯行に及ぶことは明らかである。

同被告人は捜査段階では詳細に事実を自白し、また、同被告人作成の申述書や警察官に対する供述調書に窺われるように、その行なつた爆破作戦の個々の技術的な未熟さや調査不十分の点を反省するとするものの、基本的にはその行為を正しいとし、逮捕されて自己の任務が遂行できなくなつたことを遺憾に思つている旨述べているのであつて、本件各爆破事件自体を決して反省していず、前記今井洋に重傷を負わせた件も、そういう事態の発生もやむをえないと考えていたので、評価を出すことは困難であるが、作戦上の配慮が足りず反省する旨述べているだけで、人間性に根ざす謝罪の気持も反省も窺えない。このことは、公判段階での出廷拒否や法廷内での暴力、訴訟指揮に従わずして多数回に及ぶ退廷・監置の処分を受けたことからも明らかである。

4  被告人黒川の関与した事件では重傷者は出ているが、死者は出ていず、また、死傷者を出すことを第一次的目的としたものではなかつたとしても、結局判示のような目的・認識のもとに本件各犯行に及んだものであり、その重大な刑責を軽減するほどの有利な事情は認められない。

とくに、同被告人は、「狼」グループが三菱重工事件を実行した後、その空前の多数死傷者を出したことを十分承知のうえで、反日武装戦線の爆弾闘争に共鳴し、その成果を拡大するために、これに加わり、爆破事件を次々に重ねたもので、その犯情は極めて悪質であり、その刑責が被告人大道寺、同片岡に次ぐ重大なものとする所以である。

五  被告人荒井まり子について

1  被告人荒井が幇助した正犯らの犯行は、「狼」の三菱重工・帝人中央研究所・間組本社九階各爆破の爆発物使用罪であるが、これら正犯の犯行は、その目的・態様・結果においていずれも悪質な犯行であり、とりわけ三菱重工・間組本社九階事件の重大であることは、前記のとおりである。

2  被告人荒井は、経歴及び本件各犯行に至る経緯の項に判示のような経過で、東アジア反日武装戦線「狼」を呼称し爆弾を武器とする反日武装闘争を提唱する正犯大道寺將司らの考え方及び戦術に共鳴して、右ゲリラ組織「狼」に加わり、同人らの爆弾の製造・使用目的が海外進出企業を含む新旧帝国主義者とされるものに対する継続的な爆弾攻撃であることを熟知しながら、判示第一三のとおり、その支援を約し、爆弾の爆薬材料となるクサトール、起爆剤等に用いる硫黄等の継続的補給を約し、現実にこれらを提供し、爆弾闘争の資金も供与して正犯らの犯行を幇助して、その実行に大きく寄与したものであるが、とくに同被告人は、「狼」に積極的に参加してその爆弾闘争支援を約し、重要な幇助行為に及んだもので、組織外の者がたまたまやむなく幇助行為をした場合とは異なつてその犯情は極めて悪質であり、その刑責は幇助とはいえ重大である。

3  被告人荒井は、「狼」結成以前から爆弾闘争志向の被告人大道寺らのグループに入つて爆弾実験に加わり、総持寺爆破事件にも当初は参加して被告人大道寺らとともに爆弾による武装闘争を行なつていたもので、被告人大道寺の「狼」結成後、同人から、爆弾による反日武装闘争の思想的背景を明らかにし同志の参加を求める「腹腹時計」を貰い受け、「狼」への参加を求められたのを契機に、再び、同人らと爆弾による武装闘争を貫徹する決意のもとに自発的・主体的に「狼」に加わつて「狼」が反日武装闘争の一環として継続的に実行するいわゆる新旧帝国主義者に対する爆弾闘争を積極的に支援するため、この爆弾攻撃に用いる手製爆弾の製造材料として、都会地にいる正犯らには入手困難なクサトール・硫黄などを地元で入手して継続的に補給することとし、本件一連のクサトール等の交付行為をなしたが、そのクサトール・硫黄の入手量、その補給の時期、量などは、被告人荒井が自ら判断して行なつたものである。

被告人荒井が提供した本件クサトール及び硫黄は、正犯らが製造しようとする手製爆弾の爆薬材料として不可欠で、しかも大量に必要とするものであつたし、現にその一部が本件間組本社九階爆破の爆弾に用いられており、また、硫黄も爆弾の爆薬或いは起爆装置として用いる手製雷管の製造に必要であつたし、被告人荒井が供与した本件闘争資金は、「狼」の財政担当の大道寺あや子のもとで、他のメンバーの拠出した資金と一緒にプールされ、順次爆弾闘争用の資金に充てられたものである。

4  被告人荒井は、学業に携つて遠隔地にいたため兵站の任務を担当し、三菱重工・間組本社九階の攻撃目標は、事前には具体的に聞かされていなかつたが、三菱重工事件後、それが「狼」グループの犯行であることを知らされながら、その多数の死傷者を発生させた重大な結果と社会の受けた強烈な衝撃を十分承知したうえで、依然幇助行為を継続したもので、その犯情は幇助犯としては極めて悪質というべきである。

しかも、同被告人は、みずからも爆弾製造に関する「腹腹時計」・「薔薇の詩」のほか火薬等に関する書籍並びに爆弾製造に必要な材料・器具を有していて、爆弾製造を試みようとした形跡も窺われ、クサトール等を持つて上京した際には、被告人大道寺らと会合して爆破予定の企業の一部について聞知したり、「狼」のメンバーとともに富士山麓に赴いて手製銃の射撃訓練を行なつたり、ダイナマイト貯蔵庫偵察に赴いたり、爆破対象企業を想定して三菱商事ビルの下見を行なつたりしており、「狼」結成前の爆弾実験及び総持寺納骨堂爆破事件に当初関与していた点とあわせ考えると、幇助犯とはいえ、その犯情の悪質さは明らかというべきである。

5  被告人荒井は、前記のように極めて悪質重大な犯罪を犯していながら反省の情は全く認められず、再犯のおそれも極めて大である。公判廷において、反日武装闘争の正当性を主張し、さらに、いまだに過激な爆弾による反日武装闘争を呼号する東アジア反日武装戦線のゲリラ組織から離脱せず、被害者らに対する謝罪もなく、他方、逮捕された当時通学していた医療技術短大に復学して看護婦になりたいとして強く保釈を求めた点に窺えるように極めて自己中心的な性格をあらわにしており、再犯のおそれも極めて大であり、その更生は甚だ困難と考えられる。

同被告人は捜査段階では自白し、一見反省の態度も窺えるかのごとくであつたが、その当時すら、検察官調書に明らかなように、本件の反日武装闘争を正しいものとし、この闘争を受け継ぐ者らのため真相を明らかにする必要ありとして自白したものであつて、爆弾闘争の誤りを反省したものでないことは、公判廷での爆弾闘争の正義性・正当性の主張の強弁や、再三出廷を拒否し、訴訟指揮に従わず何回も退廷させられたり、制裁を科せられるなど激しい法廷闘争を続けてきた同被告人の言動がこれを裏書きしている。

6  被告人荒井の本件犯行にも、一般予防の見地から厳しい刑罰が必要と考える。爆発物使用事犯に対して一般予防上厳罰が必要なことは前記のとおりであるが、この種事件の幇助犯に対しても、全く同様である。とくに、本件のように、最も過激なゲリラ集団に所属する者が、その組織での役割を果たすため行なつた幇助犯については、正犯の実行した犯行の重大性とその組織性に着目し、一般予防・社会防衛の見地からこれに加担した幇助者をも厳罰に処する必要がある。

7  被告人荒井が正犯らに交付したクサトールは、直接には三菱重工及び帝人中央研究所爆破の爆弾の爆薬の材料としては用いられていないこと以外に酌むべき点はない。

なお、同被告人は正犯らの攻撃目標のうち、三菱重工・間組本社九階については事前には具体的に知らされていないこと、正犯らの判示三件の犯行についていずれも爆弾の具体的仕掛け方法等も知らされていなかつたためか、三菱重工事件の殺人・殺人未遂の点、間組本社九階事件の殺人未遂の点に関して起訴されていないことが窺えるが、前記4のとおり、同被告人が、多数の死傷者を出した三菱重工事件後その「狼」の犯行であることを知らされながら、依然幇助行為を継続したことこそその刑責に大きな影響があるというべきである。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 蓑原茂広 豊吉彬 西修一郎)

別紙訴訟費用負担表(略)

別紙 死者一覧表

番号

氏名

年令(当時)(年)

死因

死亡日時(ころ)

死亡場所

被爆場所

1

清涼肇

二八

爆発によるシヨツク死

昭和四九年八月三〇日午後零時四五分

東京都千代田区丸の内二丁目五番一号

「三菱重工ビルヂング」(以下三菱重工ビルと略称)西側車道上

三菱重工ビル玄関前付近

2

山崎隆司

三八

爆死

右同

右同

右同

3

二見甫

四九

爆発によるシヨツク死

右同

右同

右同

4

松田とし子

二三

右大脳挫砕

右同日午後二時三〇分

東京都千代田区神田駿河台一の八

日大病院

三菱重工ビル西側歩道上

5

石橋光明

五一

全身爆発創による失血死

右同日午後零時四五分

三菱重工ビル一階玄関ホール付近

三菱重工ビル一階玄関ホール付近

6

長谷川健

三七

右同

右同

右同

右同

7

桜井英夫

四一

右膝窩動静脈切断に伴う失血死

右同日午後一時三〇分

東京都港区西新橋三の一九

慈恵医大病院

右同

8

荻野常彌

五〇

外傷性シヨツク死

昭和四九年八月三一日午前一時三〇分

同都千代田区神田駿河台一の八

日大病院

右同

別紙 負傷者一覧表

番号

氏名

年令

(当時)(年)

受傷状況

被爆場所(付近)

部位

加療期間(約)

1

村田英雄

四三

右第四趾切断、右第一趾開放骨折、下腿裂創等

九か月

(入院五〇日)

東京都千代田区丸の内二丁目五番一号

「三菱重工ビルヂング」(以下三菱重工ビルと略称)西側歩・車道上

2

高沢憲

四二

右顔面裂創、頸部裂創

三か月

(入院一四日)

右同

3

井口栄吉

三八

左手裂創、頸椎捻挫

三週間

(入院一一日)

右同

4

高野務

六五

左頭頂部頭蓋骨線状骨折、頭頂部頭蓋陥没骨折、左膝部挫創等

九か月

(入院一か月)

右同

5

宮地武夫

六三

右硬膜下血腫、右鼓膜穿孔、右足関節挫創等

入院加療五八日

右同

6

小川新市

六五

頭部・右胸部裂創

二週間

右同

7

小針恵雄

三〇

左外傷性鼓膜穿孔、左鼓膜前下部外傷性小穿孔

一か月

右同

8

蓮尾真吾

四八

頭頂部挫創、右手掌部挫創、右鎖骨部挫創等

一六日

右同

9

小松久晴

二六

左上腕部・頭部・背部裂創

二週間

(入院八日)

右同

10

児玉賢次郎

三一

左腎外傷、左拇指腱断裂等

四か月

(入院九四日)

右同

11

青木純一

二〇

右手第一・二指伸筋腱断裂、右前腕外側筋断裂等

入院加療一か月

右同

12

石井康二

三六

右下腿裂創、右第四指腱裂創等

二か月

(入院四八日)

右同

13

清水旭

三〇

右肘・右手・背部切創等

九日

右同

14

吉川實

五三

頭部裂傷・両手裂傷

一か月

(入院九日)

右同

15

平沢毅

三七

頭部・顔面・左下腿切創等

六九日

(入院一二日)

右同

16

森田勝治

三三

右拇指切創、前頭部切創等

七日

右同

17

山崎保

三二

背部多発性切創、頭頂部切創等

一四日

右同

18

井口昭雄

二四

左肩胛部挫創、左・右手背部挫創等

二週間

(入院一一日)

右同

19

喜多村京子

三二

撓骨動脈切断、短拇指伸筋腱断裂等

二か月

(入院三週間)

右同

20

増田悦子

二五

背部・前腕部裂創等

一〇日

(入院五日)

右同

21

清水こと富士ヶ根みどり

二八

左第二・三趾挫創、外傷性シヨツク等

一〇日

右同

22

新名彰

二三

頭部・右肩部切創等

二週間

三菱重工ビル南西角付近歩道上

23

吉田由美子

二六

頭部・右前腕部・右示指挫創等

三か月

三菱重工ビル西側歩・車道上

24

小塚勉

四八

頭部・耳部裂創、右前腕爆創等

二か月

(入院一〇日)

同区丸の内二丁目二番三号「三菱電機ビルヂング」(以下三菱電機ビルと略称)東側歩道上

25

山岡邦子

二二

頭部・背部・左上肢挫創

九〇日

右同

26

生出正造

五二

頭部・右手背部・肩爆創

二週間

右同

27

土井明

三四

頭部・両側前腕・両側肩胛部切創等

二二日

右同

28

山岡小枝子

五三

頭部・両足挫創

一週間

右同

29

稲葉喜三郎

三一

頭部・背部・右臀部挫創等

九日

右同

30

吉田俊子

四八

頸部・右下腿挫創、右腓骨神経損傷

二年一〇か月

右同

31

村上林子

四五

顔面・両側下腿部挫創、左前腕屈筋腱断裂等

二年

右同

32

中村能子

三六

頭部・背部・両下肢裂創等

二か月半

(入院一一日)

右同

33

林尚

五六

右手関節部切創、尺骨遠位端骨折兼創内異物、右大腿・肩・側頭部切創等

六か月

(入院三七日)

右同

34

廣瀬文了

二七

右鼓膜出血、両大腿・頸部切創等

三か月

右同

35

綱渕輝幸

二五

頭部・左腕・左右下肢裂傷

三週間

右同

36

後藤孝一

四六

左頭頂部・左背部・両上下肢挫創

九日

右同

37

市村彰三

四七

全身多発性切創

八日

(入院四日)

右同

38

小川弘

三一

頭部・背部・両前腕等切創

一〇日

右同

39

中鉢迪雄

四一

頭部・左前腕切創、右上腕挫創等

二九日

(入院一四日)

右同

40

保阪潔

三一

頭部・左肘部挫創、背部擦過傷、右内耳性耳鳴

一週間

右同

41

船橋正信

七六

右頭頂骨開放性陥凹骨折、右手背ガラス片迷入

三か月

(入院二一日)

右同

42

藤田孝

四〇

両前腕多発切創、左鼓膜破裂

一一日

右同

43

松尾英夫

五三

四肢・頭部・右肩挫創、左下腿骨折

一四六日

(入院四二日)

右同

44

大野達夫

二六

背部切創、左手背切創兼腱断裂異物

四週間

右同

45

宮内千鶴子

二一

左側胸部・背部・左大腿部切創

一〇日

右同

46

柿沢稔

三六

頭・両上肢・背部多発切創、右足部縫合創等

二週間

右同

47

中村康夫

四五

頭部・両手・背部多発性切創、頭蓋骨陥没骨折、骨盤打撲

入院加療一二日

右同

48

安室與志一

三四

頭・左手・右上肢・腰部切創

一か月

右同

49

スーザン・K・ラウアー(SUSAN・K・LOWER)

二六

頸部・背臀部・右膝部・右示指多発性切創

一一日

右同

50

鈴木秀男

五一

異物貫通による左肺の損傷、両側上下肢の挫創、両側上肢瘢痕性拘縮等

入院加療七か月

三菱重工ビル一階玄関ホール

51

碓井修

四〇

顔面裂創、両大腿裂創等

八か月

(入院四二日)

右同

52

石渡林太郎

四五

全身多発性挫創(ガラス片刺入)、右耳介挫滅創等

八か月

(入院三〇日)

右同

53

林純一

四四

右眼視力障害、右前頭部陥没骨折、左肘関節部異物等

七か月

(入院五か月)

右同

54

田代道忠

三五

全身挫創、右腓骨神経断裂

七か月

(入院四か月)

右同

55

菅原實

五四

右肺および肝損傷、右下腿部挫滅創、全身異物創等

五か月

(入院一〇〇日)

右同

56

山口篤子

一八

左前頭部・四肢挫創、両下腿部異物等

四か月

(入院四五日)

右同

57

桑波田憲雄

四六

右手・両下肢・後頭部裂創

四か月

(入院一七日)

右同

58

新井千壽子

四三

頭部・背部・左大腿部多発性切創、頸部打撲等

四六日

(入院一四日)

右同

59

斉藤郁男

四三

頭部裂創、両側上腕裂創

一か月

(入院二二日)

右同

60

竹田正一

四九

顔面、左側頭部・両下腿挫創、右上腕挫傷等

一か月

(入院一二日)

右同

61

長峰たつ美

三三

左大腿部・膝膕部切創、右大腿・頭頂部皮下血腫等

一か月

右同

62

池田早苗

二〇

右前腕部裂創、左外傷性鼓膜穿孔等

二〇日

右同

63

田村敬一

四九

項部・右前腕・両側下腿切創

一〇日

右同

64

小沢道代

二一

右上腕挫創、難聴(両側)

一〇日

右同

65

吉田勝也

四三

頭頂部・右顔面裂創

六九日

(入院八日)

三菱重工ビル一階喫茶室

66

石黒得也

二八

顔面切創、右手短拇指伸筋腱裂

一六日

右同

67

立川文敏

二三

左大腿切創、前額部切創、右第二指切創

一五日

右同

68

田中明

二五

左側音響外傷(左鼓膜亀裂)

二週間

右同

69

中田茂

二六

頭部多発性割創、右肩切創

一三日

右同

70

田中敬三

五四

右手・右下肢(膝部)破片創

一三日

右同

71

矢田昭夫

二二

頭部挫創、左背部・右手背挫創

一一日

右同

72

佐久間貞義

三〇

顔面・背部・両手切創

一一日

右同

73

清水聰三

三二

左側頸部・右大腿部切創

九日

右同

74

土屋理義

二八

右上肢切創

一週間

右同

75

山崎仁

三五

右肘切創

一〇日

右同

76

御園定利

二二

右前腕切創

一〇日

右同

77

松本伸夫

二四

四肢切創

九日

右同

78

中村正二郎

二八

頭部挫創等

八日

右同

79

大和恭子

二五

右坐骨神経損傷(断裂)、右下肢後面部挫創及び異物挿入

入院加療一年一か月

三菱重工ビル一階から同区丸の内二丁目五番二号「三菱ビルヂング」一階に通ずる廊下

80

井口満里子

二三

頭部・背部・両上下肢切創、刺創

八〇日

(入院五五日)

右同

81

渡辺徳二

五七

右顔面挫創及び血腫、右頸部挫創及び異物等

一か月

(入院二一日)

右同

82

小林こと清水美由紀

二一

頸部・背部・両側下腿挫創

一〇日

「三菱ビルヂング」一階廊下

83

関こと中西みゆき

二三

右大腿切創

一〇日

右同

84

杉山喜久子

四〇

前額部・左手裂創

一週間

右同

85

須藤芳夫

五六

左手背部切創

一〇日

三菱重工ビル一階関東菱重興産(株)丸の内業務課

86

宮下道夫

六〇

右前腕部・頭部切創等

二週間

三菱重工ビル二階三菱重工(株)技術本部顧問室

87

小島穀男

五九

右耳介後部挫創、左手根部・手背部切創等

一〇日

右同

88

藤田秀雄

六九

後頭部切創、右耳介・耳後部切創

一〇日

右同

89

吉田礼子

二二

顔面・頸部・左上肢・背部裂創

二週間

(入院一週間)

右同二階和文タイプ室

90

石川こと松本千鶴子

二二

前額部打撲、両上肢・左下腿裂創

一一日

(入院九日)

右同

91

木村ふみ子

二三

右足関節部切創、右足・腰部打撲等

二週間

右同

92

鍵山芳子

五〇

右手掌挫創、右足蹠異物

二週間

右同

93

市川明美

二三

顔面・両下肢・左手等裂創

三週間

(入院一週間)

右同二階英文タイプ室

94

堤留美子

二三

頭部裂創

二週間

(入院一週間)

右同

95

田中充

五一

鼻部・右上腕裂創、顔面擦過傷

二週間

右同二階購買部

96

中川新二

五二

前頭部頭皮裂創、前額部・鼻部等挫創

三六日

右同二階特許契約部

97

本郷常幸

六八

頭部・左手背切創、左第四指腱断裂

一か月

右同

98

向山昇

四六

頭部・上口唇・下顎部切創

二週間

右同

99

沖田宏之

三四

背部・右肘部切創

一週間

右同

100

石根国博

二五

前額部切創

一〇日

右同

101

本間良一

三八

顔面・右下腿・右手切創

一〇日

右同

102

比留間昭子

三二

左顔面・左前腕裂創、右足背切創

一〇日

右同

103

菅沼徹

三九

頭部・左耳部切創

一〇日

右同

104

西村芳徳

二五

頭部・背部等切傷

一三日

右同

105

金元猛

四五

頭部外傷、背部擦過傷

一〇日

右同

106

山本茂雄

四三

頭部挫創

一週間

右同

107

長井安弌

七五

頭部切創兼皮膚欠損、右前腕切創

三週間

三菱重工ビル二階技術管理部

108

田渕麗

二六

頭頂部・顔面・前胸部・右膝部・左肘部挫創

入院加療五日

右同

109

田中久喜

六〇

頭部裂傷、左第一・四指裂傷

一週間

右同

110

沢山武

五〇

左耳部・頭部切創、両肘部挫創

一〇日

三菱重工ビル三階船舶開発部

111

平原公明

三六

右顔面裂創

一〇日

右同三階船舶技術部総合計画課

112

橋本晃一

三五

両上腕・前腕・手背切創

一週間

右同三階輸出船部事務室

113

唐木文穂

五八

右顔面挫創、右側頭部挫創

一〇日

右同三階船舶営業企画部事務室

114

田中淳也

四五

右手・右肘・左足切創

二週間

三菱重工ビル四階海外部事務室

115

笹木睦子

三九

左上腕及び前腕切創、右手切創

三週間

右同四階原動機事業本部原子力部

116

石崎善之

五五

左顔面裂創、左前腕擦過傷

一〇日

右同

117

多和田吉男

三八

顔面・背部・両上肢裂創

二週間

(入院四日)

右同四階原子力部長応接室

118

柴田和朗

三三

右手掌部切創、右頭頂部挫創

一〇日

右同

119

大崎[王其]以子

四四

右前腕・手部・右大腿切創

一か月

右同

120

山田浩治

五四

後頭部切創

一四日

三菱重工ビル五階機器事業部

121

根本惇

五二

頭頂部挫創

一か月

右同

122

寺師康男

四四

頭部裂創

一〇日

右同

123

備藤正一

三一

右肘関節部切創

一五日

三菱重工ビル五階冷熱事業部

124

深川献太郎

四八

左側腹部切創

入院加療一か月

三菱重工ビル五階機器事業部

125

須藤はま子

二八

顔面・頸部・両上肢・右下腿・臀部切挫創

二週間

(入院一〇日)

三菱重工ビル六階重機部事務室

126

西井彌八郎

三四

右下腿切創

一週間

三菱重工ビル七階企画部事務室

127

津田義久

三九

左腕裂傷

一一日

三菱重工ビル八階経理部

128

山田庄三郎

五四

左手部・下顎部切創

一〇日

右同

129

野口純子

二〇

左足背切創

九日

三菱電機ビル一階ホール受付前

130

三尾谷一明

五一

全身打撲、顔面・四肢切創

二週間

三菱電機ビル二階三菱化成工業株式会社特許部情報室

131

寺山佳佑

三四

右頭頂部打撲

一〇日

三菱電機ビル三階三菱電機(株)昇降機営業部

132

藤田明

三六

右第一・二指、背部裂創

一〇日

右同三階昇降機設計部

133

奥野孝明

三五

両上肢擦過傷、右膝部挫創

一〇日

右同三階昇降機営業部

134

山岡宏司

四二

頭部・顔面・右上肢・左下肢挫創

八日

右同

135

秋庭實

四二

頭部・顔面・右前腕部挫傷

九日

右同

136

黒川宜洋

三五

顔面・右膝部切創

二週間

右同

137

田川辰次

五一

左側前腕部裂創、全身破片創

八日

右同三階ビル設備営業部

138

羽島恵美子

三二

左拇指異物肉芽腫

二七日

三菱電機ビル四階宣伝部

139

高橋徳吉

二四

頭部割創

一週間

右同

140

小林敬子

二七

頭頂・左手背・右手背・左肘関節部切創

一週間

右同

141

吉野等

三五

右前腕部挫創、右手背部挫創

一〇日

三菱電機ビル五階電力部

142

酒井克政

三一

前頭部裂創、右拇指背側挫創、左環指挫創

一〇日

右同

143

三浦良和

三七

左顔面挫傷、左手挫傷、頭部割創

一〇日

右同

144

中島祥元

三四

左第三・四指切創(硝子片在中)、左大腿刺創

一〇日

右同五階電機第二部

145

堀江俊光

三一

左上腕切創、左肘部切創、左前腕切創

七日

右同五階業務部

146

倉員栄穂

五一

頭部・顔面・右下腿・左前腕切創

一週間

右同五階重電事業部

147

幡鉾賢輔

四〇

頭部挫傷、背部裂創

一週間

右同五階業務部

148

阿部修

四九

左手背部・右背部切創

九日

三菱電機ビル六階電子計画部

149

日下巖

三三

背部・右足挫創

一二日

三菱電機ビル七階機器貿易部

150

内田康司

三九

頭頂部・両側肘関節部・両側膝関節部・左指関節部裂創

三八日

(入院一〇日)

右同

151

中村善三

五八

左頬部・前頭部切創

一一日

右同関連会社部

152

宮内君子

三一

右肩・右膝・左手関節部切創

二週間

三菱電機ビル九階テレタイプ室

153

浜野由美子

三一

右腕・両側下腿挫創

一一日

(入院四日)

右同九階電話室(休憩室)

154

舟橋栄一

三六

右中指中節骨開放骨折、右大腿・左膝挫創

三か月

前同区丸の内二丁目三番一号三菱商事ビルヂング別館東側歩道上

155

菅沼純一

五〇

頭部外傷

四週間

(入院一週間)

前同区丸の内二丁目三番二号日本郵船ビルヂング東側歩道上

156

武石律子

二三

頭部・左足多発性切創、左アキレス腱不完全断裂

三か月

(入院一五日)

三菱電機ビル北側歩道上

157

渡辺恵子

二二

左前腕・右手挫創、左手挫創兼腱断裂

二か月

右同

158

遊川昭三

四六

左足爆創、左腓骨・踵骨骨折

六か月

(入院一か月)

前同区丸の内二丁目六番一号古河ビルヂング西側歩道上

159

間美江子

三〇

右手・右膝・右足部背部切創等

五八日

(入院一四日)

前同区丸の内二丁目一番二号千代田ビルヂング東側歩道上

160

吉沢万喜子

二二

頭部・大腿部挫創、左肩・両手挫創等

二〇日

右同

161

加藤恒雄

二六

右前腕・右下腿部・左後頭部切創等

三四日

右同

162

大森敦子

三二

左背部裂傷、前額部・左大腿部裂傷等

入院加療二五日

右同

163

泉頭三夫次

七〇

左頭頂骨開放性陥没骨折

九六日

(入院三二日)

千代田ビルヂング北側歩道上

164

尾迫通夫

五一

頭頂部・後頭部・背部切創

四七日

右同

165

綾井和子

四三

右手挫滅切創、頭部切創、右拇指伸筋腱裂

五週間

(入院二四日)

右同

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例